2010年5月28日金曜日

自分で一万メートル走ってみなって

 
 

 日が落ちるか落ちないかの時間帯に走りに出かける。
家の近くの川沿いの道まで(3~4分かかる)歩いていき、少しストレッチングをして、走り始める。

 始めの3kmくらいまでは慣らし運転のつもりで。そこからは足の調子を見ながらなるべく長く走る。



 今日は12km走りました。体調が上がっているのだろうか。ここ最近は6kmくらいだったので、久しぶりに爽快だった。



 時間にして、1時間10分。

 考えてみれば、"すっ"とはじめて、"たったったっ"とずっと足を動かし、走り続けられているって凄いことだと思う。

 "たったったっ"が1時間以上。部活でもこんなには走り続けなかった。






 村上春樹さんの名エッセイ『シドニー!』でこんな記述がある。

 便所に行こうと廊下に出たら、団体で来たらしい日本人のおじさんが、三人くらいで立ち話をしていて、「いやあ、一万は惨敗だったね」と大きな声で残念そうに言っていた。でもね、おじさん、日本人の選手がオリンピックの一万メートルでメダルを取るのって、ほとんど不可能に近いんです。トラックレースは、ロードレースと違って誤差がない世界だから、簡単に壁は越えられない。
(中略)
 なあおっさん、自分で一万メートル走ってみなって、あれってほんとに苦しいんだから。





なあおっさん、自分で一万メートル走ってみなって、あれってほんとに苦しいんだから。



 変な言葉かもしれないが、励まされる。

2010年5月22日土曜日

思い立った重湯

 
 

今週の『世界ふれあい街歩き』ハルビン篇もよかったです。
としょかん通信: 『世界ふれあい街歩き』

 中国北部で最も栄えた都市の一つハルビン。日本の最北端、宗谷岬とほぼ同じ緯度でしょうか。だから冬はとても寒い。

 街を歩く中、映される人々はおおらかなんだけど、カメラを向けられるとシャイになって、でも心を閉じずに話に応えてくれる。その様子がよかった。


*


 話は変わりますが、『フォレスト・ガンプ』という映画の中でフォレスト・ガンプが走り出すシーンがあります。監督はロバート・ゼメキス、脚本はエリック・ロス、主演はトム・ハンクス。


 家のポーチにある椅子に座っていたガンプは、思い立ったように(まあ思い立つまでにいろいろとあったんですが)立ち上がり走り出し、庭を抜け道路に出る。
 そしてずっと走り続けて西海岸(か東海岸)の海辺に出て「でん」してUターンする。そしてまた走り続けて東海岸(か西海岸)の海辺に出て「でん」してまたUターンする。

 数年前からジョギングするようになって、改めてこの『フォレスト・ガンプ』を見たんですが、走ることの楽しみ喜びのほとんどがそのシーンにつまっている、と僕は思う。


*


 ふと思い立ってすることではないかもしれませんが、三日間の断食をすることに。18(火)の夕方から21(金)の朝まで何も食べず、水だけの生活。
 やったことなかったんですが、血圧が低くなるんでしょうか、血糖値が低くなるのか、とにかくふらふらの状態が続く。身体にまったく力が入らない。そして襲ってくる強烈な睡魔。

 ビフォーとアフターでは5kgの体重差だったんですが、断食で最も大事なのは終わってからの食生活だという。今日一日の献立は、朝重湯(一膳分)、昼重湯(一膳分)、夜薄いみそ汁、だけでした。



 断食中、最も食べたいと思ったのはバニラアイスクリームです。


2010年5月19日水曜日

『マイレージ、マイライフ』




映画『マイレージ、マイライフ』 (『UP IN THE AIR』)
(2009)

監督,製作,脚本,ジェイソン・ライトマン(Jason Reitman 1977.10.19- )

製作,アイヴァン・ライトマン(Ivan Reitman 1946.10.27- )

原作,ウォルター・カーン(Walter Kirn 1963 - )

脚本,シェルドン・ターナー(Sheldon Turner - )

撮影,エリック・スティールバーグ(Eric Steelberg 1977.04.01- )

出演,ジョージ・クルーニー(George Clooney 1961.05.06- )

ヴェラ・ファーミガ(Vera Farmiga 1973.08.06- )

アナ・ケンドリック(Anna Kendrick 1985.08.09- )







『マイレージ、マイライフ』オフィシャルサイト






 素晴らしい脚本。ハリウッド映画がかろうじて残した良心。

こういう映画をたくさん見たい。






 第82回アカデミー賞で5部門にノミネートされました。


作品賞
主演男優賞(ジョージ・クルーニー)

助演女優賞(アナ・ケンドリック、ヴェラ・ファーミガ)
監督賞(ジェイソン・ライトマン)
脚色賞(シェルダン・ターナー、ジェイソン・ライトマン)




 ご存知かもしれませんが、賞の結果は『アバター』と『ハート・ロッカー』の一騎討ちで『ハート・ロッカー』がごっそり持っていった結果になりました。

 ですが、やはりそれはハリウッド映画関係者上での評価。
『ハート・ロッカー』よりも『アバター』よりも『マイレージ、マイライフ』。
 それほどこの映画の脚本は素晴らしいものでした。



 ちなみに、原題の『UP IN THE AIR』には“上空の”という意味のほかに、“不安定な”、“未解決の”、“着地していない”といった意味合いもあります。







 大企業が人員整理のために雇うのがリストラ宣告人たち。そのリストラ宣告人の中の一人、ライアン・ビンガム(ジョージ・クルーニー)。彼は一年のうち322日間出張のため全米を飛び回っている。アメリカン航空のみを使い、VIP顧客としてのサービスを最大限に活用して、搭乗手続き、ホテル、レンタカーを利用する。そんな彼の目標は史上7人目の1000万マイルの達成。


 ある出張先のホテル内のバーラウンジで、自分と同じように出張を繰り返し、全米を飛び回っている女性アレックス(ヴェラ・ファーミガ)と出会い、意気投合し、関係を持つ。
 そして、出張先で時間の合間をぬって会い、UP IN THE AIRな関係を楽しんでいた。

 ビンガムにとっては、キャリアアップと超資本至上主義の世界でぎりぎり成立させることのできる(過酷でありながらも)どこか快適な生活だった。



 空飛ぶ恋と近づく1000万マイル、すべてが順調だったそのとき入社してきたナタリー(アナ・ケンドリック)は解雇通告をインターネットの画面越しにすることを提案。そうすれば人件費と出張費を大幅に削減することができると。


 「この仕事のことを理解していない」と猛反対したライアン・ビンガムに対し、上司は「その仕事を理解させる」ためにナタリーを同行させる。


 行く先々で解雇通告(退職勧告)を行なうナタリーはそこで初めて一人一人に抱える家庭であり人生があることを痛感させられる。
 心理学に基づいたフローチャートに応じた交渉。理論上は成立していても人間に合理化をあてはめることはできずにいた。



 そんなナタリーに一通のメールが届く。それは交際していた彼からの別れのメールだった。
たった一通のテキスト・メッセージで関係を断たれたことにナタリーはひどく落ち込んでしまう。だが、直接人間と向かわないデタッチメント上で行なう関係処理。それこそが彼女がやろうとしていることだった。




 そこでナタリーはビンガムとアレックスに相談する。


 ある意味では達観してしまった二人に相談するこれからキャリアアップを目指す新入社員。そして私生活との両立。

 ここでの会話がこの映画のみどころの一つです。























2010年5月18日火曜日

『コッポラの胡蝶の夢』


 
 

映画『コッポラの胡蝶の夢』 (『YOUTH WITHOUT YOUTH』)
(2008)

監督,製作,脚本,フランシス・フォード・コッポラ(Francis Ford Coppola 1939.04.07- )

原作,ミルチャ・エリアーデ(Mircea Eliade 1907.03.13-1986.04.22)

撮影,ミハイ・マライメア・Jr.(Mihai Malaimare Jr. 1975 - )

出演,ティム・ロス(Tim Roth 1961.05.14- )

アレクサンドラ・マリア・ララ(Alexandra Maria Lara 1978.11.12- )

マット・デイモン(1970.10.08- )(uncredited)











──現在のハリウッドの多くの作品はマーケティング先行です。あなたのようにリスクを冒す映画作家にとって、絶望的な世界なのでしょうか。

というインタビュアーの問いに対するコッポラの言葉

“スタジオは、映画をドル箱商品と見ている大会社によって所有されているから、以前にも増してリスクを嫌っているんだ。彼らは、毎回栓を開けるたびに同じ味がして変わりばえがしないコカコーラのような、予想可能な商品ばかりをほしがっている。観客はそれを“飲み干す”けれど、忘れられなくなるような映画の数は毎年減るばかりだ”
―コッポラの胡蝶の夢 : コッポラが語る映画製作と人生哲学 - 映画のことならeiga.com




 まさしくそのとおり。『YOUTH WITHOUT YOUTH』こういう映画を観たかった。







素晴らしい映画。




 フランシス・フォード・コッポラにとって1997年の『レインメーカー』以来の監督作品。



邦題の「胡蝶の夢」は荘子の故事から。

昔者、荘周夢為胡蝶。
栩栩然胡蝶也。
自喩適志与。
不知周也。
俄然覚、則遽遽然周也。
不知周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与。


「荘周が夢を見て蝶になり、蝶として大いに楽しんだ所、夢が覚める。果たして荘周が夢を見て蝶になったのか、あるいは蝶が夢を見て荘周になっているのか」
―荘子 - Wikipedia より抜粋




 ルーマニア。落雷。若返り。オルターエゴ。ナチスドイツ。輪廻転生。言語の起源。

観終えた後に謎は多く残り、立ち去らず身の中に沈みこんでいくかのような映画。




 次作は現在アメリカで公開中の『Tetro』








2010年5月16日日曜日

『世界ふれあい街歩き』

 
『世界ふれあい街歩き』


Copyright NHK (Japan Broadcasting Corporation),All rights reserved. 



NHKから放送されている旅番組。


これすごくいい番組です。




 もともとはBS-hiで放送されていたみたいですが、2010年からNHK総合でも放送されるようになったみたいです。



 うちにはBS-hiなんてものはなく、それどころかテレビもありません。

でも、最近この番組を初めて見ました。台南の回でした。ナレーターは中嶋朋子さん。

侯孝賢監督の映画『百年恋歌』を見て以来、台湾には興味があります。
としょかん通信: 『百年恋歌』




 地上波で放送される旅番組にしては風変わりな番組です。まず、賑やかしく大声を出すレポーターがいない。そして驚くほど長いワンカット(長回し)の映像。
 カメラは人の目線で街を映し、ただ歩いていく。とても静かで穏やか、無目的な散歩のような映像に見入ってしまう。ナレーションも素晴らしい。
 

 不思議なのはその映像がブレていないこと。初めは特殊なローラーみたいなものにカメラを固定して、それを押し進めて撮影しているのかなと思っていたら、人一人がやっと通れるような路地にまでそのブレないカメラは入っていく。どういうカメラなんだろう。



 調べてみたらウェブサイトがありました。

制作者と視聴者の架け橋テレビコ


「ステディカム」という特殊な固定装置で映像の揺れを吸収しているとのこと。


Copyright NHK (Japan Broadcasting Corporation),All rights reserved. 




なるほど。


 次回は中国の「ハルビン」。
見逃せない番組になりました。

 

2010年5月14日金曜日

『それでも恋するバルセロナ』

 
 

 舞台は夏のスペインの北東部、バルセロナ。 






 この作品は、バルセロナを州都にもつカタロニアが、映画製作費1500万ドルの10パーセントを税金で負担するとして招致されました。また、なぜ舞台をバルセロナにしたのかという問いにウディ・アレンはこう答えています。「呼ばれたから。でもスーダンに呼ばれても行かないよ」


 スペインに招致され、150万ドルを出してもらったにもかかわらず、出演する俳優のほとんどがスペイン語ではなく英語を喋っている。地元スペインの人々はこのことに憤慨したという。
 でも、この劇中にある英語のナレーションこそがこの作品を、誰が見てもわかりやすいエンターテイメントの域へと引き上げています。





 アメリカ、ニューヨーク在住のヴィッキー(レベッカ・ホール)は、カタロニア文化についての修士論文を完成させるため親友のクリスティーナ(スカーレッ ト・ヨハンソン)を誘い、バルセロナに住む遠縁の親戚を訪ねる。

 ヴィッキーは現実的で堅実な生活を好み、同じくニューヨーク在住の―平凡で退屈だが大企業に勤め安定した収入と地位を得ている―ダグ(クリス・メッシーナ)と婚約している。
 クリスティーナは、それが情熱的で魅力的であれば衝動的な―心の赴くままな―行動もいとわない。
二人は互いに自分の特質を認識し、自らにない部分を持つ友に惹かれてもいた。



 監督し、脚本を書いたウディ・アレン自身は、
「ヴィッキーは保守的な子だ。夫や子どもたちとの間で、妥協を強いられてしまい、エキサイティングじゃない人生かもしれないけど、いつもある程度は幸せで、 最悪な人生ではないね」と分析する。一方で、好奇心にあふれ、失敗を恐れない恋をするクリスティーナに関しては、「彼女は実験的な恋に身を投げるような冒険心がある。エキサイティングな人生ではあるよね」
と言っている。  もっともな話だ。



 
 ある夜、ヴィッキーとクリスティーナは訪れた画廊で画家のファン・アントニオ(ハビエル・バルデム)と出会い、オビエド(北西部アストゥリアス 州の州都)で週末を過ごさないかと誘われる。
 アントニオの誘いを当たり前のように拒否するヴィッキーと、完全に衝動的な受動的体勢をとっているクリスティーナは、結局オビエドを訪れることとなる。


 そして二人はアントニオとランチを共にする。アントニオはその席で芸術と愛について語り、前妻であるマリア・エレーナ(ペネロペ・クルス)とすさまじい離婚劇を繰り広げた経緯について話した。

 スペインの夏の夜。アントニオに傾倒しかかっていたクリスティーナはその直前で体調を悪くし寝込んでしまう。友人が寝込み、バルセロナに帰るに帰れなくなってしまったヴィッキーはアントニオと一夜限りの関係をもってしまう。

 保守的で堅実だったヴィッキーが衝動的な行動をとったのは、穏やかで心地よいスペインの陽気と地元のワイン、そして抒情詩を奏でるようなスパニッシュ・ギターの調べが影響したのかもしれない。
ひょっとすると、ギターの音色に関係なく、ヴィッキーには保守的で堅実的な行動をとる自分を変えてみたいという願望が心の底にあり、それがアントニオを前にして浮かび上がっただけかもしれない。



 ヴィッキーにはその兆しのようなものがあった。
バルセロナに滞在して数日後、カタロニア料理を提供する地元レストランにおいてプロさながらのマーケット・リサーチを終えた夕方のことだった。

 クリスティーナと訪れたオープンガーデンの店で二人は地元の赤ワインを飲んでいた。そのオープンガーデンのテーブルは自分たちを含めた少しの観光客と地元の人たちとで埋まっていた。
 それぞれが少しのワインを飲み、語らい、夕食までのひと時を楽しんでいた。優雅で、落ち着く至福の瞬間だった。陽が沈みゆく中、胸元のあいたグレーのカットソーと黒のコット ンパンツといったラフな服装のヴィッキーの長い髪はスペインの風に揺れていた。ガーデンの中心では一人の男がスパニッシュ・ギターを奏でていた。

 バルセロナの夏、かすかに風吹く中、空を赤く染めていた陽はゆっくりと沈む。スパニッシュ・ギターのメロディーはヴィッキーの中に沈みこんでいった。スペインの陽とともに。そしてそれはヴィッキーの心のどこかを強く揺さぶった。



 ともかくもヴィッキーはアントニオと寝た。そしてそのことを親友のクリスティーナに言えずにいた(もちろん婚約者のダグにも)。
 
 バルセロナに戻ってきた二日後、クリスティーナはアントニオに誘われる。
ワインを試飲し、アントニオの自宅のアトリエを訪れたクリスティーナは、そこで彼が描いた作品の数々を見る。止める理由のない衝動的で情熱的なクリスティーナの感情はアントニオに注がれ、アントニオも自身の生活をより情熱的にするクリスティーナの存在を求めた。


 アントニオとクリスティーナが同棲を始めたその一方で、ヴィッキーの婚約者のダグがバルセロナを訪れる。
情熱的な画家アントニオと衝動的なクリスティーナの関係に対し、経済的には成功しているが保守的で退屈でもあるヴィッキーとダグの関係は対照的に向かい合うこととなる。

 そこにアントニオの元妻のマリア・エレーナが現れ、クリスティーナとアントニオの関係に割って入っていき、物語はスパニッシュ・ギター(優雅な演奏で始まるが、やがて激しく情熱的になっていく)そのもののような展開を見せ始める。














映画『それでも恋するバルセロナ』 (『Vicky Cristina Barcelona』)
(2008)

監督,脚本,ウディ・アレン(Woody Allen 1935.12.01- )

撮影,ハビエル・アギーレサロベ(Javier Aguirresarobe 1948.10.10- )

出演,スカーレット・ヨハンソン(Scarlett Johansson 1984.11.22- ) ... Christina

ペネロペ・クルス(Penelope Cruz 1974.04.28- ) ... María Elena

レベッカ・ホール(Rebecca Hall 1982 - ) ... Vicky

ハビエル・バルデム(Javier Bardem 1969.03.01- ) ... Juan Antonio

パトリシア・クラークソン(Patricia Clarkson 1959.12.29- ) ... Judy

クリス・メッシーナ(Chris Messina 1974.08.11- ) ... Doug







映画「それでも恋するバルセロナ」公式サイト










2010年5月13日木曜日

『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』

 

 

 20世紀初頭、アメリカ。ルイジアナ州のニューオーリンズに住む時計職人のMr.ガトーは生まれつき盲目だったが、Mr."ケーキ"の愛称で町の人から慕われていた。

 Mr.ガトーはフランスのパリからルイジアナ州に移り住んでいた女性と結婚し、一人の息子を授かった。息子は日々育ち、仕事は順調、家庭は幸せなときを過ごしていた。

 目の見えないMr.ガトーにとって一人息子は、血筋を継ぐ唯一の存在であり、自分の身を分けた分身そのものだった。
 大きくなった息子は、学校であったこと、川で泳いだときのこと、美術館に行ったときのこと、日常で起こったことを目の見えない父親に分かるよう細かく話した。初めはうまくいかなかったが、息子は話し方に工夫を加えた。日を追うにつれ、父親は息子の話を聞くだけで頭の中にくっきりと思い浮かべることができるようになった。

 父親は息子の話を聞いて思った。もし、目が見えていたのなら、少年時代の自分はこういう風に見て感じたことだろう。
 息子の喜びは父親の喜びとなり、家族の喜びとなった。そして、息子が悲しむときは父親も同じように悲しみ、それは家族の悲しみとなった。

 そんな折、Mr.ガトーは時計職人としての腕を買われ、新しくできるニューオーリンズ駅の記念時計の制作を依頼された。それを聞いて息子は喜んだ。誇るべき仕事だった。Mr.ガトーは引き受けた。


 その当時、アメリカは第一次世界大戦の真っ只中にいた。そして、Mr.ガトーの息子は軍隊に徴集され、ガトー夫妻は息子の無事と戦争の終結を神に祈り、見送った。それから4ヶ月間、Mr.ガトーは記念時計の制作に打ち込んだ。


 ある日、一通の手紙がガトー夫妻のもとに届いた。息子の戦死を報せる手紙だった。
息子の亡骸はガトー家の墓に丁重に埋葬された。

 Mr.ガトーは元々口数の少ない人だったが、息子の死をきっかけにほとんど言葉を発しなくなった。彼はより一層記念時計の制作に打ち込んでいった。朝早くから仕事部屋にこもり、それは夜遅くまで続いた。

  そして、1918年、ニューオーリンズ駅の開通の日はやってきた。Mr.ガトーは完成した記念時計の開幕式に参加した。その場にはセオドア・"テディ"・ ルーズベルト大統領もいた。

 幕は下ろされ、巨大で美しい記念時計はその場にいた多くの人の目に触れた。会場は人々の拍手でわき、そして、時計の針は動き始めた。

 だが、その巨大で美しい時計の針は逆に回っていた。
会場が静まり返ったそのとき、Mr.ガトーはこう言った。


"I made it that way so that perhaps the boys that we lost in the war might stand and come home again."
(こうすれば時は戻り、私たちが戦争で亡くした息子たちが帰って来るかもしれない。)

"Home to farm work have children. To live long, full lives."
(家に戻り、よき働き手となり、子供をもうける。そして、長く、精一杯生きる。)

"Perhaps my own son might come home again."
(ひょっとしたら私自身の息子も家に帰って来るかもしれない。)

"I'm sorry if I've offended anybody. I hope you enjoy my clock."
(不快にさせたのなら申し訳なく思います。だが、私にとってはそういう時計であって欲しい。)

 その言葉を最後にMr.ガトーは姿を見せなくなった。







  デイジー・フラーは見舞いに来ていた娘のキャロラインにMr.ガトーのエピソードを話した。
病院のフロアにあるテレビがニューオーリンズに大型のハリケーンが近づいていると報じていた。

 2005年、8月。アメリカ南部、ルイジアナ州ニューオーリンズの病院で、デイジー・フラーは老衰のため今わの際にいた。81歳だった。キャロラインは母親に最後の別れをするために来ていた。

 デイジー・フラーはカバンの中にある日記を読み聞かせてほしいと、娘のキャロラインに頼んだ。
その日記帳には多くの切り抜きや写真が挟まれていた。その中にとても古い一枚の結婚記念の写真があった。写っているのは見知らぬ男女だったが、とても幸せそうだった。


 だが、その男女こそがベンジャミン・バトンの父トーマス・バトンと母キャロライン・バトンの若き姿だった。何も知らないキャロラインが読み始めたその日記は、ベンジャミン・バトンが書き記したものだった。




  1918年、11月11日。第一次世界大戦の終結を知り、喜びに沸いた夜のニューオーリンズの一軒の家でベンジャミン・バトンは誕生した。夫トーマス・バトンがかけつけたそのとき、出産で命を落としかけていた妻は"Promise me he has a place."(あの子を守るって約束して)と言い、夫の返事を確かめて静かに目を閉じた。

 
 嬰児は、産まれたばかりだというのにまるで80歳の老衰した男のように醜悪な容姿をしていた。
妻の死に動揺していたトーマス・バトンには我が子は悪魔の子であるかのように見えた。錯乱した彼は嬰児を抱え、まさに悪魔にとり憑かれたように暗い街中を走った。

 泣き続ける我が子を抱えたままトーマス・バトンは走り続け、一軒の老人養護施設のポーチに我が子を置き、そして去った。



 老人養護施設を運営していた黒人女性クイニーは、80歳の容姿をしたベンジャミン・バトンを拾い上げ、身篭らない自分に神が授けてくれたのだと彼を育てる決意をする。そして他人には妹の子を預かることになったのだと偽った。老人の容姿をした嬰児だったが、周りは老いて死を迎える老人ばかりだったためベンジャミン・バトンは周囲に溶け込んだ。




 幼いときから老人に混ざり、ずっと車椅子で生活していたベンジャミン・バトンだったが、7歳のころになると、杖をついて歩けるようになっていた。不思議なことに、日が経つにつれ彼のその背筋は伸び、足取りは確かなものとなっていた。
 そしてベンジャミン・バトンは思った。他の人は日々年をとっていくが、自分は日々若返っているのではないかと。

 ニューオーリンズ駅にかけられたMr.ガトーの時計の針は逆に回り続けていた。



  そんなある日、1930年の11月27日木曜日、感謝祭の日。ベンジャミン・バトンはデイジー・フラーと運命の出会いを果たす。
 ベンジャミン・バトンの見た目は68歳だったが実年齢は12歳。デイジー・フラーは6歳で青い瞳が印象的な少女だった。彼女は施設で暮らす祖母のところに遊びに来ていた。

 ベンジャミン・バトンが暮らすその施設には実に多くの人が訪れた。そして、訪れた人の多さと同じように、実に多くの人が去っていった。彼は多くの人が去来するその施設であらゆる人は孤独だということを学んだ。人は誰もが孤独を恐れることを、誰もが愛する人を失うことを、そしてピアノを弾くことを学んだ。

 週末になるたび、デイジー・フラーは祖母のいる施設に遊びに来るようになった。だが、彼女の父と母が来ることはなかった。彼女の父親は大戦で戦死し、母親は再婚しようとしていた。幼いデイジーはベンジャミンと孤独を共有し、秘密を分け合った。

 強い孤独を抱え、秘密を分け合った二人が得たものは深い結びつきだった。周りの誰もが理解できなくとも二人はお互いにそのことを理解していた。


  その深い結びつきがあったからこそ、二人は何度も出会うことができた。そして別れた。
あるときは彼が老いすぎていた。またあるときは彼女が若すぎた。そしてまたあるときはその両方だった。それでもベンジャミン・バトンとデイジー・フラーは出会い、別れ、再会し、また別れた。






















映画『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』 (『The Curious Case of Benjamin Button』)
(2008)

監督,デヴィッド・フィンチャー(David Fincher 1962.08.28- )

原作,F・スコット・フィッツジェラルド(F. Scott Fitzgerald 1896.09.24-1940.12.21)

原案,脚本,エリック・ロス(Eric Roth 1945.03.22- )

撮影,クラウディオ・ミランダ(Claudio Miranda - )

衣装デザイン,ジャクリーン・ウェスト(Jacqueline West - )

出演,ブラッド・ピット(Brad Pitt 1963.12.18- ) ...Benjamin Button

ケイト・ブランシェット(Cate Blanchett 1969.05.14- ) ...Daisy Fuller

ティルダ・スウィントン(Tilda Swinton 1960.11.05- ) ...Elizabeth Abbott

ジュリア・オーモンド(Julia Ormond 1965.01.04- ) ...Caroline Fuller

タラジ・P・ヘンソン(Taraji P. Henson 1970.09.11- ) ...Queenie

エル・ファニング(Elle Fanning 1998.04.09- ) ...Daisy Fuller – age 6

ジェイソン・フレミング(Jason Flemyng 1966.09.25- ) ...Thomas Button

イライアス・コティーズ(Elias Koteas 1961.03.11- ) ...Monsieur Gateau

ジャレッド・ハリス(Jared Harris 1961.08.24- ) ...Captain Mike













2010年5月11日火曜日

『イントゥ・ザ・ワイルド』








 1992年4月、ひとりの青年がアラスカ山脈の北麓、住むもののない荒野へ徒歩で分け入っていった。四ヵ月後、ヘラジカ狩りのハンターたちが、うち捨てられたバスの車体のなかで、寝袋にくるまり餓死している彼の死体を発見する。彼の名はクリス・マッカンドレス、ヴァージニアの裕福な家庭に育ち、二年前に アトランタの大学を優秀な成績で卒業した若者だった。知性も分別も備えた、世間から見れば恵まれた境遇の青年が、なぜこのような悲惨な最期を遂げたのか?
-『荒野へ』(訳,佐宗鈴夫) より抜粋










 アメリカの首都ワシントンD.C.の郊外に位置するバージニア州のアナンデールは人口6万人弱、その6割が白人で占める都市である。ウォルト・マッカンドレスはNASAでアンテナの専門家として職務に就き、その後経営コンサルティングの会社を興し、まずまずの成功を得ていた。

 クリストファー・マッカンドレスはそういった白人社会の裕福な家庭の中で何不自由なく育ち、ジョージア州アトランタにある最難関大学の一つであるエモリー大学で歴史と人類学を専攻し、優秀な成績を修め、卒業した。
 多くのセンシティブな若者がそうであるように、クリストファー・マッカンドレスは今そこにある社会に、政治に、(人々が言う)成功に、そして両親に対して懐疑的で、少なからずの否定的な感情を抱えて生きていた。
 
 1990年に大学を卒業した彼は、両親から与えられていた学資預金のほとんど全てを貧困と飢饉を解決しようと活動している団体に寄付し、クレジット・カードと身分証明書を破棄し、必要最低限の荷物だけを手に"Meaning of Life"を求め旅に出る。


 息子が行方不明だと知った両親は必死で彼を探した。そして心配した。危険な目に遭い、自分たちに助けを求める息子の夢を見た。何度も。
 息子が何を考えていたのか、何に対し不満を持っていたのか彼らには分からなかった。自分たちも卒業した優秀な大学を出て、大学院に進み、そして社会的な成功を得る。そこに必要なだけの資金を出し、卒業記念に新車を贈る。現時点では息子は既に持っていることを知らないだけなのだ。息子はいずれそのことを理解し、感謝するに違いない。そう思っていた。


 両親が自分に与えてくれる経済的な余裕や不自由ない生活はクリストファー・マッカンドレスの心を満たさなかった。両親が自分に対してする行動の奥に両親の本当の気持ちを感じ取れなかった。自分は与えてもらいたいのではない。彼は手にあるものを(親が自分に持たせたものを)一度放り投げたかった。そうして何も持たない手で直に触れ、一つ一つ実感していきたかった。若さとはそれほど挑戦的であり無謀だった。そしてそれと同時に無限の可能性に満ちていた。

 彼は疑問に思った。そもそも両親は心を持ち合わせているのだろうか。世間体や社会的な地位ばかり気にかけ、些細なことで言い争い、離婚の危機に何度も立ち、人生に疲弊しているように思えた。事実、彼らの顔は満たされ輝いているようには見えなかった。


 心とは、人生の真価とは、彼はその答えを小説の中から見出そうとした。そして多くの本を読んだ。レフ・トルストイ、ジャック・ロンドン、H・D・ソロー。小説の世界に潜りこみ、そこで著者と対話した。
 自分には経験が足りない。圧倒的に。クリストファー・マッカンドレスはそこにたどり着いた。時が来たら、自分の身を放り出そうと強く決めた。そこで自分の身一つで、歩き、触れて、目にし、感じるものなら信じることができるだろう。アメリカに、荒野に身一つで向きあう。それを想像するとき彼の心は熱くなった。

 そうしてクリストファー・マッカンドレスはアラスカの荒野を目指した。












 クリストファー・マッカンドレスはアラスカの荒野の中で3ヶ月過ごした後、下山を決意し、荷物をまとめ、住処にしていたバスをあとにする。

 その途中、越えなければいけない川が増水していることに気づく。水の温度は冷たく、橋があるわけでもない。数マイル登った上流に着けば、川幅は狭くなり、歩いて渡れる可能性も高くなるが、危険も多い。


 クリストファー・マッカンドレスは最も安全な選択、元いた場所に引き返すことを選ぶ。
 
  数日後、川が減水していたにも関わらず再下山を試みようとはしなかったようだ。彼の日記にはその原因、理由についての記述はなかった。そして謎の餓死を遂げる。

 


 下山を試み、引き返す。そこからクリストファー・マッカンドレスの身に何が起こったのかは分かっていない。唯一分かっていることは死んだというはっきりとした事実。そしてその原因は飢えによる衰弱死だったということ。













 監督のショーン・ペンはアラスカに行き、クリストファー・マッカンドレスが"Magic Bus"と呼んでいたバスを目の前にする。原作にあるとおり、近くには川がある。見たところ何とか渡れそうな水量だが気候によって増減が激しいという。
 そして辺りを見渡す。動くものが何もない。時が止まっているように感じる。木々と山々に囲まれ、建造物は何もない。あるのは済みきった空気と遥か上空に広がる空だ。そして厳しく冷たいアラスカの冬がある。






 ショーン・ペンは"Magic Bus"の横にある小さな椅子に腰かける。クリストファー・マッカンドレスが最後に撮ったといわれる写真にあるのと同じように。

 一旦目を閉じてみる。風が肌を冷やす。木の枝が揺れている音がする。少し遠くで水が流れる音もする。そして目を開ける。クリストファー・マッカンドレスに自分の身を重ねる。そこから何を見ていたのか。そして何を考えていたのか。
















 クリストファー・マッカンドレスの死後、父親であるウォルト・マッカンドレスは彼が過ごしたアラスカを訪れる。そして息子が生活していた"Magic Bus"と"荒野"を目にし、こう語った。


 この短い訪問で、息子がなぜこの地にやってきたのか、いくらか理解できた、と彼は言った。クリスについてはまだわからないことだらけだし、それは永遠にわからないだろうが、これで、わずかながら納得できたこともあったのだ。こうして多少でも気持ちが慰められたことを、彼は感謝していた。
- 『荒野へ』 「エピローグ」より抜粋















映画『イントゥ・ザ・ワイルド』 (『INTO THE WILD』)
(2007)

監督,製作,脚本,ショーン・ペン(Sean Penn 1960.08.17- )

原作,ジョン・クラカワー(Jon Krakauer) 『荒野へ』(集英社)

撮影,エリック・ゴーティエ(Eric Gautier 1961 - )

出演,エミール・ハーシュ(Emile Hirsch 1985.03.13- ) ... Christopher McCandless

ウィリアム・ハート(William Hurt 1950.03.20- ) ... Walt McCandless

キャサリン・キーナー(Catherine Keener 1960.03.26- ) .... Jan Burres

クリステン・スチュワート(Kristen Stewart 1990.04.09- ) .... Tracy Tatro

マーシャ・ゲイ・ハーデン(Marcia Gay Harden 1959.08.14- ) ... Billie McCandless

ジェナ・マローン(Jena Malone 1984.11.21- ) ... Carine McCandless

ヴィンス・ヴォーン(Vince Vaughn 1970.03.28- ) ... Wayne Westerberg




映画『イントゥ・ザ・ワイルド』オフィシャルサイト
















2010年5月10日月曜日

『バニラ・スカイ』

 
 

映画『バニラ・スカイ』(『VANILLA SKY』)
(2000)

監督,製作,脚本,キャメロン・クロウ(Cameron Crowe 1957.07.13- )

製作,出演,トム・クルーズ(Tom Cruise 1962.07.03- )

原案,アレハンドロ・アメナーバル(Alejandro Amenabar 1972.03.31- )

音楽,ナンシー・ウィルソン(Nancy Wilson 1954.03.16- )

出演,ペネロペ・クルス(Penelope Cruz 1974.04.28- )

キャメロン・ディアス(Cameron Diaz 1972.08.30- )

カート・ラッセル(Kurt Russell 1951.03.17- )

ジェイソン・リー(Jason Lee 1970.04.25- )

ティルダ・スウィントン(Tilda Swinton 1960.11.05- )

アリシア・ウィット(Alicia Witt 1975.08.21- )









 何度見てもよくできた映画だと思う。

ということはよくできた映画なんだろう。



 でも、元になったアレハンドロ・アメナーバル監督・脚本による『オープン・ユア・アイズ』(1997)の展開とほぼ同じなのでよくできているのはこっちなのだろう。








 ひょっとするとキャメロン・クロウはマッシュアップ(mashup)の要領でこの映画を制作したのかもしれません。

 アレハンドロ・アメナーバルの原作にあった大筋をトラックのように抜き取り、キャメロン・クロウがそれにリリックとして、映像や台詞を乗っける。










 キャメロン・クロウのマッシュアップは成功したと言えるでしょう。『バニラ・スカイ』には『オープン・ユア・アイズ』を遥かに越えたよさがありますから。



 "モネの絵の空"が出てくるくだりが特に良い。これはいつ見ても変わらないポイントです。





 "ジェイソン・リーの役どころ"もいい。"珍しく醜の面をみせるトム・クルーズの(見事なんだけど)変な演技"もいい。"ペネロペ・クルスの魅力"にやられ、"アラバマ物語"のくだりに驚嘆する。








 特筆すべきは"ナンシー・ウィルソンが選んだ音楽"でしょう。







REM "All The Right Friends"






Radiohead "Everything in its right place"






Paul McCartney "Vanilla Sky"






Peter Gabriel "Solsbury Hill"






The Monkees "Porpoise Song"





Looper "Mondo '77"






Red House Painters "Have You Forgotten"






Josh Rouse "Directions"






Leftfield "Africa Shox"






Sigur Ros "Svefn-G-Englar"






Jeff Buckley "Last Goodbye"






REM "Sweetness Follows"






The Chemical Brothers "Where Do I Begin"






The Beach Boys "Good Vibrations"






The Chemical Brothers "Loops of Fury"






Looper "My Robot"






The Rolling Stones "Heaven"






U2 "Wild Honey"






Freur "Doot Doot"






Spiritualized "Ladies And Gentlemen We Are Floating In Space"


 


















2010年5月9日日曜日

ロバート・ロドリゲス(Robert Rodriguez)

  

 
 “おれたちがガキんときに見た、あの 二線級で クソみたいだったけど心底楽しんで見た二本立ての映画みたいなもんをつくろうぜ”


とクエンティン・タランティーノとロバート・ロドリゲスの二人が言って、映画『グラインドハウス』(2009)は作られました。











 ロバート・ロドリゲスは、24歳の若造も若造だったときに、私立高校の文化祭での記録映像並みの製作費を身銭を切って稼いで一本の映画を撮りました。


 それが『エル・マリアッチ』(1992)。ロドリゲスが子供のときに見た映画の娯楽、痛快さ、暴力、血みどろ、果てにある悲哀、すべてを込めた作品でした。







 24歳の青年のすべてがこもったフィルムは多くの人の目に留まり、本人が想像もしなかった高い評価を得ました。そして『エル・マリアッチ』はロドリゲス本人の手によって、アントニオ・バンデラス、サルマ・ハエック、ダニー・トレホ、チーチ・マリン、タランティーノ(といったロドリゲス・ファミリー)らが出演し、『デスペラード』(1995)としてリメイクされます。












 破れたくつ下のほつれた糸の先まで映画に漬かった(もしくは、汚い部屋の、散らかったテーブルの上のへこんだ缶コーラの奥にある、いつのか分かんないくらい古い出前のピザのヘタまで映画に漬かった)タランティーノと出会い、盟友になったロドリゲス。二人は意気投合を経てすぐに一本の映画の企画にたどり着きます。




 それが『フォー・ルームス』(1995)。四つの章からなるオムニバス映画でした。
ロドリゲスが撮ったのは、マフィアの親(アントニオ・バンデラス)がホテルのボーイに子供の面倒を見させるというスラップスティックな『かわいい無法者』("The Misbehavers")という作品でした。

 コメディ映画というテーマを掲げている割に、どぎつい作品が(当たり前のように)並ぶ中、『かわいい無法者』はようやく一息つくことができる作品で、映画全体のバランスを取っているように思えました。

 ですが、今にして思えばロバート・ロドリゲスはこの頃から自身の家庭で育つ子供のために映画を撮りたいと思っていたのかもしれません。

 







 そして、その翌年の『フロム・ダスク・ティル・ドーン』(1996)は前半はタランティーノが監督し、後半はロドリゲスが監督した映画でした。


 いわばロード・ムービーで、犯罪を犯した兄弟が国境をわたる。アメリカにいるときは(そのどこまでもが)クエンティン・タランティーノの作品ですが、国境を越えてメキシコに渡り、"Titty Twister"(“竜巻みたいなおっぱい”)というふざけた名前のバーに立ち寄ったことをきっかけに、(見事なまでに)ロバート・ロドリゲス 監督作品になります。
 これまで、こんな感じでコントラストを見せた映画があったでしょうか いやありません。





 この映画にはタランティーノ自身も出演しました。この頃から自分も出たかったんでしょう。おそらく。でも、行き切ったキレた役柄は見所の一つでした。

 主演したジョージ・クルーニー(George Clooney)はこの映画での1シーン(か、緊急医療ドラマのなんちゃら)で現在の(とんでもない)地位を獲得することになりました。




 その冒頭の9分弱のシーンは犯罪アクション映画史に残り続けるでしょう。
一組の兄弟がたった一枚のテキサス州のロード・マップを買いに一軒の店を訪ねる。


 この先何が起こるかまったく分からない。実に見事な映画の幕開けです。

















 さらに、その2年後に撮った『パラサイト』(1998)は ・・・  。


この映画、なんといえばいいのでしょう。

 若さがあって、恋があって、アメリカン・フットボールがあって、イジメがある健康的な学園ものに、ナメクジみたいな寄生虫が襲いかかって、先生の首がぼんぼん飛んだり、じたばたするんだけど、結局そのナメクジに塩かけちゃえ、ということになって、「あ、塩ねえや」ってなって「じゃあ代わりにドラッグかけちゃえ」でドラッグかけちゃうとナメクジとけちゃった。

ということでしょうか。



 ロバート・ロドリゲスの映画を語るときはどうしても擬音が多くなります。彼はぐいぐい撮った映像を、ばんばん編集する。"shot, chopped, and scored"と呼ばれるロドリゲス独自の作業。そうやってできた映画を私達は観ています。

 特にこれといってすることがないときが『パラサイト』を見るときかもしれません。テレビの前のソファに座って、画面を見る。手には冷えたビールがある。もし許せるのならスパイスのきいたタコスなんかがあればもっといい。









 2001年、ロバート・ロドリゲスと(今となっては元)妻でありプロデューサーでもあるエリザベス・アヴェランは、『フロム・ダスク・ティル・ドーン』の続編の権利を売った資金で映画制作スタジオ『トラブルメーカー・スタジオ』を設立しました。ロドリゲスは、ほんの一握りの映画監督しか持つことを許されないファイナル・カット権を手に入れたわけです。

 これをきっかけに、ロバート・ロドリゲスは自分の映画の特色から「暴力」と「血みどろ」を取り除いてしまいます。


 そうして撮られたのが『スパイキッズ』シリーズです。
以前から子供向けの娯楽作品を撮りたかったのでしょう。







 

 ロドリゲスはスタジオに子供たちを呼び、平和で健康的な時間を過ごしました。



 これは私達にとっては暗黒時代の訪れでした。
彼ほど痛快に「血みどろ」を撮る監督はいませんでしたから。ロバート・ロドリゲスはもう“映画”を撮らないつもりなのか、誰もがそう思いました。

 「人を切らなくなった刀はすぐになまくら刀へと成り果てる」そう言った人もいました。



 



 たとえジョニー・デップが出たとしても『レジェンド・オブ・メキシコ / デスペラード』(2003)は私達を満たしてはくれませんでした。





 ただ単に、銃撃があって、人が倒れて、血が流れる、そういうものを見たいわけではないんだと。そう手紙に書いて彼に送った人もいたほどです。 


 当時の彼に何があったのかは知りません。本人とその周囲にいる極少数の人のみが知るところでしょう。悪名高いミラマックスとは比較的うまくやっていたと聞いていました。ただ、全米監督協会(DGA)と全米脚本家組合(WGA)から脱退したことから、アメリカの映画制作のしきたりや過程に強く反発していたことは想像できます。






 そして、いくつかの子供向け映画と『シン・シティ』(2005)を経て、冒頭の『グラインドハウス』(2009)にたどり着きます。


 『グラインドハウス』はロドリゲスが監督する『プラネット・テラー』



とタランティーノが監督する『デス・プルーフ』




からなる二本立て映画仕立ての一本の映画です。二本立ての映画である雰囲気を再現するため劇中には架空の映画の予告編まで作られました。










 ロドリゲスの刀は戻ってきたか。

正直な感想を言いますと『デス・プルーフ』はよかった。でも『プラネット・テラー』はどうなんだ。

 アメリカの田舎町にある“秘密の軍事基地”そこで扱われる“生物兵器”、突如現われる“ゾンビ”、“大型のバイク”、“激しい銃撃”、“血みどろ”、“片脚マシンガン”

 確かにそれっぽい材料はそろってました。しかし手は届いてない。

 ブルース・ウィリスの出演が生きてもいないし死んでもいない(彼が出てくればどうしても彼に目が行く。だから端役のようにあっけなく死ぬか、最後の見せ場を飾るかどちらかしかなかったはずだ。劇中の彼の扱いはそのどちらでもなかった)。

 駒が足りなかったのか。『フロム・ダスク・ティル・ドーン』でハーヴェイ・カイテルが持ってた杭打ち機だったり、セックスマシーンの股間の仕込み銃みたいな(馬鹿げているのに痛快な)インパクトはない。少なくともあと3つくらいは見せ場が必要だった。いっそのこと“両腕バズーカー”とか“丸いガスタンクのボウリングでゾンビを一網打尽”があってもよかったんじゃないでしょうか。






 架空の映画の予告編のほうが面白そうだった。
長刀のなたという意味の『マチェーテ』(『Machete』)。ロドリゲスの従兄弟であるダニー・トレホ(どうでもいい話ですが、もし日本人がダニー・トレホを演じるのなら、ブラックマヨネーズの吉田敬しかいないでしょう。あの容姿、そこから出る暗黒のオーラは彼しか再現できません)が主演し、ロドリゲス・ファミリーであるチーチ・マリンが出演していました。そしてこの架空の映画がロドリゲス監督作品として実現するという噂があった。












 噂は本当でした。
そして出演者たちの名前と、その予告編を見て驚いた。






映画『Machete』
(2010)

監督,製作,脚本,ロバート・ロドリゲス(Robert Rodriguez 1968.06.20- )

監督,イーサン・マニキス(Ethan Maniquis - )

製作,エリザベス・アヴェラン(Elizabeth Avellan 1960.11.08- )

クエンティン・タランティーノ(Quentin Tarantino 1963.03.27- )

出演,ダニー・トレホ(Danny Trejo 1944.05.16- )

ジェシカ・アルバ(Jessica Alba 1981.04.28- )

ミシェル・ロドリゲス(Michelle Rodriguez 1978.07.12- )

ロバート・デ・ニーロ(Robert De Niro 1943.08.17- )

チーチ・マリン(Cheech Marin 1946.07.13- )

リンジー・ローハン(Lindsay Lohan 1986.07.02- )

スティーヴン・セガール(Steven Seagal 1951.04.10- )

ドン・ジョンソン(Don Johnson 1949.12.15- )



2010年5月7日金曜日

『タロットカード殺人事件』

 Googleを見てみたらチャイコフスキーが。



 今日、2010年5月7日はチャイコフスキーが生まれて170年がたった日だということです。




 チャイコフスキーといえば、ウディ・アレンの『タロットカード殺人事件』。

なぜでしょうか。それは見ればすぐに分かります。










映画『タロットカード殺人事件』(『Scoop』)
(2006)

監督,脚本,出演,ウディ・アレン(Woody Allen 1935.12.01- )

撮影,レミ・アデファラシン(Remi Adefarasin 1948 - )

出演,ヒュー・ジャックマン(Hugh Jackman 1968.10.12- )

スカーレット・ヨハンソン(Scarlett Johansson 1984.11.22- )

イアン・マクシェーン(Ian McShane 1942.09.29- )

ロモーラ・ガライ(Romola Gara 1982.08.06- )














 前作『マッチポイント』(2005)は久しぶりのシリアスなウディ・アレン映画でした。
『マッチポイント』は見終えたあと、しばらく見返したくないと思うほどひりひりした内容でしたが、そのひりひりは、後半のヨハンソンとマイヤーズの関係が男女の深みにはまり、言い争いが激化していくところにあるとようやく気がつきました。あのシーンはテニスで言うラリーであって、最終的にボールがネットにかかりどちらに落ちるか、というシーンのための前振りでしかなかったのだなと。
 そう考えると、あのシーンやこのシーンが繋がっていきました。あれってやっぱり傑作だったんですね。









 その翌年撮られたこの『タロットカード殺人事件』は一転して、何がどう転んでもコメディの目しか出ないサイコロのようでした。
 ウディ・アレン。彼が画面に出ているだけでコメディになっている。どこまでも愉快、もちろん笑えて、そして素晴らしい。こんなことがあるのだろうか。(あるんです)






 『メリンダとメリンダ』(2004)では、同じ出演者であっても、ある側面は悲劇的(と同時に喜劇的)であり、またある側面は喜劇的(と同時に悲劇的)であるという特徴が大きなみどころでした。

 悲劇的と喜劇的のコントラスト。それを今回は二本の別の作品として描いたのだなと。『マッチポイント』と『タロットカード殺人事件』二作で一組、そう見れば、見事に対比的で印象強い映画であるといえます。





 すでに老成円熟の境地に達しているウディ・アレン。豪華な出演者がこれだけ揃うのはウディ・アレン監督作品でしか実現しないでしょう。




 ユアン・マクレガーとコリン・ファレルが兄弟を演じた『ウディ・アレンの夢と犯罪』(2007)、そして名作『それでも恋するバルセロナ』(2008)。やっとニューヨークに帰ってきた『Whatever Works』(2009)。

 アンソニー・ホプキンス、ナオミ・ワッツ、アントニオ・バンデラス、ジョシュ・ブローリンらが出演する『You Will Meet a Tall Dark Stranger』(2010)ではまたロンドンに行き、レイチェル・マクアダムス、オーウェン・ウィルソンが出演する『Midnight in Paris 』(2011)ではパリが舞台となっています。










2010年5月6日木曜日

『野いちご』






映画『野いちご』(『SMULTRONSTALLET』)
(1957)

監督,脚本,イングマール・ベルイマン(Ingmar Bergman 1918.07.14-2007.07.30)

出演,ヴィクトル・シェストレム(Victor Sjostrom 1879.09.20-1960.01.03)

イングリッド・チューリン(Ingrid Thulin 1926.01.27-2004.01.07)

ビビ・アンデショーン(Bibi Andersson 1935.11.11- )












 映画監督ウディ・アレン(Woody Allen)が、イングマール・ベルイマン監督作品の映画『野いちご』を推薦していました。

 ウディ・アレンが以前からベルイマンを推していたことは知ってましたが。











 初回、見ているときから「難解」という二文字が常に頭の中に。

見終えて  (むう)




ウェブでレビューを見ても“難解”というキーワードが。








 もう一度、始めから見返してみました。そうすると、思ったほど「難解」ではないことが分かります。














 あらすじみたいなものを簡潔に書きますと。

 
老医師イサク(ヴィクトル・シェストレム)は長年の功労が認められ、名誉博士号の授与が決まっていた。その当日の朝、イサクは自身が死ぬ夢を見て、目を覚ます。

 目を覚ました朝三時から、授与式が行われる夕方五時まで、イサクの身の上に起きた出来事をその夢と交えて進むロード・ムービー。



 1930年前後、映画が無声からトーキーに移行し、それから27年後にこれほど成熟した内容の映画を創れるものなのかと。しかもスウェーデンで。

 しかも、ベルイマン監督は当時39歳。主演のヴィクトル・シェストレムは当時78歳。脚本も書いたベルイマンにとっては老医師イサクも自身の分身であるとも言えます。







 予想もつかないような展開はないし、時制もひっくり返らない。登場人物もそう多くはない。しかもフィルムは白黒、主人公は老人。

大規模なエンターテイメント畑の収穫を見込んだマーケット・リサーチの結果に耳を傾けていれば、この映画は成立しなかったでしょう。



 淡々と流れる時間の中、一生を凝縮したような時間を老医師は過ごす。たったそれだけの映画。それなのに。








 監督自ら私的な体験を交えた脚本を書き、商業的成功からかけはなれているにもかかわらず成立し、作品の真価は時代を超え、多くの人々の心に残る。

 フェデリコ・フェリーニの『8 1/2』やフランシス・フォード・コッポラの『コッポラの胡蝶の夢』と同じように。



  




2010年5月5日水曜日

『愛しき者はすべて去りゆく』

 


『愛しき者はすべて去りゆく』

著者,デニス・レヘイン

出版社,角川書店








 映画『ゴーン・ベイビー・ゴーン』(『GONE BABY GONE』)の原作となった小説。




 まったく知りませんでした。
「現代最高の私立探偵小説」であり、シリーズものでもあるということでした。





 『グッド・ウィル・ハンティング』(1997)




でマット・デイモンと共に脚本を書き、主演したベン・アフレック(なんと初脚本作品でアカデミーを獲っています)の初監督作品である映画『ゴーン・ベイビー・ゴーン』を見て、ずいぶん深いところまで描いた映画だと思い(空撮で家並みを映していくところはオマージュでしょうか)、ならば原作はさらに深いところまで描いているんだろうか、と思い読みました。



 原作者は、デニス・レヘイン。




 聞いたことのなかった名前ですが、クリント・イーストウッド監督による映画『ミスティック・リバー』(2003)の原作者でもあるということです。



 

 さらには、映画『シャッター アイランド』(2009)の原作者としても知られています。




 
 
 そうか、「再生の見込み」なんてものが考えられないほどの深い喪失。それを描いている作家なんでしょうか。





 表紙裏に書いてある紹介文をそのまま書き写すと、

もはやボストンのこの界隈に、幼く無垢で無防備なものたちの居場所はない。ここは崩壊した家族、悪徳警官、詐欺師、そして、夜毎テレビで誘拐され た自分の娘について報じるニュースを観るアル中の母親が住む場所だ。少女が消えて80時間が経過し、捜査依頼を拒み続けていた私立探偵パトリックとアン ジーは遂に動き出す。しかしこの少女の捜索は、二人の愛、精神、そして生命までをも失う危険を孕んでいた―。
現代最高のディティクティブ・ノヴェル、シリーズ最新刊!


とあります。



 小説を読んでいて、ひっかかる描写、今の自分には到底描くことのできない箇所を見つけるとそれをメモする癖をつけています。



 今回とったメモの中からいくつか。


 わたしは生涯をとおしてこの女性を知っているが、目の前で泣くのを見たのは片手で数えられるほどだ。このとき、なにが彼女の涙をあふれさせたの か、完全には理解できなかった。今日酒場で遭遇したよりもはるかに恐ろしい状況に対峙し、それをやり過ごしてきたアンジーを、何度も見てきた―とはいえ、 原因がなんであれ、彼女の痛みは本物で、それを表わす彼女の顔を体に、わたしは耐えられなかった。



 彼らの死亡が確認されると、彼女は泣いた。
 いつも静かに、いつも閉めた扉の向こうで、いつも、わたしが家の遠いところにいて、聞こえないだろうと彼女が思っているときに。














2010年5月4日火曜日

『エンジェル』

 
 

映画『エンジェル』(『ANGEL』)
(2007)

監督,脚本,フランソワ・オゾン(Francois Ozon 1967.11.25- )

原作,エリザベス・テイラー(Elizabeth Taylor) 
『エンジェル』(白水社)

撮影,ドニ・ルノワール(Denis Lenoir 1949 - )

出演,ロモーラ・ガライ(Romola Garai 1982.08.06- )

シャーロット・ランプリング(Charlotte Rampling 1946.02.05- )

マイケル・ファスベンダー(Michael Fassbender 1977.04.02- )

ルーシー・ラッセル(Lucy Russell 1972 - )

サム・ニール(Sam Neill 1947.09.14- )















 たとえそれがどれほど偏った見方であって、どれほど偏った描き方であろうと、怖れることなく映画を撮り続けているフランソワ・オゾン。



 新しい映画を撮れば必ず観ているという監督が数人います。
ウディ・アレン、ラース・フォン・トリアー、ビクトル・エリセ、クエンティン・タランティーノ、テレンス・マリック、(結構いますね)クリストファー・ノーラン、三木聡、M.ナイト・シャマラン、山下敦弘、デヴィッド・フィンチャー、そしてフランソワ・オゾン。




 フランソワ・オゾンの映画づくりの土台は他の監督のどれとも異なっているように思えます。
そのほとんどの作品の脚本を書いているというのも興味深い。作品ごとに何をやってくるのか全く読めない。







 ここ最近の作品をみてみると、
『エンジェル』(2007)、『ぼくを葬る』(2005)、『ふたりの5つの分かれ路』(2004)、『スイミング・プール』(2003)、『8 人の女たち』(2002)、『まぼろし』(2001)
となっています。




 日本公開待機作品は、

Ricky(2009)



Le refuge(2009)



Potiche(2010)

です。










 貧しい家庭に育ち、作家として成功することを夢見る少女エンジェル・デヴェレル(ロモーラ・ガライ)は一つの小説を書き上げる。
 その小説『レディ・イレニア』は出版され、少女エンジェルは一躍時の人となる。多くの収入と名声を手に入れ、「パラダイス」という名の屋敷を買い取り、そこに住み望んでいた暮らしを手に入れたエンジェル。ある日、ボヘミアン(奔放な性格)な画家エスメ(マイケル・ファスベンダー)と出会い、恋に落ち、結婚し、破滅する。




 要約すればそれだけなんですが、オゾンが描くとそれだけでは済まなくなる。
主要な人物だけでなく、端役の人物までも前のめりの仕方が違ってくる。倒れる寸前まで前のめりになり、そして実際に倒れる。

 救いのあるなしに関わらず―まあ、だいたいオゾン監督が描く“救い”はあってないようなものなんですが、(ものの見事に)倒れ、(とことん)破滅する。














2010年5月3日月曜日

デッドパン・トラジコメディ

 
 
「deadpan」

無表情な[に],何食わぬ態度の[で],感情のこもらない,感情をこめずに.

無表情な顔(で演技)をする,さりげない態度をとる.

さりげない[何食わぬ]態度[表情]で言う[書く,表現する].


「tragicomedy」

悲喜劇;悲喜劇的状況[できごと]











 TSUTAYAなんかに行って、DVDなんかを借りるとき、ジャンルに分かれて棚に並んでいることがほとんどです。
 もちろん、店によって違いはありますが、「ドラマ」だったり「恋愛」だったり「ホラー」だったり「コメディ」だったり。また「ドラマ」の棚でも区分けされていて「ヒューマン」だったり「シリアス」だったり「その他」があったりします。大きな店舗に行くと、監督別や出演者別の棚があったりもします。


 そんな中で「アルノー・デプレシャン」のコーナーを見つけたときは驚きました。
東京都内の都心から離れたところにある大きいとはいえないレンタル店で、誰かがアルノー・デプレシャンを求め、棚を前にしてケースを手に取る。
 その光景を想像すると世の中は可能性に満ちているんだなと思う。




 そのジャンル別の棚に『デッドパン・トラジコメディ』というのがあってもいいと僕は思います。


その棚には、

『アイズ・ワイド・シャット』




『アメリカン・スプレンダー』




『アメリカン・ビューティー』




『ゴーストワールド』




『サイン』




『ストレイト・ストーリー』




『ばかのハコ船』




『パルプ・フィクション』




『バッファロー'66』




『ブロークン・フラワーズ』




『マルコヴィッチの穴』




『リアリズムの宿』




『セクレタリー』




『リミッツ・オブ・コントロール』




が並んでいたりする。











 僕がこの言葉に持たせたい意味合いは、『真顔で行われる[演じられる]悲喜劇を扱った映画』です。

 似たような言葉でポーカーフェースという言葉がありますが、僕の中では、デッドパンのほうがより無表情という印象を持っています。パン(pan)に は、人相や顔という意味があり、それが死んでいるわけだから、もし無表情と豊かな表情というバロメーターがあれば、デッド・パンとは、無表情のほうに針が振り切っている状態のことを指している、と解釈できます。




 何事かを分類に割り振るのは苦手ですが―あらゆる物事の解釈は個人的なものであり、たとえ個人的解釈を集計して、同一のものが大多数を占めたとしても、それを分野としてカテゴライズするのは非常に危険な行為だ。歴史がそれを証明している―映画の背骨を開いてみて、髄液のように「デッドパン・トラジ コメディ」が流れている、と捉えられる場合は、そういう呼び名があっても良いと僕は思う。
 これは僕の個人的解釈です。



 例として挙げたタイトルは、血液型こそ違えど、デッドパン・トラジコメディが、映画の背骨に髄液として流れている、と僕が思う作品です。






 映画の切り口[語り口]も、演者[の扱い方]もナックル・ボ-ル的な変化球だ。とはいっても、僕は野球のことをほとんど何も知らない。おそらくこういうときはナックル・ボールと言うのだろうという憶測でものを書いている。


 『ストレイト・ストーリー』なんかは、道はまっすぐだが、映画としてはヘアピン・カーヴもいいところだ。とはいっても、僕はカー・レースのこと を何も知らないし、何より、普段自動車には乗らないことにしている。


 僕は、映画を観ていて「監督はどういうつもりでこのシーンを撮影したのかな」とよく考えます。映画を制作する過程において、監督はすべてのシーンを何度も何度も推敲します。だから、ときにはここはデッドパンでなければいけないと強く求めるときがあることでしょう。メソジストが生活の中に厳格な規律を求めるように。


 監督にとっては、全てのシーンのあらゆる細部にいたるまで意味と目的がある。城が動いていたとすれば、城が動かなければならなかった理由があったからであり、デッドパンで演じていたとすれば、デッドパンでなければいけなかった理由があったからである。そうやって撮影し、編集し、作品になったものを娯楽作品として観ています。


 もし、シーンの目的を理解していない俳優が、大げさに、感情豊かに演じたとしたら、監督はその俳優に適したやり方で指導し、デッドパンの演技を引き出すに違いありません。演出と呼ばれる行為です。
 そうすることによって悲喜劇は意味を深め、奥行きを持ち、観ている人の心に浸透していき、尾をひく映画となる。



 そういった、監督がひそかに―またはこれ見よがしに―入れたとっておきのスパイスが味わえる映画が最近増えてきているように思えます。デッドパン・テイストの好きな僕にとっては非常に好ましい傾向です。
 僕は料理はする。

2010年5月2日日曜日

『チョッパー・リード』




映画『チョッパー・リード 史上最凶の殺人鬼』(『CHOPPER』)
(2000)

監督,脚本,アンドリュー・ドミニク(Andrew Dominik 1967 - )

出演,エリック・バナ(Eric Bana 1968.08.09- )






 知る人ぞ知るオーストラリアの映画。
『ミュンヘン』(2005)、『きみがぼくを見つけた日』(2009)のエリック・バナの劇場映画デビュー出演作品。





 オーストラリアの犯罪史上、最も狂暴な男として知られたマーク“チョッパー”リード。彼のベストセラー自伝を基にこの映画は制作されました。







 

 ダニエル・デイ=ルイスが、自身の演技法について聞かれ、こう返している。

“もしある世界を想像しようとしたら、想像力を刺激できる手段はどんなものであれ全て使うだろう。それがメソッド・アクティング(自己の経験・感情を用いた写実的演技法)だよ”




 確かに、想像力を刺激できる手段はどんなものであれ全て使い、それを基にした演技によってアウトプットすることに究極の快楽を求めているのが俳優なのかもしれません。





 ブラッド・ピットの下に送られてくる何本もの脚本や映画。その中にこれがあったのだそうです。そして、これを見て「すげえや」ってことになったのだといいます。


 確かに「すげえ」んです。



 デ・ニーロ・アプローチと呼ばれる役に対してのアプローチ。
実話を基に作られる映画は特にそうなんですが、実在のその人に似た外見を持つ俳優が採用されることが多い。
 ロバート・デ・ニーロは自分がその人に似ていないときでも自らの外見をその人に極限まで似せていくというアプローチをとり高い評価を得ました。役柄の職業や環境を実際に体験したり、体重を極端に増減させたり、毛髪を抜いたり、歯を抜いたりといったものです。もちろん内面に対しても最大限のアプローチは為されます。自分が演じる役柄を研究し、知り尽くすことで一切の違和感を取り除く。ただの役柄という枠を越え、外見からも内面からも人物を立ち上がらせる。

 
 



 これをきっかけにブラッド・ピットはエリック・バナを『トロイ』(2004)に招き入れ、さらに自身が製作する『ジェシー・ジェームズの暗殺』(2007)の監督にアンドリュー・ドミニクを採用したことでこの『チョッパー・リード』は多くの人に知られるようになりました。






 オーストラリアの凶悪犯罪者マーク“チョッパー”リードのエピソードのひとつに、自分の意思で両耳を切り落とし、刑務所の移送を求めた、というのがあるのですが、以下は、そのマーク“チョッパー”リード本人(ごついだけでなくいかついおっさんです)に、耳を切り落とした時はどういう状況だったか、というのをエリック・バナが聞いている映像です。





 エリック・バナは、マーク・リードの話す姿を見ています。エピソードを話している彼を見て、仕草の一つ一つを自分に転送する。細かい癖、どこを強調しているか、そのどもり方、おどけた部分、身体を揺すって歩く姿、自分の役のためになる全てを取り込もうとしています。その結果があの演技なわけです。

<注:暴力・流血を含むシーンがあります>













2010年5月1日土曜日

『1Q84』

『1Q84』

著者,村上春樹

出版社,新潮社


村上春樹『1Q84』 新潮社公式サイト











 深い読書体験でした。読んでいる間、読んだ後、何かを考えるとき『1Q84』の文体で考えていることに気がつきます。正確に言えば『1Q84』の文体に近い文体です。この小説の中にある文体に自分の文体が根こそぎ持っていかれます。物語と文体に自分の芯のようなものが握られっぱなしになります。抵抗しようとしても自由がきかなくなっている。




 どうしてこうなるのだろうと考える。その思索は一つの答えに辿り着く。小説『1Q84』を読んでいる我々は実際に1Q84年の世界に連れて行かれてしまったのではないだろうか。青豆がいて、天吾がいる世界に。好むと好まざるに関わらず、月が二つある世界に我々はいる




どこかの時点で私の知っている世界は消滅し、あるいは退場し、別の世界がそれにとって代わったのだ。レールのポイントが切り替わるみたいに。つまり、今ここにある私の意識はもとあった世界に属しているが、世界そのものは既に別のものにかわってしまっている。

―Book1 p195






 今いる世界がどこであれ、そこは私達が元いた場所ではない。
いったいここはどこなのか、どうすればここから立ち去り戻ることができるのか、私達は考える。



 ここは村上春樹がつくりだした小説世界だ。小説家の彼が才能と努力のすべてを投げ出し、時間をかけてつくり上げた世界だ。私達はその小説を読み、知らず知らずのうちにその世界に取り込まれた。不快ではないが、快でもない。ただ、ここは私達がいる場所ではないと大きな声が言っている。その大きな声は私達の心に強く呼応する。ここに長くいることはできない。どんな方法を使ってでもここから立ち去らなくてはいけない。
 私達の目は空に浮かぶ二つの月を見ている。血液の流れは速くなり、心臓の弁が震える。時折、雲が月たちを覆い隠す。私達が月たちから何も読み取れないように。そこに長くいてはいけない。大きな声はそう言っている。私達はその大きな声を信頼する。







 
 小説家村上春樹はこれほどまでに強い力を持つ小説世界をどのようにしてつくりあげることができたのだろう。
 彼は毎朝4時ころに起き、顔を洗い、歯をみがき、そしてコーヒーを淹れるため大きなヤカンに水を入れ火にかける。湯が沸くのを待つ間にiMacの電源を入れる。彼のiMacはいつもの時間に規則正しく起き上がる。そして儀式的に密やかにコーヒー豆に沸いた湯を注ぐ。声にはしないが呪文も唱える。
 淹れたコーヒーをマグカップに移しかえ、机に向かう。そこから4時間か5時間かけ、決まった枚数の原稿を書く。誰も起きていない静かな時間帯、暗い森に彼は出かける。一匹の背を向けたフクロウが木にとまっている。フクロウは首だけを動かし森に侵入してくる彼を見つめる。
 村上春樹は森の奥へと歩いていく。そのようにして、彼は物語の世界にとても深く潜り込む。


 原稿を書く時間が終わると軽く食事をする。トーストのときもあればビスケットのようなもので済ませるときもある。そしてジョギングに出かけ 10km走る。走り終え、帰宅し、驚くほどの速さでシャワーを浴び、洗面器がてんこもりになるくらいの量の新鮮な野菜を食べる。
 午後はのんびりと過ごすことが多い。週に何度か水泳をし、読書をしたり、映画を観たり、翻訳をしたりする。日本にいるときは夕方近くになると散歩に出かけ鰻屋に入り、ビールを飲み、うなぎを食べる。
 夜は21時には就寝する。そしてまた翌朝4時ころに起きる。彼のiMacも目を覚ます。そうした生活のサイクルを自らのあらゆるところに沁み込ませ馴染ませる。




 徹底した反復運動に基づいた日常の積み重ね。そうすることで通常入ることのできない物語の深度に彼は到達する。深い森の奥。暗い井戸の底。彼はそこで静かに呼吸し、さらに深いところに潜っていく。音がなく光も届かない世界。その世界で何が行われているかを目にする。


 また、彼は日常的に英語の小説を日本語に翻訳している。異なるシステムで成り立っている言語を一旦解体し、自分を通して日本語に再構成する。彼にとって翻訳は苦を伴うものではない。むしろ楽しんで取り組める趣味のようなものだ。それでも手が止まるときがある。物語の核に触れたときだ。描写の言葉一つ、一行の文章の差し替えで、人物が立ち上がることもある。彼は経験を通してそのことを知っていた。そういうとき、彼はテキストにある言葉を自分の中に潜り込ませ、再び浮かび上がってくるのを辛抱強く待つ。その作業を通してアクチュアルでタフな文体を彼は身につける。



 『1Q84』の物語は三人称で語られるがそれは絶対的な俯瞰に位置する神の視座ではない。それは青豆のものでもないし天吾のものでもなく、もちろん牛河のものでもない。著者村上春樹による第三の視座。客観的ではあるがある意味では個人的な視座。一人の生きた人間が見た思いのこもった視座。そこから物語は一つでも多く枝を伸ばし葉を広げようとする樹木のように多義にわたって我々に展開をみせてくれる。









  1984年の4月、ハイエンドなオーディオシステムを搭載したタクシー(トヨタのロイヤル・クラウンサスーン)の中で29歳の青豆雅美はヤナーチェックの『シンフォニエッタ』を聴く。そして渋滞で足止めされた多くの人々が見守る中、首都高速道路三号線の緊急避難用階段を降りる。すべてはそこから始まる。




 川奈天吾は、文芸誌の編集者である小松祐二に一つの物語をリライトしてみないかと持ちかけられる。その物語は十七歳の深田絵里子、ふかえりが書いた『空気さなぎ』だった。その物語の世界では山羊の死体を通してリトル・ピープルが現れ、空気さなぎの作り方を少女に教えた。そして空には二つの月があった。





小さな月と、大きな月。それが並んで空に浮かんでいる。大きな方がいつもの見慣れた月だ。満月に近く、黄色い。しかしその隣りにもうひとつ、別の月があった。見慣れないかたちの月だ。いくぶんいびつで、色もうっすら苔が生えたみたいに緑がかっている。

―Book1 p351





 
 青豆と天吾は私達の前に交互に現われる。


 青豆は広尾にあるスポーツ・クラブにインストラクターとして勤めている。そのクラブの護身術のクラスを通じて「柳屋敷」の女主人緒方静恵とその警護を担当する田丸健一と交流を持つようになった。そして、青豆は緒方に大塚環の話をした。
 青豆と大塚は学生時代から親友以上に深く結びついた関係であった。大塚は二年間の結婚生活の後、自宅で首を吊って自殺した。原因は夫による執拗で陰惨な暴力だった。青豆は大塚の夫に激しい怒りを感じた。そして時間をかけ周到に計画を練り、躊躇なく冷静に的確に男の頭上に王国を到来させた。
 緒方は自分の娘も同じような経緯で失ったこと、自分がその男に対しどのような制裁を加えたかを青豆に語る。「柳屋敷」の女主人は男から暴力を受けた女を引き取り、青豆は女の敵なる男を別の世界へと移していく。



 天吾はふかえりの保護者である戎野隆之から、1960年代、理想を求めた学生たちが自給自足のコミューン『さきがけ』を立ち上げたこと、その指導者こそがふかえりの父親である深田保であったこと、それが後に宗教団体となったことを聞かされる。
 そして予備校で数学を教えながら『空気さなぎ』をリライトし、十歳年上の射精のタイミングに対して極めて厳格な人妻である安田恭子と性交する。




 青豆と天吾は小学三年生と四年生の二年間、同じ学校の同じクラスになっていた。ある日の放課後、青豆と天吾は教室の中で二人きりになった。そこで二人は一度だけ手を握った。青豆は天吾の手を握り、力をこめた。そして二人は目を合わせ、瞳の奥にある透明な深みを感じとった。
 それは成長した二人の心にも強く残りつづけた。青豆の心は天吾と奇跡的に再会することを求め、天吾の心には少女であった青豆の手の感触と温もりが残っていた。

 





 おそらく、1984年であれば二人に奇跡は起きなかっただろう。ものごとはそんなに都合よく運ばない。人が何かを失ったとき、心には確実に穴が開く。そこに痛みを感じ、悲しみは肉にくいこみ、やがて訪れる空虚に身を覆われる。欠けた心は決して元には戻らない。それに対し、成すすべはなく、処方箋もない。長い時間をかけて人はそのことを思い知る。そして欠けた心のまま生きていくことを強いられる。慣れることはなく、欠けた部分を見るたび悲しみ、そこに触れるたびに痛みを感じる。
 だが、そこは1Q84年だった。空に月が二つあるくらいだ。何が起きても不思議はない世界だった。小さなものが性行為抜きに受胎され光を帯びる世界であり、意識の底で息子が父親と和解する世界だった。その世界で青豆と天吾は出会い、猫の町を離れる。世界の入り口であり出口であるその場所に向かう。二人が信じるのと同じくらいに我々も信じる。





ここは見世物の世界

何から何までつくりもの

でも私を信じてくれたなら

すべてが本物になる






 私達はページをめくり、本を閉じる。私達には夜のベランダですべきことがある。でも、その前に身体を温める必要がある。手鍋に牛乳を沸かし、ココアの粉を溶かす。普段、ココアを飲む習慣がなくてもここではココアをつくる。それをマグカップに注ぐ。そしてそれを手に夜のベランダに出る。
 青豆と天吾のことを思い、青豆の中に宿る小さなものを思い、意識の世界でドアを叩き集金していた天吾の父親のことを思い、「柳屋敷」の女主人と躊躇のないプロであるタマルのことを思う。そして知覚するものであったふかえりのこと、結果的に物語の車輪となり青豆と天吾を元の世界へと運んでいった牛河のこと、真四角の真っ白な部屋に懲りた小松のこと、「さきがけ」の坊主頭と無口なポニーテールのこと、苦痛の世界から無痛の世界に移されたリーダーのこと、はやしたてるリトル・ピープルのこと、多くの知識を持った戎野のこと、暴力の下敷きにされ自ら生命を絶った大塚環のこと、公務員らしからぬ生き方をした中野あゆみのこと、一度死んだことのある安達クミのこと、夜の深い森にいるフクロウのことを思い、ベランダから見える地上を見る。
 そこには児童公園はなく、すべり台もない。もちろん空を見上げる天吾もいない。だが、私達は温かいココアを手にして夜の冷えた空気を感じることができる。ここは「1Q84年」でもなければ「1984年」でもない。

 
 そして空を見上げる。そこには月が一つあるだけだ。常に地球とバランスを保ち、浮いている月だ。一日が終わり闇が幕を下ろしたあと、私達の足下を照らす月だ。私達はその明かりを頼りに新たな森に出かける。