2010年4月2日金曜日

『メリンダとメリンダ』

映画『メリンダとメリンダ』 『Melinda and Melinda』
(2004)

監督,脚本,ウディ・アレン(Woody Allen 1935.12.01- )

撮影,ヴィルモス・ジグモンド(Vilmos Zsigmond 1930.06.16- )

出演,ラダ・ミッチェル(Radha Mitchell 1973.01.01- )

クロエ・セヴィニー(Chloe Sevigny 1974.11.18- )

ブルック・スミス(Brooke Smith 1967.05.22- )

ウィル・フェレル(Will Ferrell 1967.07.16- )

アマンダ・ピート(Amanda Peet 1972.01.11- )

キウェテル・イジョフォー(Chiwetel Ejiofor 1974.07.10- )

ウォーレス・ショーン(Wallace Shawn 1943.11.12- )

ラリー・パイン(Larry Pine 1945.03.03- )






メリンダとメリンダ オフィシャルサイト






 レストランにて食事中、とある女性のエピソードを聞いた二人の劇作家-一人は悲劇作家マックス(ラリー・パイン)、そしてもう一人は喜劇作家サイ(ウォーレス・ショーン)が想像をふくらませて語るエピソードが映画の本編となっています。


 この写真のポスターにあるとおり、ウディ・アレンが持つ二つの仮面(ペルソナと解釈していいだろう)が繰り広げる対照的なドラマツルギーがこの映画の(またはウディ・アレン映画の)すべての元となっているのではないでしょうか。

 そして、この映画でもウディ・アレンの配役の妙は、他の映画監督のそれとは比較にならないほど際立っています。喜劇作家は喜劇作家然とした顔をしているし、悲劇作家は悲劇作家然とした顔をしています。そして、付け加えるならば、喜劇作家の顔の中には、それと同時に悲劇的な一面を持ち合わせているし、悲劇作家の顔の中にもそれと同時に喜劇的な一面を持ち合わせている。

 わかりにくいかもしれないが、つまりは、あらゆる喜劇には悲劇的側面があり、また、あらゆる悲劇には喜劇的側面がある、ということだ。

 対照的に思える二つの側面も、似かよった部分というのは必ず存在するものだ。


 誰かが語るエピソードが映画の本編となっている、という観点から見ると、「ギター弾きの恋」(SWEET AND LOWDOWN)と共通している。
 ジャンゴ・ラインハルトに傾倒しているギタリスト、エメットの伝説的エピソードをウディ・アレン等演じるジャズ批評家が語り、その回想録が映画の本編となっている。






 


Comic or tragic,the most important thing to do is to enjoy life while you can because we only go round once,and when it's over,it's over.

 悲劇でも喜劇でも 生きてるうちが華だ

 人生は一度きり 死んだら おしまいさ



 「メリンダとメリンダ」のアメリカ公開当時、ウディ・アレンは69歳。そこから出てきたこの台詞には意味深いものを感じずにはいられない。