1992年4月、ひとりの青年がアラスカ山脈の北麓、住むもののない荒野へ徒歩で分け入っていった。四ヵ月後、ヘラジカ狩りのハンターたちが、うち捨てられたバスの車体のなかで、寝袋にくるまり餓死している彼の死体を発見する。彼の名はクリス・マッカンドレス、ヴァージニアの裕福な家庭に育ち、二年前に アトランタの大学を優秀な成績で卒業した若者だった。知性も分別も備えた、世間から見れば恵まれた境遇の青年が、なぜこのような悲惨な最期を遂げたのか?-『荒野へ』(訳,佐宗鈴夫) より抜粋
アメリカの首都ワシントンD.C.の郊外に位置するバージニア州のアナンデールは人口6万人弱、その6割が白人で占める都市である。ウォルト・マッカンドレスはNASAでアンテナの専門家として職務に就き、その後経営コンサルティングの会社を興し、まずまずの成功を得ていた。
クリストファー・マッカンドレスはそういった白人社会の裕福な家庭の中で何不自由なく育ち、ジョージア州アトランタにある最難関大学の一つであるエモリー大学で歴史と人類学を専攻し、優秀な成績を修め、卒業した。
多くのセンシティブな若者がそうであるように、クリストファー・マッカンドレスは今そこにある社会に、政治に、(人々が言う)成功に、そして両親に対して懐疑的で、少なからずの否定的な感情を抱えて生きていた。
1990年に大学を卒業した彼は、両親から与えられていた学資預金のほとんど全てを貧困と飢饉を解決しようと活動している団体に寄付し、クレジット・カードと身分証明書を破棄し、必要最低限の荷物だけを手に"Meaning of Life"を求め旅に出る。
息子が行方不明だと知った両親は必死で彼を探した。そして心配した。危険な目に遭い、自分たちに助けを求める息子の夢を見た。何度も。
息子が何を考えていたのか、何に対し不満を持っていたのか彼らには分からなかった。自分たちも卒業した優秀な大学を出て、大学院に進み、そして社会的な成功を得る。そこに必要なだけの資金を出し、卒業記念に新車を贈る。現時点では息子は既に持っていることを知らないだけなのだ。息子はいずれそのことを理解し、感謝するに違いない。そう思っていた。
両親が自分に与えてくれる経済的な余裕や不自由ない生活はクリストファー・マッカンドレスの心を満たさなかった。両親が自分に対してする行動の奥に両親の本当の気持ちを感じ取れなかった。自分は与えてもらいたいのではない。彼は手にあるものを(親が自分に持たせたものを)一度放り投げたかった。そうして何も持たない手で直に触れ、一つ一つ実感していきたかった。若さとはそれほど挑戦的であり無謀だった。そしてそれと同時に無限の可能性に満ちていた。
彼は疑問に思った。そもそも両親は心を持ち合わせているのだろうか。世間体や社会的な地位ばかり気にかけ、些細なことで言い争い、離婚の危機に何度も立ち、人生に疲弊しているように思えた。事実、彼らの顔は満たされ輝いているようには見えなかった。
心とは、人生の真価とは、彼はその答えを小説の中から見出そうとした。そして多くの本を読んだ。レフ・トルストイ、ジャック・ロンドン、H・D・ソロー。小説の世界に潜りこみ、そこで著者と対話した。
自分には経験が足りない。圧倒的に。クリストファー・マッカンドレスはそこにたどり着いた。時が来たら、自分の身を放り出そうと強く決めた。そこで自分の身一つで、歩き、触れて、目にし、感じるものなら信じることができるだろう。アメリカに、荒野に身一つで向きあう。それを想像するとき彼の心は熱くなった。
そうしてクリストファー・マッカンドレスはアラスカの荒野を目指した。
クリストファー・マッカンドレスはアラスカの荒野の中で3ヶ月過ごした後、下山を決意し、荷物をまとめ、住処にしていたバスをあとにする。
その途中、越えなければいけない川が増水していることに気づく。水の温度は冷たく、橋があるわけでもない。数マイル登った上流に着けば、川幅は狭くなり、歩いて渡れる可能性も高くなるが、危険も多い。
クリストファー・マッカンドレスは最も安全な選択、元いた場所に引き返すことを選ぶ。
数日後、川が減水していたにも関わらず再下山を試みようとはしなかったようだ。彼の日記にはその原因、理由についての記述はなかった。そして謎の餓死を遂げる。
下山を試み、引き返す。そこからクリストファー・マッカンドレスの身に何が起こったのかは分かっていない。唯一分かっていることは死んだというはっきりとした事実。そしてその原因は飢えによる衰弱死だったということ。
監督のショーン・ペンはアラスカに行き、クリストファー・マッカンドレスが"Magic Bus"と呼んでいたバスを目の前にする。原作にあるとおり、近くには川がある。見たところ何とか渡れそうな水量だが気候によって増減が激しいという。
そして辺りを見渡す。動くものが何もない。時が止まっているように感じる。木々と山々に囲まれ、建造物は何もない。あるのは済みきった空気と遥か上空に広がる空だ。そして厳しく冷たいアラスカの冬がある。
ショーン・ペンは"Magic Bus"の横にある小さな椅子に腰かける。クリストファー・マッカンドレスが最後に撮ったといわれる写真にあるのと同じように。
一旦目を閉じてみる。風が肌を冷やす。木の枝が揺れている音がする。少し遠くで水が流れる音もする。そして目を開ける。クリストファー・マッカンドレスに自分の身を重ねる。そこから何を見ていたのか。そして何を考えていたのか。
クリストファー・マッカンドレスの死後、父親であるウォルト・マッカンドレスは彼が過ごしたアラスカを訪れる。そして息子が生活していた"Magic Bus"と"荒野"を目にし、こう語った。
この短い訪問で、息子がなぜこの地にやってきたのか、いくらか理解できた、と彼は言った。クリスについてはまだわからないことだらけだし、それは永遠にわからないだろうが、これで、わずかながら納得できたこともあったのだ。こうして多少でも気持ちが慰められたことを、彼は感謝していた。- 『荒野へ』 「エピローグ」より抜粋
映画『イントゥ・ザ・ワイルド』 (『INTO THE WILD』)
(2007)
監督,製作,脚本,ショーン・ペン(Sean Penn 1960.08.17- )
原作,ジョン・クラカワー(Jon Krakauer) 『荒野へ』(集英社)
撮影,エリック・ゴーティエ(Eric Gautier 1961 - )
出演,エミール・ハーシュ(Emile Hirsch 1985.03.13- ) ... Christopher McCandless
ウィリアム・ハート(William Hurt 1950.03.20- ) ... Walt McCandless
キャサリン・キーナー(Catherine Keener 1960.03.26- ) .... Jan Burres
クリステン・スチュワート(Kristen Stewart 1990.04.09- ) .... Tracy Tatro
マーシャ・ゲイ・ハーデン(Marcia Gay Harden 1959.08.14- ) ... Billie McCandless
ジェナ・マローン(Jena Malone 1984.11.21- ) ... Carine McCandless
ヴィンス・ヴォーン(Vince Vaughn 1970.03.28- ) ... Wayne Westerberg
映画『イントゥ・ザ・ワイルド』オフィシャルサイト
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