2010年4月20日火曜日

『百年恋歌』




映画『百年恋歌』 (『最好的時光』)
(2005)

監督,ホウ・シャオシェン(Hou Hsiao-Hsing 侯孝賢 1947.04.08- )

脚本,チュー・ティエンウェン(Chu Tien-wen 朱天文 1956.08 - )

撮影,リー・ピンビン(Lee Ping-bin 李屏賓 1954 - )

出演,スー・チー(Shu Qi 舒淇 1976.04.16- )

チャン・チェン(Chang Chen 張震 1976.10.14- )










 台湾映画。 歴史に触れずに見ることはできない映画でした。


なので台湾の歴史を少し調べてみました。
(台湾だったり、チベットだったり、ウイグルだったり中国大陸の歴史は入り組んでます)






(Wikipediaのページを飛び交うことによって得た個人的解釈に基づく)台湾の歴史

 ざぁっと飛ばして、清朝の台湾省だった台湾本島と周辺諸島は、日清戦争でなぜだか勝っちまった日本と敗北した清朝間で調印された下関条約 (1895)によって永遠に日本のものとされてしまいます。
 その日本による統治は第二次世界大戦の終戦(1945)まで続き、統治下で台湾の人々は大日本帝国国民とされ日本軍の食糧補給基地としての役割 を与えられます。

 今現在の台湾は、中華民国が実効支配していますが、中華人民共和国は台湾を自国の領土と主張し、双方で係争中の関係が続いています。

 では、清朝の領土であり、日本の領土となった台湾がどのような経緯を経て現在にいたったのか、さらにWikipediaを読んでみました。




 1915年に孫文(後に袁世凱と対立し、中国国民党を創建)を初代臨時大総統として成立した中華民国が清朝の後をとる形で中国本土を統治。
(ですが、当時中国本土は日清戦争の敗北があったり、辛亥革命があったりと怒涛の時代を迎えていました)

 中国国民党による中華民国は、毛沢東を代表とする中国共産党とアジア総植民地化を目論む大日本帝国軍と対立し続けていました。
(上海クーデターだったり、日中戦争だったり。つまり、外にも内にも敵がいたというわけです。本当に怒涛の時代だったわけです)


 そんな戦乱の最中、あの第二次世界大戦が開戦されます。
イギリス、フランス、アメリカ合衆国、ソビエト社会主義共和国連邦、中華民国を主として構成された連合国と、日本、ドイツ(ナチスドイツ)、イタ リアによる枢軸国との戦争です。

 ナチスドイツ打倒のため表面上は手を組んだアメリカとソ連が不気味です(冷戦の始まりでしょうか)。
ちなみに世界大戦中、中国国民党と中国共産党は国共合作という協力関係を結び大日本帝国と対戦します。ですが、その裏、中国国民党の背後にはアメ リカが、中国共産党の背後にソ連の姿がありました。

 第二次世界大戦終戦後(1945)は、大戦後の世界の縮図の利害を求め、西側の民主主義国家と東側の社会主義国家の両者が画策を続けます。(ド イツや朝鮮半島が二分されたのもこれが原因です)
 中国大陸では、国民党と共産党との対立が激化します。一時は国民党が大陸の大部分を支配していましたが、大戦後はアメリカからの援助が激減(冷 戦と朝鮮半島問題によって)、共産党はソ連の援助と敗戦した日本の兵器を得て軍事力を高めました。
 結果、国民党(中華民国政府)は台湾島へ退却。1949年、共産党は中華人民共和国を建国し、中国大陸を統治する。



 こうしてみても理解が難しい。

 つまり、国際政治上で「中国を代表する正統な国家」として承認されている中華人民共和国は台湾島の領有権を主張。国際社会はこれを否認するわけ にはいきません。
 一方、台湾本島の世論は、台湾島は中華人民共和国の主権に帰属するものではなく、中華民国という国家のものであると認識。

 結果、台湾はオリンピックに出場する時は「Chinese Taipei」(中華台北)と呼ばれ、世界貿易機関 (WTO) には「Separate Customs Territory of Taiwan, Penghu, Kinmen and Matsu」(台湾・澎湖・金門・馬祖個別関税領域)と呼ばれるようになりました。

 両国家ともに国民の90%以上(中国本土の92%、台湾の98%)が漢民族であるという点がその微妙なバランスを支えている。要するに民族は同 じじゃんか、ということです。もちろん、それに相反する考えもありますが。



 さらにややこしいことに、1990年代に入って中華民国とは別の「台湾」という国家を創り上げる台湾独立運動が活発化。中華人民共和国はこれに 強硬な姿勢をとり、反分裂国家法(2005)を施行。この法案は、台湾が独立を宣言したときに対するあらゆる武力行使を正当化するものであり、今現在は緊張関係に至っていないものの今後のアジアの不安要素として挙げられています。











 侯孝賢(ホウ・シャオシェン)は、大戦終了直後の1947年に中国本土の広東省で生まれ、幼少の頃に台湾に移住し、現在、台湾ニューシネマを代 表する監督の一人です。

 1947年は台北市で台湾大虐殺とも呼ばれる二・二八事件が起こった年でもあります。
(終戦を機会に、台湾の統治権は日本ではなく中国本土を追いやられた蒋介石を代表とする中国国民党政府のものとなります)

 この中国国民党。本土では軍事力や暗殺部隊にものを言わせる武力行使で支配権を広げていったのです。また、それに対抗する中国共産党は、反国民 党の農家などの多数の支持を得て、敗戦した日本が残した兵器を確保することによって軍事力を国民党と拮抗するほどのものとしました。


 ですから、日本から解放されたようにも見える台湾ではアメリカを背後につけた蒋介石の中国国民党政府による圧倒的な武力行使による恐怖政治が行 われました。これが二・二八事件をきっかけとして始まり、1987年に戒厳令が解除されるまで38年間施行されることとなったのです。1895年の下関条 約から数えれば92年間、他国に支配されていたことになります。

 当時、台湾の人々は「犬去りて、豚来たる」(犬(日本人)は五月蠅くとも役に立つが、豚(国民党)はただ貪り食うのみ)と言ったほど中国国民党 政府は腐敗しきっていたようです。


 ホウ・シャオシェン監督自身、戒厳令解除のわずか2年後に二・二八事件を描いた映画『悲情城市』(1989)を制作しています。







 この『百年恋歌』は、1966年、1911年、2005年という3つの時代に生きる男女を描いた映画です。
それぞれの時代に「恋愛の夢」、「自由の夢」、「青春の夢」とタイトルがつけられており、オムニバス映画の形をとっています。そして、それぞれ 違った時代の章に出てくる男女はまったくの同一人物が演じています。

 同じ人物同士でも時代が違えば二人の出会い(そして別れ)も違うということなのでしょう。人生は自国の歴史に大きく左右されてしまう。戦争直後 に生まれ、混乱の最中に青春時代を向かえ、成長した監督自身の経験が重なって見えます。自分が生まれる前のこと、自分が青春時代を過ごした時のこと、今後 の若者が青春を迎えていく時のこと。

 三つの時代の男女はそれぞれ違った形で出会い、恋に落ちますが、決してハッピーエンドでは終わりません。
これは映画なんだから、とハッピーエンドにすることもできたはずです(1966年の二人なんか特に)。
でもそうしなかった。それが印象的でした。


 素晴らしい映画。それを言うだけなのに。

 歴史は長い。