2010年10月10日日曜日

長いお別れ




『長いお別れ』

著者,レイモンド・チャンドラー

訳者,清水俊二

出版社,早川書房



 1939年にデビューし、1959年に亡くなるまで小説を書いていたアメリカ合衆国シカゴ生まれの小説家レイモンド・チャンドラーの代表作。

 ロス・アンジェルスで私立探偵を営むフィリップ・マーロウを主人公としたシリーズ作品の中の一つ。

 窓際のブラインドが下げられ、煙草の煙がこゆらぐ室内。天井でカタカタと回るシーリング・ファン。そこを訪れる場違いな香水の匂いと高いヒールの靴音。室内にいるのは元地方検事局の捜査官のフィリップ・マーロウ。気に入らない仕事は決して引き受けず、厭世的で皮肉を混じらせたユーモアと孤独を好む男。

 時代が違えばいわゆる"ハードボイルド小説"と取られてしまうかもしれませんが、何事もひとくくりにはできなくなってしまった現在、この小説の真の棚分けは難しいのかも知れません。『ロング・グッドバイ』として新訳した村上春樹さんは『The Long Goodbye』を"準古典小説"と棚分けしています。


 フィリップ・マーロウの一人称の語りで物語は進む。その語りには厭世的で皮肉を混じらせたユーモアがあり、装飾に次ぐ装飾、喩えに次ぐ喩えの連続がある。

 たとえば、フィリップ・マーロウがバーで見かけた金髪の女性を一頁以上にわたって喩える語りがある。

 金髪の女は珍しくない。金髪ということばがしじゅう洒落や冗談につかわれているほどだ。どの金髪にもそれぞれの特色があった。ただ一つの例外は漂白した金属のような金髪で、その性格は舗道のように味わいがない。しじゅうおしゃべりをしている小柄で可愛い金髪もあるし、氷のように碧い瞳で男をよせつけない大柄でものものしい金髪もある。色あいがよく、きらきら輝いて、男の腕にすがることを慣わしとして、送って帰るときはいつも疲れきっている金髪もいる。いざとなると、ひどい頭痛がするといいはじめて、男はなぐりつけてやりたくなるのだ。もっとも、時間と金と希望をつぎこみすぎないうちに頭痛戦術がわかったことを喜ぶ男もいるだろう。頭痛はいつでも使える武器で、刺客の刃かルクレチア(ルクレチア・ボルジア)の毒薬のびんほどの効き目があるからだ。
 どんな男ともすぐしたくなる酒の好きな金髪もいる。彼女はミンクでさえあれば何を着ようと頓着をしないし、ガラスの天井の下でシャンペンが飲めればどんなところへでもよろこんでついてくる。いつでも友だちづきあいのつもりで、男に迷惑をかけたがらず、健康と常識を充分に持ちあわせていて、柔道にくわしく、《サタディ・レヴュウ》の社説を一行もまちがえずに覚えているというのに、トラックの運転手に背負い投げをくわせることぐらいは朝飯前だという元気のいい金髪もいる。命にはかかわらないがどうしても治らない貧血症のうすい、うすい金髪もいる。きわめて生気がなく、なんとなく影がうすく、どこでしゃべっているのかわからないような低い声でものをいい、だれも手を出すものはいない。一つには手を出す気になれないからであり、一つにはいつも『荒地』(T・S・エリオットの長詩)か原文のダンテを読んでいるか、カフカやキェルケゴール(デンマークの宗教思想家)を読んでいるか、プロヴァンス語を学んでいるからである。こういう女は音楽が好きで、ニュー・ヨーク・フィルハーモニックがヒンデミットを演奏しているとき、六人のコントラ・バスのうちの一人が四分の一拍子おくれたことを指摘してくれる。彼女のほかには、トスカーニも指摘できるそうだ。
 そしてさいごに、次々に結婚した三人のギャングの大親分が三人とも殺され、その後百万長者と二度結婚、一人から百万ドルずつもらって、アンチーブ岬(フランスの避暑地)のばら荘に住み、運転手と副運転手がいる"アルファ・ロミオ"をのりまわしている眼のさめるような金髪がいる。こういう女の邸にはいつも大勢の貴族くずれがあつまり、召使が老侯爵のまえに出たときのようにあしらわれている。
 向こうの端の"夢の女"はこれらのどの種類の金髪でもなかった。山にわきでる泉のように澄んでいながら、その色のようにとらえどころがなく、分類することがむずかしかった。私のひじのすぐそばで私に呼びかける声が聞こえたとき、私はまだ女の方を見つめていた。


 こういった装飾や比喩が読めるかどうかでレイモンド・チャンドラーが読めるかどうかが決まると思う。ただ、これほどまでに自己完結している小説は珍しいのではないでしょうか。




 あらすじは、とある日フィリップ・マーロウは、高級クラブの前に停められたロールスロイス社製のシルバー・レイスの車内でぐでんぐでんに酔っ払って眠っているテリー・レノックスと名乗る男と出会う。裕福というだけで何もかもを勝ち得たかのような気になっている女に無碍にあしらわれているテリー・レノックスにフィリップ・マーロウは好感を持ち、一宿一飯の面倒を見る。

 そのあと、フィリップ・マーロウとテリー・レノックスは何度かバー〈ヴィクター〉に出かけて、ギムレットを飲んだ。テリー・レノックスは自分を無碍にあしらった大金持ちのハーラン・ポッターの娘シルヴィアと再婚し、得るものを得て、失うものを失った。

 二人が会わなくなった一ヶ月の朝五時にテリー・レノックスはフィリップ・マーロウの自宅に突然現れる。その手には拳銃が握られていた。

 テリー・レノックスが何かしらの犯罪に関わっていると知りながらフィリップ・マーロウは彼を空港に送り、高飛びの手助けをする。そして、そのことで警察に引っ張られて留置所に入れられ手荒い事情聴取をされるが、フィリップ・マーロウは友人をひとかけらも売りはしなかった。

 屋敷の別館で浮気を繰り返していた妻を射殺し、青銅の猿の置物で顔の原型がなくなるまで殴った、というのがテリー・レノックスにかけられた容疑だった。どんなことがあろうともあの男にそこまで酷いことはできるはずがない、フィリップ・マーロウは固くそう信じていた。

 だが、テリー・レノックスは高飛びしたメキシコの田舎町オタトクランで拳銃自殺をした。フィリップ・マーロウに一通の手紙を残して。億万長者の娘の惨殺事件は、その犯人であろう夫の自殺によって半ば強制的に幕を閉じた。

 フィリップ・マーロウはこれ以上事件を大きくされたくない誰かに雇われた弁護士によって釈放され、メンディ・メネンデスというギャングのボスにレノックス事件から手を引けと脅される。


 常に何かがどこかで釈然としない中、アルコール中毒でありベストセラー作家でもあるロジャー・ウェイドの行方を捜して欲しいという依頼を(ロジャー・ウェイドの編集者であるハワード・スペンサーを通じて)妻のアイリーン・ウェイドから受ける。

 フィリップ・マーロウはアルコールに溺れ、自堕落な生活をするロジャー・ウェイドとテリー・レノックスの姿を重ねて見ていたのかもしれない。もぐりの医者をしているヴァリンジャーの下からロジャー・ウェイドを救い出し、湖岸に建てられた彼の家に送った。

 〈ヴィクター〉でギムレットを飲んでいたシルヴィアの姉リンダ・ローリングと出会い、彼女の夫であり医師であるエドワード・ローリングがアイリーン・ウェイドの主治医であり、医師による専門的な処方箋にしたがって彼女に麻薬性鎮静剤を瓶ごと与えていた。


 ロジャー・ウェイドの件を引き受けたとは言わないものの、ロジャー・ウェイドから(あるいはアイリーン・ウェイドから)呼び出されれば家まで出向き、面倒をみるようになる。




 だが、ロジャー・ウェイドもまた拳銃自殺した。

 確かにロジャー・ウェイドは何かに悩み苦しみ、それをアルコールで埋めようと飲み続けていた。泥酔し、朦朧とした意識の中で机の引き出しにしまってあった拳銃を取り出し、こめかみに当て、引き金を引く。しかしそれにしては不可解な死に方だった。


 ロジャー・ウェイドは酔っていよう酔ってなかろうと、常にタイプライターを叩いていた。だが、自分が死ぬという時なのに遺書のようなものを書き残してはいなかった。

 湖の水上を走るスピードボードの音が最も大きくなるタイミングで引かれた引き金。

 妻のアイリーン・ウェイドは鍵を忘れたと家の呼び鈴を鳴らし、さらにその日が召使の休日である木曜日ということも忘れていた。


 すじが通っていないことが多すぎた。そこには絡み合った事情があり、痴情があった。フィリップ・マーロウは最初から最後まで亡き友人にかけられた罪をはらすことだけを考え行動していた。












 清水訳『長いお別れ』と村上訳『ロング・グッドバイ』で最も違うところは台詞だというのが多くの読者の声のようです。

 映画字幕翻訳家でもある清水さんは色んなところをすっ飛ばして翻訳し、小説家である村上春樹さんは原文に忠実に翻訳している。



 たとえば、第34章の冒頭はこう違う。


(清水俊二訳)
 街道から丘の曲がり角までの舗装が破損している道が真昼の暑さのなかで踊って、両がわの乾ききった土地に点在しているくさむらが埃を浴びて小麦粉のように白くなっていた。草の匂いがむっと鼻について、吐き気を催しそうだった。なまあたたかい風がかすかに吹いていた。私は上衣を脱ぎ、シャツの袖をまくりあげていたが、車のドアが熱くなっているので、腕をやすませることもできなかった。かしの木立ちにつながれた馬がものうげに仮睡(いねむり)をしていた。褐色の皮膚の道路を横ぎってころがってきて、地面から岩が露出しているところでとまり、いままでそこにいたとかげが少しも動いた様子がないのにいつのまにか見えなくなった。



(村上春樹訳)
 ハイウェイから降りたあとの、丘の曲がり口まで続く未舗装道路は、正午近くの暑気に踊るように揺れていた。道路の両脇の太陽にあぶられた土地には、低木が散在していたが、花崗岩の粉塵を浴びて見事に真っ白になっていた。草いきれの匂いは吐き気を誘うほどむっとしている。微かに吹く風は熱く希薄で、とげとげしさがあった。私は上着を脱ぎ、シャツの袖をまくり上げていたが、ドアは熱すぎて腕を置くこともできなかった。繋がれた一頭の馬が、樫の木立の下でくたびれきったようにまどろんでいた。肌の浅黒いメキシコ人が地面に座り、新聞紙に包まれた何かを食べていた。枯れ草のかたまりが風に吹かれて大儀そうに転がり、道路を横切っていった。それが剥き出しになった花崗岩にぶつかって止まると。そこにいた一匹のトカゲが一瞬間を置いてから、動いた気配もなくさっと消えた。