2011年4月13日水曜日

無題 4月9日

 





4月9日、午前2時頃、母方の祖母が亡くなった。享年81歳。

1週間前の深夜に頭の痛みを訴え、救急車で救急病院に運ばれ、意識を失い、そのまま逝去した。
小脳の中の血管が破裂し、脳内に血液がたまっていたとのことだった。


東京にいた僕はその報せを聞いてすぐに大阪に向かった。祖母と別れ、その死を弔うために。

その夜の晩に通夜、翌日に告別式が行われた。限られた親族だけで行われた葬式はそれはそれで温かみのあるものだった。






僕は祖母の死を弔うことができたのか。






できたと思っている。










以前、祖母のことを思って書いた文章がある。

それを再掲します。祖母に捧げて。

大好きだった海に潜っていて欲しい。






















『誕生日の子どもたち』という短篇小説集があります。著者はアメリカの小説家トルーマン・カポーティ。翻訳したのは村上春樹です。


トルーマン・カポーティは19歳のとき『ミリアム』という小説でデビューし、若き天才作家として注目されました。そしてその注目は形を変えるもののずっと続いていきます。
初期のころの作品によく見られるのは、カポーティ自身の幼いときのイノセントな原体験をもとにした小説です。それは、無垢な少年の、どこか物悲しいけれども限りなくピュアな心を、そのまま真空で閉じ込めたかのような小説でした。 

後期は、まあ、人間いろいろとあるもので、(けれども)それはそれで何とか新境地を切り拓いていこうとするわけですが。そう簡単にはいかず。(でも『冷血』なんていう名作も残しました)

その初期の短篇を収めたのが『誕生日の子どもたち』です。

この中のいくつかの短篇に、ずっと幼いときの子どもの頃のカポーティが出てきます。
6歳のカポーティは、両親の育児放棄によって、アラバマ州の山奥にある遠縁の親戚の家に預けられます。
そこにいたのがカポーティより遥かに歳上の、60歳は越えていただろういとこのスックでした。
身内からは知恵遅れと見なされていたおばあちゃんいとこのスックですが、そのこころねは誰よりも優しく、純粋なものでした。

おばあちゃんいとこのスックはカポーティ少年に降り注ぐ太陽の光のような愛情を与え、カポーティ少年は葉を広げた樹木のようにそれを求め、受け止め、そして吸収しました。


11月も終わりに近づきアラバマに冬の訪れが感じられるようになると、おばあちゃんいとこのスックとカポーティ少年は、フルーツケーキを作る準備をし始めます。
クリスマスのギフトとしてみんなに振る舞うために。
そして12月になると二人はクリスマス・ツリーにするモミノキを切りに山の中に出かけます。その切り取った重いモミノキを誇らしげに持ち帰り、二人は飾り付けをします。カポーティ少年が猫や魚の絵を描き、おばあちゃんいとこのスックがそれを切り抜きます。

クリスマス・イブの夜、寝つけない二人は明日のディナーに、自分たちが作ったフルーツケーキがみんなの食卓に並ぶ光景を想像します。そしてそれをおいしそうに食べて満足している姿を。

次の日の朝、二人は手作りの凧と凧を交換します。カポーティ少年が本当に欲しいのは自転車で、おばあちゃんいとこのスックが本当にあげたい贈り物は自転 車でしたが、二人には手の届かないものでした。でも、二人は自分がもらった贈り物の中で一番うれしかったのは凧だと言います。なにしろカポーティ少年とお ばあちゃんいとこのスックは凧あげの名人だったから。
二人はすぐに外に出かけ、凧の糸をほどき、空に放ちます。凧は空の風の中を魚のように泳ぎ、二人は手に魚を釣り上げたような手ごたえを感じました。

それですっかり満足して、草の上に寝ころび、太陽の光を浴びて、凧が空をはねまわるのを眺めます。
そして、いやなことを忘れて最高に幸せな気持ちに満たされるのでした。

それがカポーティ少年とおばあちゃんいとこのスックの二人がともに過ごした最後のクリスマスでした。



この小説を読むたびに、自分の幼いときのイノセントないくつかの思い出がよみがえります。そして、自分のおばあちゃんのことについても。

僕の母方の祖母は、生まれつきの弱視だったのか、突然の病でそうなったのかどうかはよく分かりませんが完全な盲目です。
祖母が光を失った-あるいは失いつつあったとき、僕は8歳か9歳だったので詳しいことは分かりません。それどころか、祖母がどういう人だったのか、どうい う町に生まれただとか、どういう家庭に育ったのだとか、今現在その家族はどうしているのかとか、幼かったときはどんな子であったのかとか、祖父とどのよう にして知り合い、どのように結婚に至ったのかとか、その上で楽しかったこと、または苦しくて声も出なかったことはどのようなことだったのか。考えてみれば 祖母のことについては盲目であるということ以外、何も知らずにいます。

光を失い、色を忘れて久しく歳月を経た人に対していったい何が訊けるだろうか。色鮮やかな過去があったとしても、色鮮やかであるからこそ蓋が開くことのないどこかにそれを固く閉じ込めて今を生きているのではないか。

視力以外の知覚による世界に慣れること、見えないことを当たり前のことにしていこうと考えて今を生きているのではないか。そして、そこに辿り着くまでにどれほどのものを失い、閉じ込めてきたのだろうか。
だからといって目の見えない全ての人が暗い悲しみに飲み込まれているかというと決してそうではありません。どこまでも明るさを失わず、日々を楽しく過ごすことができている人もたくさんいます。

それでも日々の暮らしにおいて「大変でしょう」と声をかけられることがあるでしょう。そのような同情の気持ちを抱かれることを疎ましく思うときもあるか もしれません。大変なのは誰が見てもわかります。当人はその誰が見ても大変なところから動き始める決意をして、今に至っているのだから。
僕は祖母に―そういった決意のもとに生きている人を前にするとかける声を失う。


心のどこかに、もっとも自分らしい部分を潜める。それを解析したとすればおそらく自己そのものが出てくるだろうという核となる部分―場合によってスピ リットと呼ばれたり、たましいと呼ばれたりするそれ。 呼び方なんてどうでもいい。カサブランカでもいいし、からしマヨネーズでもなんでも。とにかく、[大事なもの]をブラック・ボックスに封じ込める。カサブランカを。
それが開けられないまま存在することによって、かろうじて自分の平衡が保たれている。盲目であるなしにかかわらず、多くの誰かが経験していることだ。


今の世に溢れていて、多くの人が欲すると同時に手に入れられるもの、そして持っているもの。たとえば、携帯電話、iPod、テレビ、車、パソコン、暑いときの冷えたビール、24時間営業のコンビニエンス・ストア。
それらのものがなかった時代に生まれた人々もいた。その時代に生まれた人は不便な思いをして、満足いかないまま日常を過ごしていたのかというと、そうではない。

これは勝手な想像だが、そういった時代に生きた人々は、ほんの少しの良き思い出、それを抱え、大切にしまい込み、想像力で色鮮やかに保存することによって満ち足りた日を送っていたのではないだろうか。


祖母は海に潜るのが好きだった。ダイビングというものではなく、素潜りというもの。それはどちらかというと海女さんがしているような素潜りで、長く潜る ことに喜びを感じるのではなく、海底に潜り、そこにいる獲物をつかまえることに喜びを感じているようだった。おそらく祖母は海の近くで生まれ育ったのでは ないだろうか。

僕は、祖母が少女時代に潜った海のようすを想像する。
水の中に潜った私は、水中から上を見上げ、水面を見る。陸から見た水面と今見ている水面がまるで違う。それに見とれて息をするのを忘れる。(ちょうどよかった。ここは海の中だ)
水の中で砂に触れるときの手触り。ゆっくりと揺れる海藻。岩の陰に隠れる小さな魚の群れ。潮の流れそのものが見えることもある。ふとしたことに感動する。
砂の上にそっと座り、足を組む。自分の心臓の音と体の中を巡る血液の音しか聞こえない。もう一度辺りを見わたす。ここにいるのは自分一人だと再認識す る。完全な孤独の世界、それでいて何かに包み込まれているような感覚。すっと目を閉じる。気持ちが落ち着いていく。心の中から余計な雑音が消え、自分が海 と混ざりあっていくのを感じる。

そして目を開ける。いつもの場所に自分がいる。海の中の私の場所。季節や潮の変化で少しは違ったりするけれど、基本的には何も変わらない。そこに戻るとすぐになじむ。すっかり見慣れているせいか、遠い過去からずっとそこにいたかのような感覚さえ覚える。






カポーティ少年にとってもそういう思い出はありました。そしてその幼いころの良き思い出を小説にすることによって保存し、いつでも眺められるようにした。
そこにはフィクショナルな脚色で色が変えられた部分があるかもしれないが、カポーティ少年はそれを抱えることで自分を守り、なぐさめ、そして何より生きようとした。

カポーティ少年は、その晩年『叶えられた祈り』という大作に取り組む。現代ヨーロッパおよびアメリカの富豪たちの生活を公私問わず描くことになるだろうその小説は、プルーストの『失われた時を求めて』に並ぶ大作だと公言する。
だが、結局、その大作をうまく完成させることができなかった。

『叶えられた祈り』は未完のままカポーティ少年はこの世を去る。未完成となった原因は、当初に考えていたようなプルーストの作品のようにはならないので はないか、と思い始め、そしてそれは確信へと変わったのだという説がある。虚栄と名声、搾取と策略、欺瞞と裏切り、そういった富裕な上流社会に必ずついて まわる生々しいものを独自の視点と切り口で見事に描ききるはずだった。
自信はあった。あまりあるほどに。だが、それを上回るほどことは生々しいものであった。そんな世界に手をつっこみ、体全体、頭の先までつかっていたと自分では思っていたが、芯までつかりきってはいなかったことにカポーティ少年は気づく。


カポーティ少年が海の底で見ていた景色は、バディーと呼ばれていた自分とおばあちゃんいとこのスック、そして犬のクイーニーが一緒に遊んでいるようすで あった。そこには100%純粋[one hundred percent pure]な、天然のはちみつのような行動原理が存在し、無垢な精神が太陽の下、陽の光を反射させていた。
そして、海の中から見上げて見えるその世界は本当の楽園のようだった。