2010年3月31日水曜日

アフリカの象

「アフリカの象は夜になると、そう、深夜の一時か二時頃になると山の中の洞窟に入るんです」

 奇妙な出来事だった。
自分から喋りかけるという印象を持たない彼が唐突に話をし始めた。

「象の群れは一頭残らず全部です。そしてその洞窟の中で象は、自分の牙をつかって、洞窟の中の壁をけずり、それを食べるんです。群れの象は皆そろって壁の土を食べるんです」

「そんな話はじめて聞いたよ」
僕は答えた。

「象の夜食は壁の土なんです。知っていましたか?このことを」
話をしていない時も彼の口は動いていた。

 何も言わないほうがいいと思い、僕は黙って話を聞いていた。

「あと、オットセイはある時期になると、子供だけがやせていくんです」
僕は彼の手を見た。
彼の手はとても強く握られていた。手のひらに爪がくい込み少し震えていた。

「その話もはじめて聞いたよ」
最初の自分の声が聞こえなかったことを考えて大きめの声で言った。さっき黙っていた分も含めて答えたつもりだった。
 とても難しかった。ただの返事の枠を超えていた。

「なぜかというと、イルカのえさになる魚は普段は海岸沿いにいて、たくさん獲れるんですが、その時期には遠く沖合いに出ないと獲れなくなるんです。だから、沖合いに出れないアザラシの子供はそういった理由でその時期とてもやせています」

 どうやら彼の中でオットセイはイルカになり、そしてアザラシになってしまったらしい。
出世魚というのは聞いたことあるが、この場合は何と言えばいいのだろう。
 僕は黙って、少し首を動かした。それが何かの返事に見えるように。

「ただ、それがどの時期だったかは忘れました」
彼の眼は遠く沖合いに出ているかのようだった。
 
 それはそうだろう。ふとしたきっかけで、オットセイはイルカになってしまい、そして元に戻ろうとしたオットセイがアザラシになってしまうくらいだから。それがどの時期だったかなんてことはこの際覚えていなくていい。

 僕はそう思った。












『ハリーズ・バー ―世界でいちばん愛されている伝説的なバーの物語』

『ハリーズ・バー ―世界でいちばん愛されている伝説的なバーの物語』

著者,アリーゴ・チプリアーニ

訳者,安西水丸

出版社,にじゅうに




 過去に読んだ面白い本はたくさんあるが、その中でも特筆に値するべきもの。

表紙右下は、アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Hemingway 1899-1961)の写真。

ヘミングウェイと父が頭に大きなソンブレロをかぶって写った、面白い写真がある。写真の中で父は笑みを浮かべているが、灰色のあごひげを生やしたヘミングウェイは、ずらりと並んだ空のグラスを前にして、夢現つのようだ。父とヘミングウェイの二人で、このグラスを空けてしまったのだろう。父が2日酔いから回復するまで、三日かかったのを覚えている。

―本文p74より抜粋




(少し長いかもしれませんが)あとがきを抜粋。


 ハリーズ・バーのことは、常識程度には知っていたが、こんな本があることは知らなかった。岩本氏の話を聞きながら、ぼくは、まあ、やってみるかといった気分になっていた。本の著者は、ハリーズ・バーの創業者、ジュゼッペ・チプリアーニ氏の御子息、アリーゴ・チプリアーニ氏だった。
 忙しい日がつづき、岩本氏の置いていった本もそのままにしていたのだが、ある日、意を決して読んでみて驚いた。面白いことは言うにおよばず、素晴らしい内容のものだった。人と人との出逢いの大切さ、優しさ、生きることの美意識、さらにそこには、ヨーロッパの歴史までもが織り込んでいた。
 この本は飲食店をはじめようとする人、またすでに飲食店を経営されている人ばかりではなく、多くの人に読んでもらいたい本だとおもった。オーバーではなく、この本を読んだ人と読まない人とでは、その人間の幅が大きく変わるのではないか。ぼくは本気でそんなことをおもった。もしかしたらチプリアーニ親子のしたことは、ごく当たり前のことでもあるかもしれない。しかし人間にとって、その当たり前なことがいちばん難しい。
 





 この本を読む前と読んだ後とでは、自分の中のある部分が、または本質そのものが変化してしまったのではないかという強烈な体験が、ごくまれにですが確かにあります。

 これは映画にも言えることであるし、もちろん映画や本だけに限らず人やあらゆる物にでも言えることだと思う。
 個性を形成している段階の途中で、自己の本質そのものを揺るがすような何かに出会うことは「偶然」という言葉では説明がつかない何かがあるような気がする。

 この本はまさにそういった本。