2010年7月28日水曜日

Pain is temporary. Quitting lasts forever.





『ただマイヨ・ジョーヌのためでなく』(『It's Not About the Bike』)

著者,ランス・アームストロング,サリー・ジェンキンス

訳者,安次嶺佳子

出版社,講談社










アメリカ合衆国テキサス州出身の自転車レースの選手、ランス・アームストロング(Lance Armstrong 1971.09.18- )。


一九九六年、精巣腫瘍を発病。癌は肺と脳に転移していた。過酷な化学療法を受け、再起をはかり、そして見事にそれを果たした。

果たしたなんてものではなく、癌の闘病後に世界最大の自転車レースであるツール・ド・フランスに出場し、前人未到の七連覇(1999-2005)を成し遂げる。






この本は、病に倒れ、そこから再起したランス・アームストロングの闘病生活を主とした選手生活が記されている。




そもそも自転車レースのことを知ったのは、黒田硫黄著『茄子』からだったが、そのときは知ったといっても踏み込んで知るまでの興味は湧かなかった。






だが、2007年のツール・ド・フランスを見て、見事にはまった。







そこで読んだのがこの本『ただマイヨ・ジョーヌのためでなく』だった。


タイトルの"Pain is temporary. Quitting lasts forever."もこの本の中の言葉から。

痛みは一時のもの、引退は引きずり続けてしまうもの と訳してみました。








癌に侵され、常に死を意識し、それに向き合う記述を読むのは気が重くなるが、中には素晴らしい描写もあり、何よりそれは真実に触れ、心に沁みるものだった。



まるで読み手が自転車に乗っているかのような気持ちになったのがこの描写。

毎日放課後、僕は一〇キロ近くをまず自分の足で走った。それから自転車に乗り、夕闇の中をこぎ出していく。こうして自転車に乗るうちに、だんだんとテキサスが好きになった。田園風景は寂しかったが、とても美しかった。広大な牧場や綿畑の中を貫く田舎道、見えるものといえば遠くの貯水塔や大型穀物倉庫、崩れかかった納屋くらいだ。草は家畜に食べ尽くされ、土はカップの底に残ったひからびたコーヒーのようだった。なだらかに続く草原に、木がたった一本、風で奇妙な形になっているのを見ることもあった。しかしたいていは走れども走れども、目の前にあるのは平らな黄色がかった茶色い平原や綿畑で、時折ガソリンスタンドがある以外は、ただただ平坦なだだっ広いところに強い風が吹いているだけだった。

―『ただマイヨ・ジョーヌのためでなく』より抜粋





その道に長けた人がみなそうであるように、自分が専門としている分野の捉え方の延長線上に世界を見て、捉え、考えて、的を得た総括を獲得している。ランス・アームストロングもそうだと言える。




ある記事の中で、僕がフランスの丘や山々を「飛ぶように上っていった」という表現があった。でも丘を「飛ぶように上る」ことなどできない。僕にできることは、「ゆっくりと苦しみながらも、ひたすらにペダルをこぎ続け、あらゆる努力を惜しまず上っていく」ことだけだ。そうすれば、もしかしたら最初に頂上にたどり着けるかもしれないのだ。

― 『ただマイヨ・ジョーヌのためでなく』より抜粋






はかり知れない喪失を体験し、再起を果たしたランス・アームストロング。



闘病後に出会った女性と結婚し、子も授かった。そして離婚を経て、一時は現役を引退していたが、2008年に現役復帰を表明し、2009年アスタナ・チームに加入しレースに出場、同年のツール・ド・フランスで総合優勝を果たしたチームメイトのアルベルト・コンタドールをアシストし、自身も総合三位に入賞。現在はチーム『Radio Shack』に在籍し、レースに参加している。







2010年7月27日火曜日

メキシコ湾、原油流出のBP社、周辺地域の科学者を買収

(前出の投稿)メキシコ湾原油流出が冗談抜きでヤバイ件




グランド・アイル島で取れた魚の腹を押すと原油が出てくるそうです。













原油流出のBP社、科学者たちを「囲い込み」



BP buys up Gulf scientists for legal defense, roiling academic community | al.com


News: Oil Debate Spills Into Academe - Inside Higher Ed




メキシコ湾の原油流出事故を起こしたイギリスに本拠をおくエネルギー関連企業BP社は

最高250ドルという時給

と引き換えに

「科学者たちが研究を発表したり、ほかの科学者たちと研究を共有したり、少なくとも今後3年間に集めたデータについて語ったりすることを禁じている」

といった内容の契約を交わそうとしているという。





すばらしいね、企業のやり方。

株主の利益を守るためにどこまでするのでしょう。





「一人の死は悲劇だが、集団の死は統計上の数字に過ぎない」



そう言って、数百万人のユダヤ人を収容所へと送る輸送経路を確保したアドルフ・アイヒマンが浮かんできます。




BP社の最高経営責任者(CEO)であるトニー・ヘイワード。





企業の傀儡だとしても、それ以前の責任たるものがあるとは思うのですが、それすらも…という印象が強い。









企業活動が引き起こした被害の事例をあげ、診断する。
つまり、資本主義下での企業の活動の総体を、一個人の言動として分析し、心理学的に診断してみるとどういう結果となるのか、ということを実証した映画『ザ・コーポレーション』も思い出した。






映画の中であげられた事例は

“解雇”

“組合つぶし”

“工場火災”

“奴隷工場”

“危険な製品”

“有害廃棄物”

“汚染”

“合成化学物質”

“生息地の破壊”

“畜産工場”

“動物実験”







チェック・ボックス式診断テストのように映像は続く。

□ Callous unconcern for the feelings of others.
“他人への思いやりがない”

□ Incapacity to maintain enduring relationship.
“関係を維持できない”

□ Reckless disregard for the safety of others.
“他人への配慮に無関心”

□ Deceitfulness : repeated lying and conning others for profit.
“利益のために嘘を続ける”

□ Incapacity to experience guilt.
“罪の意識がない”

□ Failure to conform to social norms with respect to lawful behaviours.
“社会規則や法に従えない”




診断結果は・・・








明らかに精神病的な特性を持つ企業。

もっともやっかいな点はセラピーを受け付けない―というか、セラピーを受け付け正常性を取り戻した企業は最早企業ではなく、少数で成り立つコミューンのようなものになってしまうでしょう―ということでしょうか。



企業はこの先も異常性を抱えたまま行けるところまでごり押しで行くでしょう。

その先は…。

2010年7月23日金曜日

『ゾンビランド』




『ゾンビランド』 (『ZOMBIELAND』)
(2009)

監督,ルーベン・フライシャー(Ruben Fleischer - )

製作総指揮,脚本,レット・リース(Rhett Reese - )

脚本,ポール・ワーニック(Paul Wernick - )

編集,アラン・ボームガーテン(Alan Baumgarten 1957.02.01- )

出演,ジェシー・アイゼンバーグ(Jesse Eisenberg 1983.10.05- )

ウディ・ハレルソン(Woody Harrelson 1961.07.23- )

エマ・ストーン(Emma Stone 1988.11.06- )

アビゲイル・ブレスリン(Abigail Breslin 1996.04.14- )

ビル・マーレイ(Bill Murray 1950.09.21- )











ある日突然、新型ウィルスの爆発的流行により、人類の大半が人喰いゾンビと化し、地上がゾンビだらけの“ゾンビランド”となってしまった世界。臆病で胃腸が弱く、引きこもりの青年コロンバスは、“ゾンビの世界で生き残るための32のルール”を作り、それを慎重に実践して生き延びてきた。彼は、屈強な腕力と抜群の射撃テクニックでゾンビ地獄を生き抜いてきたワイルドな男タラハシーと出会い、行動をともにする。さらに、したたかな処世術を身に付けた詐欺師の美しい姉妹ウィチタとリトルロックも仲間に加わり、悪夢のようなサバイバルの旅は続く。だが、それまで他人とまともに接したことのなかったコロンバスにとって、それははじめて生きている事を実感し、友情や恋を体験することができた、かつてなく楽しい冒険の日々でもあった。やがて、4人はゾンビのいない天国があるという噂を信じ、ロサンゼルス郊外の遊園地“パシフィックランド”を目指すのだが・・・。

―映画「ゾンビランド」オフィシャルサイト より








“ゾンビ”、“血まみれ”、“スプラッター”、“痛快アクション”、“不条理コメディ”と思っていたんですが、よくよく考えてみると暗喩に満ちた作品なのではないかと。




人類の大半が人喰いゾンビと化した世界で、生き残るための32のルールに基づいてサバイバルをして、ゾンビのいない楽園を目指す。


人喰いゾンビのはびこる世界=常軌を逸した世界(環境)なわけで、これは現在の資本至上主義で成り立っている経済社会と見ることもできます。

家族や友人ですらゾンビと化し、信頼関係が無いに等しい状況下で、主要人物はゾンビになりたくないと生き残るための32のルールを守り、全力で抵抗します。






生き残るための32のルールとは、

ルール1 有酸素運動
ルール2 二度撃ちして止めを刺せ
ルール3 トイレに用心
ルール4 シートベルトをしろ
ルール5 ゾンビを発見したらまず逃げろ
ルール6 フライパンでぶっ叩け
ルール7 旅行は身軽であれ
ルール8 クソったれな相棒を見つけろ
ルール9 家族・友人でも容赦しない
ルール10 素早く振り向け
ルール11 静かに行動すべし
ルール12 バウンティ・ペーパータオルは必需品
ルール13 異性の誘惑には注意
ルール14 ショッピングモールは補給基地
ルール15 ボウリングの球をぶん投げろ
ルール16 人の集まる場所は避けろ
ルール17 英雄になるな
ルール18 準備体操を怠るな
ルール19 葬儀・埋葬の必要はない
ルール20 人を見たらゾンビと思え
ルール21 ストリップクラブは避けろ
ルール22 逃げ道を確保しろ
ルール23 金品よりも食料確保
ルール24 生き残るためには犯罪も
ルール25 火の用心
ルール26 肌の露出は最小限に
ルール27 就寝前には安全確認
ルール28 食事と風呂は短時間で
ルール29 二人組で行動しろ
ルール30 予備の武器を持て
ルール31 後部座席を確認しろ
ルール32 小さいことを楽しめ
―ゾンビの世界で生き残るための32のルールを知ってる? - MovieWalker



2010年7月22日木曜日

『ソーシャル・ネットワーク』





『ソーシャル・ネットワーク』 (『THE SOCIAL NETWORK』)
(2010)

監督
デヴィッド・フィンチャー(David Fincher 1962.08.28- )

製作
デイナ・ブルネッティ(Dana Brunetti - )

スコット・ルーディン(Scott Rudin 1958.07.14- )

原作
ベン・メズリック(Ben Mezrich 1969.02.07- ) 『facebook』(青志社)

脚本
アーロン・ソーキン(Aaron Sorkin 1961.06.09- )

撮影
ジェフ・クローネンウェス(Jeff Cronenweth 1962.01.14- )

音楽
トレント・レズナー(Trent Reznor 1965.05.17- )

出演
ジェシー・アイゼンバーグ(Jesse Eisenberg 1983.10.05- )... Mark Zuckerberg

アンドリュー・ガーフィールド(Andrew Garfield 1983.08.20- )... Eduardo Saverin

ジャスティン・ティンバーレイク(Justin Timberlake 1981.01.31- )... Sean Parker






"YOU DON'T GET TO 500 MILLION FRIENDS WITHOUT MAKING A FEW ENEMIES"

少数の敵なくして五億の会員数を得ることはできない






USA 1 October 2010


The Social Network - Official Site



ソーシャル・ネットワーク - オフィシャルサイト






On a fall night in 2003, Harvard undergrad and computer programming genius Mark Zuckerberg sits down at his computer and heatedly begins working on a new idea. In a fury of blogging and programming, what begins in his dorm room soon becomes a global social network and a revolution in communication. A mere six years and 500 million friends later, Mark Zuckerberg is the youngest billionaire in history... but for this entrepreneur, success leads to both personal and legal complications.
―The Social Network (2010) より抜粋



2003年のある秋の夜、ハーバード大学の天才コンピュータープログラマーであるマーク・ザッカーバーグはコンピューターの前に座り、一つの新しいアイデアに興奮していた。
瞬く間に世界的なソーシャル・ネットワークでありコミュニケーションの革命となるブログ更新とプログラム作成の熱狂は、すべて彼の寮の一室から始まった。
わずか六年で会員数は五億人となり、マーク・ザッカーバーグは史上最年少の億万長者となるが、企業家としての成功は、公私に至っていざこざを引き起こしてしまう。
















インターネット上で構成されたソーシャル・ネットワーク。

そこで行われる意思疎通を経て築かれる人間関係。

それらはどのように誕生し、どのように発展したのか。

また、仮想の関係性を得るために現実の何を手放したのか。

Facebook、Myspace、mixi、blog、Twitter、そこで生まれる人との繋がりが生まれるべくして生まれたものだとすれば、将来的にはどのような方向性に進むのだろうか。




デヴィッド・フィンチャーが実在の出来事を通して描く物語とは。







2010年7月14日水曜日

『アンダーグラウンド』のあとのノート


 
 
  

 はじめに

 これは僕が村上春樹の著作『アンダーグラウンド』を読みかえしたことをきっかけに書こうと思って書いた文章です。ここを訪れた方がこの文章をどう読もうと、あるいは読まなかろうと、それは個人の自由であります。

 ですが、タイトルにありますように、やはり『アンダーグラウンド』を読み終えてから読んでいただければと思います。中には本書からの引用もありますし、読んでみなくては分からないだろう感覚的なことにも触れてあります。


 『アンダーグラウンド』が刊行された約一年後に『約束された場所で underground 2』という視座を変えた続編が刊行されています。公平性を求める上で取られた自然な成り行きで刊行された著書なのですが、読者側の公正性を求めるならばこちらもお読みいただければと思います。





 そして、二〇〇〇年に刊行された『神の子どもたちはみな踊る』は村上春樹が、阪神淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件、この二つのカタストロフを経たあとに書いた短篇小説集です。





 二つのカタストロフ後に行われた河合隼雄氏と村上春樹氏の対話について。
一九九七年、五月十七日に京都行われた対話が『約束された場所で underground 2』に収録されており、一九九五年、十一月同じく京都にて行われた対話の書籍化が『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』です。その前年の一九九四年の五月五日にも公開で対談が行われており、その書籍化が『こころの声を聴く 河合隼雄対話集』です。


 




村上▼僕が物語を小説で書いてて思うのは、結局のところそれはシミュレーションなわけですね。疑似ゲームなんです。例えば自我と環境との間でいろいろ葛藤がありますね。ところがそれを書いても誰も納得できないんです。僕が例えば河合先生と喧嘩をする。で、頭に来る。これを誰か他人に説明しようとしても、僕の怒りというのはそのまま正確には伝わらない。何が伝わるかというと、なんか村上が怒っていたと、それしか伝わらない。僕がどれぐらい怒っていた かというのは伝わらないんですよ。
河合▼そのとおりです。
村上▼それをどう物語るかというと、エゴと環境じゃなくて、その両者の関係をそのまま意識の下部方向に引き下ろすんです。そして別の形でシミュレートするわけです。それを書くとよくわかるんですね。これが僕にとっての物語の意味であるというふうに思う。

―『こころの声を聴く 河合隼雄対話集』より抜粋







麻原の荒唐無稽な物語を放逐できるだけのまっとうな力を持つ物語を、サブカルチャーの領域であれ、メインカルチャーの領域であれ、私たちは果たして手にしているだろうか?
 これはかなり大きな命題だ。私は小説家であり、ご存知のように小説家とは「物語」を職業的に語る人種である。だからその命題は、私にとっては大きいという以上のものである。まさに頭の上にぶら下げられた鋭利な剣みたいなものだ。そのことについて私はこれからもずっと、真剣に切実に考え続けていか なくてはならないだろう。そして私自身の「宇宙との交信装置」を作っていかなくてはならないだろうと思っている。私自身の内なるジャンクと欠損性を、ひとつひとつ切々に突き詰めていかなくてはならないだろうと思っている。(こう書いてみてあらためて驚いているのだが、実のところそれこそが、小説家として、 長いあいだ私のやろうとしてきたことなのだ!)

―『アンダーグラウンド』より抜粋





 そういった思いや考えがあった上で書かれた六篇の短篇小説が『神の子どもたちはみな踊る』の中にある。

 こう書くと読むこと自体が大層難儀なことと思われるかもしれませんが、小説それ自体はとても面白く、読みやすいものです。







『アンダーグラウンド』のあとのノート


 僕は携帯電話を持っていない。ある時にずいぶんと考え、そして意識的に携帯電話を所有しないことを選んだ。

 携帯電話を持ち、それを使用すると使用しないでは決定的な何かが違ってくるのではないだろうかと僕は思う。おおまじめに。それは、電磁波が脳に影響を与えるとかそういったものではない。また、その何かが目に見えるような変化として顕れるとは限らない。


 携帯電話及び無線端末機器を日常的に用いてどこかに繋がるという行為を別の何かに置き換える――意識の下部方向に引き下ろす――と一体どういうことなのか。その答えを出そうとした。

 テレビを見るという行為は過去の人類史において火を-炎を見つめる行為に等しいのではないか、という話を聞いたことがある。
なるほど、と思った。テレビだけではなく、携帯電話の画面、パソコンのモニター、人はそれを見て、炎のゆらめきを見つめたときの恍とした感覚を得ているのだろうか。


 
 陽とともに目覚め、よく歩き、土に触れ、よく噛んで食べ、陽が落ちたあと火を見つめ、語らう、これらのことが日々行えば、よほどのことでもない限り、心と体の病にはならない、これは僕の持論です。
 言い換えれば、心と体の病は上記のことをしていればよくなる――少なくとも悪くはならない――はずである、ということです。学問上の根拠はどこにもないが、僕はこれを信じている。

 パソコンの子機、あるいは端末機器と呼んで過言ではない携帯電話を日常的に使用し続けたとしても、まったく何の影響もないままのだろうか。ほんの二十年前までは誰も携帯電話なんか持っていなかった。持っていなくても誰も不便と感じていなかった。仕事上の連絡が必要な人もそれはそれでないなりにやりくりしていた。ところが今現在、どこの誰を見ても携帯電話を持っている。日本に限らず、若人に限らず。携帯電話のパネルを見ている人を見ることが増えた。増えたなんてものではない。今世紀最大の激変とも呼べるものではないだろうか。

 これまでの人類史の中でこれほどまでに大人数の人々がこぞって所有し、使用し続けているものがあったのだろうか。

 その激変の理由は解明されているのか。

 普遍の存在理由というものが携帯電話にあるはずだ。それは一体何なのか。研究機関は設立されているという話は聞いたことがない。これほどの地球規模の激変であるにもかかわらず。
 以前の激変を辿れば、それはテレビだろう。その前は電話。産業革命、エネルギー革命、と呼ばれるものであり、それがどういったことだったのかは説明を聞けば理解できる。



 携帯電話で他の個人につながり、話をする。また、メールで文章テキスト及び画像や動画のやりとりをして意思の疎通を図ろうとする。このことで無意識の深層にある集合的無意識に繋がろうとしているのではないだろうか。

 深層意識にある集合的無意識に繋がりたいという欲求を誰もが持っていて、その欲求を満たす行動の顕れとして携帯電話を用いているのではないか。

 つまり、現在や過去に関わらず、人々は火-炎のゆらめきを見つめながら語らうことによって集合的無意識に繋がろうとしている。そう言えるのではないか。
 だが、いくら携帯電話を用いても、ほんとうの集合的無意識には繋がることはできない。人は、修行によって無意識そのものの状態になることは可能でも――言葉で簡単に書けるが、その修行はとても難しいものだ――、無意識の世界に意識を保ったまま行くことは不可能だからだ。


 だが、欲求は募っていくばかりだ。そして煮詰まった鍋に水を足すように人々は携帯電話を用いる。便利と惰性という心理的バイパスを抜けて人々は 携帯電話を用いる。自分がどういった行動原理に突き動かされているのか理解しないまま、その場を紛らす行為を取り続ける。そうすることによって、人の心のあるところにあるべきはずのものが少しずつ少しずつ減っていっているのではないだろうか。

 それは、想像力、または忍耐力、またはモラル、または集中力、または表現力、と呼ばれているものであるかもしれないし、ひょっとしたら心そのものかもしれない。

 街中を一人で歩いているのに、小さくない声で独り言を言っている人がいる。都市と呼ぶことのできる場所に行ったことのある人なら一度は見かけたことがあるかもしれない。その独り言はただの独り言ではないし、つぶやきといったものでもない。明らかに誰かに向かって話しているような独り言。そして、その独り言を言っている人には、「なぜ独り言を言っているのですか?」と聞けない雰囲気がある。

 寂しいから、くせの一つ、ストレスから、声を出したいから、歳を重ねたから、独り言にはいろいろな理由がある。
 僕の想像だが、その独り言を言っている人は自分の中の別人格――とはいかないまでもそれに近いものに向かって声を出して話しているのではないだろうか。いわば内的自我と話をしているのではないだろうか。そして、その内的自我のさらに深いところ、深層には無意識があり、さらに奥には集合的無意識が存在している。

 その独り言を言っている人は、街中で行き交う人々の自我の強さにあてられ、本来自我が備え持つ外に向かって押し返す力をなくし、より内へ内へと 矢印が向かうことによって自己を成り立たせているのではないだろうか。そうした人が話す言葉や取る行動は集合的無意識に向かっているのではないだろうか。





 『アンダーグラウンド』に戻る。
この本は、一九九五年に起きた「地下鉄サリン事件」の被害者の方々に村上春樹がインタビューし、それをまとめたものである。被害者の方々の反応として、目の前で起きていることと自分の感情をうまく繋げられていない人と、怒り心頭で事件に関わった加害者たちに厳罰を処することを強く望んでいる人がいる。このことについて『約束された場所で underground 2』に以下の記述がある。


村上 取材をしていて感じたのは、ある年齢より高くなると、「絶対にオウムは許せん!」という人が多くなるということでした。そういう人たちはオウムのことを「あいつらは絶対的な悪だ」と捉えています。でも若い人たちになると、そうではない。二十代から三十代にかけては、「あの人たちの気持ちもわからないではない」という人がけっこう多かったです。もちろん行為そのものに対しては怒っているんですが、動機についてはある程度同情的だったです。
河合 善悪の定義というのはとてもむずかしいことですから、小さいときから生き方によってたたき込まれているものが強いんです。これが善だ、というふうに身体がそうなってしまっている。地下鉄職員の方の話を読んでいると、それがものすごく見事ですね。ある意味では感心もしてしまいますし。ところが 若い人たちはそういうものを持っていません。判断が柔軟であると言えば、柔軟なわけですが。
村上 でも現代の社会において、いったい何が善で何が悪かという基準そのものがかなり揺らいでいるということは言えますよね。

―『約束された場所で underground 2』より抜粋


 すべてのインタビューの内容が公平性を保たれたスタンスで行われ、その総体として事件を深く理解しようという試みであったように思う。人によっては事件以前のその人の仕事のこと家庭のことが見事な形で浮き彫りになっていてとても興味深く読み進んだ。

 特に、というわけではないが、豊田利明さんと、著者である村上春樹さんとのやりとり、そして、元騎手であるマイケル・ケネディーさんの話は本文 にもあるとおり、「職業倫理」を兼ね備えた良き市民の話であり興味深く読んだ。


〈豊田利明さん〉

 (著者による記述)実を言うと、この人と話しているあいだ私の頭には「職業倫理」という言葉がずっと浮かんでいた。これは「市民倫理」と言い換 えても良いかもしれない。三四年間現場でしっかりと働いてきて、そこから得たethics(道義的価値観)のようなものが、ひとつの強い誇りとなってこの人を支えているかのように見受けられる。見るからに良き職業人であり、良き市民である。

(中略)

(豊田さん)私はオウムが憎いとも思わないようにしているんです。それはもう当局の人に任せちゃっています。私の場合、憎いとかそういう次元は とっくに通り過ぎてしまっているんです。彼らを憎んだところで、そんなもの何の役にも立ちはしません。オウムの報道もまず見ません。そんなもの見たってしかたないんです。<それくらい見なくてもわかります (強調傍点あり)>。そこにある状況を見ても、何も解決しません。裁判や刑にも興味はありません。それは裁判官が決めることです。

 (著者)-見なくてもわかるというのは、具体的にどういうことなんですか?

 (豊田さん)オウムみたいな人間たちが出てこざるを得なかった社会風土というものを、私は既に知っていたんです。日々の勤務でお客様と接しているうちに、それくらいは自然にわかります。それはモラルの問題です。駅にいると、人間の負の面、マイナスの面がほんとうに良く見えるんです。たとえば私た ちがちりとりとほうきを持って駅の掃除をしていると、今掃き終えたところにひょいとタバコやごみを捨てる人がいるんです。自分に与えられた責任を果たすことより、他人の悪いところを見て自己主張する人が多すぎます。

 (著者)-モラルは年を追うごとに低下しているのですか?

 (豊田さん)あなたはどう思いますか?

 (著者)-私(村上)にはよくわかりません。


〈マイケル・ケネディーさん〉

 (著者)-お話をうかがっていると、マイケルさんは騎手としての才能を持っていたようですが、騎手としてもっとも重要な才能というのはどういうものだと思いますか?

 (ケネディーさん)馬とコミュニケーションを持てる能力だね。それが騎手としていちばん大事な才能だ。でもそれは多くの場合、生まれつきの才能だ。言葉で「こうやりなさい」と教えるのはものすごくむずかしい。
 僕は日本の若い騎手たちに、「もっともっと馬に話しかけなさい」って口を酸っぱくして言っているんだが、なかなか実際にそうする人はいないみたいだね。とくに日本の騎手たちは、みんな傾向としてマッチョなんだ。どっちかというと彼らは、力でもって何かを馬に命令しようとする場合が多いようだね。 僕はここの生徒たちのことがとても好きだし、優れた生徒たちだと思うけれど、そういう全体的な傾向はたしかにあると言わなくてはならないね。
 もちろん馬に力ずくで何かをやらせることはできる。馬は自分が嫌な目に遭わないように、そのために、全力を出すことはあるからね。たとえば火を 避けて逃げるときのようにね。彼らは頑張るわけだ。
 でも僕は思うんだが、それよりはむしろ馬を説得して、理を説いた方が、ずっと良い結果をもたらすことが多い。馬と仲間になって、友達になって、共通の目的のために力をあわせて邁進する。馬と二人でチームを組むんだ。なんといってもそれがいちばんなんだよ。
 もちろん中には意地の悪い、根性のねじけた馬もいるよ。でもね、そういう馬は、多くの場合、これまでひどい目にあってきて(たとえば調教師にいじめられたりして)、結果的にそうなったんだ。最初からねじけた馬なんて、そんなにいるものじゃあない。だから辛抱強く時間をかければ、うまく友達になれ ることが多い。
 いいかい、どんなレースにおいても、どんな馬にとっても、そこにはブレーキング・ポイントというのがひとつあるんだ。そこでは馬は「もう駄目だ」という感じになってしまう。メンタル・クライシスみたいなものだね。それは騎手にもわかる。そのときに馬は「わがふっ」とか「あああうふ」とかいう声 を上げる(*マイケルさんはここのところを馬語で喋ったので、それに近い音声を表記した)。僕らはその声を、レースの最中に、まわりの喚声の中で、はっきりと聞き取ることができる。そのとき騎手は馬を励まさなくちゃいけないんだ。僕は馬に話しかける。そうだよ、レースの真っ最中、最後のストレッチにかかっているときに、大きな声を出して心から馬に話しかけるんだ。僕の声はちゃんと馬に届く。もちろんだよ、絶対に届く。
 これは鞭よりもきく。鞭を与えられれば、馬は本能的に自動的にゴールまで突っ走る。でも僕は馬に話しかける。「さあ、行こうせ。よし。そうだ! 一緒に行こう!」ってね。そのような励ましが、馬にとって絶対に必要なポイントが、レースの中に必ずひとつあるんだ。それを摑むことが大事だ。僕にはそれができる。
 僕には若い頃からそれができた。いや、というよりか、若いからこそそういうことが無意識的にできたんだろうね。若い人にはある種の力がある。馬に何かを語りかけると、向こうがそれに答えてくれる、そういう力を感じるんだ。ドライビング・パワーだ。
―『アンダーグラウンド』より抜粋

2010年7月13日火曜日

『愛について語るときに我々の語ること』という題の短篇小説





 数年前に亡くなってしまいましたが、レイモンド・カーヴァーというアメリカの小説界に大きく深い影響を与えた作家がいました。

 主に短篇小説を書いた人なんですが、このレイモンド・カーヴァーの小説には、傷つき損なわれた人々がよく出てきます。
 都市から離れた郊外で起こる挫折、胸を強く絞めつける喪失、人生からの落伍、これ以上ない孤独、底に手がつく絶望、そしてそこからの再生、それらが必要最低限まで短く切り詰められた文章とありありとした描写で描かれます。

 そのレイモンド・カーヴァーの作品の一つに『愛について語るときに我々の語ること』という題の短篇小説があります。
 原題は、『WHAT WE TALK ABOUT WHEN WE TALK ABOUT LOVE』です。


 二組の夫婦がディナーとしてレストランに向かう前に、そのどちらかの家で軽く飲もうかというところで小説は始まります。
 テーブルの上にはグラスと氷とジンとトニック・ウォーターがあり、四人は(どういうわけか)愛について語り始めます。
 
 愛について語り始める四人ですが、そこで話されるのは健康で優等生的な慈しみにあふれる愛とはかけ離れたものでした。部分的に病んだ愛であったり、とことん打ちのめされた愛であったり。
さらに続く四人の話(夕食は忘れられ、ジンは減り続けます)は「愛」という主題から遠ざかったものに移り変わるのですが、逆にそれは四人それぞれの本質に近づいた(言いかえればパーソナリティに迫った)会話となっていきます。
 つまり、彼ら個人個人にとって人と関わりあうということはどういうことなのか、愛について語るときに彼らが語ることはそういうことでした。




 これから書くエピソードは本当にあったことです。


 僕が彼と出会ったのは今から10年ほど前でした。当時、僕は22か23歳で大阪にある小さな飲食店を任されていました。そして、その店にアルバイトとして働くようになったのが彼でした。名前は中谷くんで当時20歳の大学生でした。
 真面目なのにどこか抜けている(でも決して憎めない)彼のキャラクターは、いつしかアルバイト仲間にとっても欠かすことのできない存在になっていました。

 店の営業時間は深夜までで、閉店作業は僕とアルバイトの二人で手分けしてやっていました。
一日のすべてが終わったら、閉店後の店内でお酒を飲みながら、取るに足らない話をして帰るか、暇なバイト仲間を呼び出してどこかに飲みに行くか、そのどちらかでした。


 その夜は暇だったこともあり、中谷くんと僕は少し早めに閉店作業を終わらせました。店の窓から外を見ると、さっきまで止んでいた雨がまた降り始めていました。夜の舗道には水たまりができ、そこに降る雨が波紋をつくり、水たまりに反射した街灯や信号の光を様々な形に変えていました。

 服を着替え、ビールを飲み始め、ミックス・ナッツに手をのばし、話をしていると、(どういうわけか)恋愛の話になりました。そこで中谷くんが話してくれたのは自分の初恋についてでした。


 中谷くんが通っていたのは家から電車で40分ほどかかる高校でした。そして、その学校の周りにはいくつかの私立の女子高校があり、通学路線の電車の中は中谷くんの学校の生徒たちと周りの女子高校の生徒たちで賑やかになるというのが日常でした。

 初めに声をかけたのは女の子のほうでした。潤んだような黒髪が印象的な女の子で、中谷くんがもらった手紙の中には、電車で見かけているうちにだんだんと気になり始めた、といった内容のことが書いてあり、最後に電話番号が書いてありました。
 ちなみに中谷くんは、世間の人がいう二枚目ではありませんが、穏やかな好印象を与えるといった男の子です。

 毎朝電車で見かけて好きになり、ある朝勇気を出して声をかける。なさそうな話ですが、まったくないわけではありません。

 初めて行ったデートは水族館でした。中谷くんと彼女はコートとマフラーがあふれる街中を歩き、少し遅めの昼食を食べ、水族館に行き、微動だにしないイトマキヒトデを見て、ソフトクリームを買い、水の中を遊ぶようにして泳ぐマゼランペンギンを見て、夕食前には帰る。そういったデートを何度かして、冬を越し、春を迎え、お互いの家を行き来するようにもなりました。

「でも一番楽しかったのは学校から家まで彼女と一緒に帰ることでした」中谷くんはそう言いました。

「学校から彼女の家まで1時間もあれば帰ることができました。ですが、たいていは寄り道しながら帰ってました。気に入ったカフェに行ったり、近くの川沿いの道を歩いたり、街の中にある小さな公園に立ち寄ったり。そして、そこで最近買ったCDのこととか、図書館で借りて読んだカスタネダのこととか、次の休みはどこに行こうとか、クラスメートの誰それの恋の話とか、他愛のないこととか互いのことを長々と話していました。大して内容のない会話ですが、そういうときに出る話題は普段のどれとも違う特別なものでした。今もよく思い出すのは、ただ家まで送るというだけのその時の彼女の姿です」
 いくらかビールを飲んだとはいえ、そのときの中谷くんはいつもと比べて様子が違ってみえました。
届くはずのないどこかに手を伸ばしているような。そして、今自分が手を伸ばしていることを誰かに言わずにはいられないみたいに。

 僕はうなずき、水滴のついたグラスを置きました。外の雨は強さを増していて、地面を叩くように降り続けていました。
 中谷くんは話を続けました。

「六月のある日の夜でした。放課後、時間になっても待ち合わせ場所に彼女が現れないので、僕は一人で家に帰りました。それから彼女の家に電話をしましたが、誰も出ませんでした。電話がつながったのは夜の10時頃でした。彼女の弟が出たので、事情を聞きました。聞いてすぐにでも病院に行きたかったのですが、彼女の親が許してはくれませんでした」
 彼女に何が起こったのか、僕は尋ねました。

「記憶喪失になったんです」
 そう答えた中谷くんの顔は冗談を言っているようには見えませんでした。

「朝、家を出て自転車で駅に向かう途中、交通事故にあったんです。外傷は特になかったんですが、頭を強く打ちました」
 時折、雨道の上を走る車の音が外から聞こえてくる、人の気配がない静かな店内でした。僕は黙って中谷くんの目を見て、彼が語る言葉を聞いていました。

「彼女に会えたのは事故から二週間後でした。病室に入る前に彼女の母親から、家族以外の誰のことも覚えてないということ。今、記憶のことを追求して娘を混乱させたくないのだと、そう言われました」
 話をしている中谷くんは、まるで、今生えてきているかのように自分の手の指を見つめていました。

「病室に入り、僕が見た彼女は以前とほとんど変わらない姿でした。ただ決定的に違うのは彼女が僕を見る目でした。見知らぬ人を見るときの伺うような目とその奥に見える困惑と翳り、そしてそれが表情にも表れていました」
 僕は記憶を失うということについて考えました。互いが好きになったという感情だけではなく、自分の存在さえも覚えていない彼女を見たときの中谷くんの悲しみがどれほどのものだったか。その時のことを話す中谷くんの顔を見て想像しました。そこには、表には出さないけれど、悲しみと同じくらい持って行き場のない怒りを含んだ憤りがあったはずだと僕は思いました。


「そのあと何度も見舞いに行きました。経過が良好だったのでしょう、彼女の両親は僕のことを彼氏だと紹介してくれました。記憶を刺激することによって新しい展開を望んでいたのだと思います。もちろん僕も新しい展開を望みました。彼女も僕のことを思い出そうとしてくれました」
 人は他人には決して見えないところで何かしら背負うべき過去を抱えているのだと、中谷くんを見て僕は思いました。

「見舞いの回を重ねても彼女の記憶は戻りませんでした。嫌いになったわけでも、別れたわけでもないのに、彼女の中からは僕に関するすべてが抜け落ちていました。両親から説明を受けても彼女が僕を見る目は、以前とはまるで違ったものでした」
 中谷くんはそう言って、右手で何かを握るしぐさをし、話を続けました。 

「僕はその目を見つめ返せませんでした。それでも、何かをきっかけにすべてを思い出すかもしれない。そうすれば何もかもが元通りになる。僕は彼女に二人で行ったフリーマーケットや、そこで見たユニークで変なおじさんのことを話したり、二人で写っている写真を見せたりもしました」
 時刻は深夜の三時をまわっていました。
 僕は店の窓を開けました。少し冷えた外の空気が店の中に流れてきました。夜本来の闇が空を覆い、降り続いた雨は空気をいくぶん澄んだものに変え、その中を月の光を微かに帯びた黒雲が流れていました。雨は止んでいましたが、窓から見える景色には一人の人もいませんでした。

「そのうち僕が大学の試験で忙しくなり、彼女に会いに行く回数は減りました。それでも電話をしたり、手紙を書いたりしていたのですが、その数も日毎に減っていきました」
 そう言い終えた中谷くんはグラスに残ったビールを飲みました。


 結局、その彼女とは徐々に疎遠になり、中谷くんの初恋は幕を閉じました。

「彼女が記憶を失った後、僕がしたことについて考えましたが、あのときの僕の対応が正しかったのかどうか、自分自身には分かりません。もっとなりふり構わず彼女の心を叩くことができたのかもしれません、そしてそれとは逆に潔く身を引くことができたのかもしれません。結局、僕にはどちらもできませんでした。記憶をなくした彼女に対して僕ができたことは、中途半端に彼女を揺さぶり、困惑させ、思い出すことも忘れきることもできない残像のような自分を彼女の心に残して去ることでした」




 この話を聞き、しばらくたった後でも僕の中に強く残るものがありました。何が僕の中で消化されずに残ったのか。その理由はどこにあるのか。

 もしも、自分の身に起きたことだったら、いったいどうしただろう。僕は考えました。

 可能性としてはあるが、現実味のないことが実際に自分の身に起こる。ある日、突然、思いがけずに。恋人が、全存在をかけて好きになった人が、自分に関するすべての記憶を喪失する。

 出会うことからやり直すわけにはいかなかったのか。記憶なんかなくても、自分の中にある彼女を好きになった要素と彼女の中にある自分を好きになった要素。それを再会させてみればいい。はじまりは気まぐれで不確かでゆらぎの多い感情だったとしても、日々、相手の心に触れるたびに深く濃くなり自分の心に浸透していく。それが恋愛と呼ばれている感情であり関係性なのだから。

 でも、彼女の場合はそううまくいかなかった。
 ひょっとしたら、記憶をよみがえらせる取っ掛かりのようなものがあったのに、それを見つけられなかっただけかもしれない。あるいは記憶の取っ掛かりなんてものは初めからなかったということだったのか。
とにかく、彼女は記憶を失くし、変わってしまった。以前に見られた彼女の性格そのものが変わったようにも思えた。


 生きているだけで奇跡の連続のようなこの世の中には、何をどのようにしたところで元通りに戻せないことがあるのだと知った。それに気づいたとき、自分が傷つき、とても大事な何かを失っていることを知った。その何かとは、一度失えば二度と手にすることができない類のものだった。
 それは人生の中で何度か起こる本当の喪失の体験だった。

 それでも僕は彼女の心の奥深くに泉があることを信じた。その泉に向かって石を投げ入れ、それによって起こる波紋に彼女が気づき、すべてを思い出し、何もなかったような目で笑いかけてくれることを。


 そして今、僕は彼女の病室の扉の前に立っている。白い扉の横の壁には小さなプレートがあり、そこには彼女の名前がある。
 手をのばし、扉を開けると病室は差し込む太陽の光で満たされている。部屋の窓側にはベッドがあり、そこに座って窓の外を見ている人がいる。これまでに何度となく見た彼女であり、その彼女の横顔だ。二人で家まで帰る途中、夕方の沈む陽光に見とれていたときと同じ顔だった。そんなときの何気ない彼女の顔を見るのが僕は好きだった。
 僕は静かに病室に入り、ベッドの近くにある椅子に座り、彼女が見ている方向を見た。そこには風に揺れる樹々の枝葉があり、広がる青い空があり、それらを照らすまぶしい太陽の光があった。
僕は彼女の名前を呼んだ。

2010年7月9日金曜日

メキシコ湾原油流出が冗談抜きでヤバイ件





メキシコ湾原油流出が冗談抜きでヤバイ件というブログ記事がありました。 




クリントン元大統領、油井爆破の可能性に言及 米原油流出
* 2010年06月29日 16:00 発信地:ワシントンD.C./米国

【6月29日 AFP】ビル・クリントン(Bill Clinton)元米大統領は28日、出演した米テレビ局CNNの番組で、メキシコ湾(Gulf of Mexico)での英エネルギー大手BP施設の原油流出事故について、リリーフウェルによる流出阻止が失敗した場合は、海軍が出動して油井を爆破しなければならないかもしれないと語った。

メキシコ湾(Gulf of Mexico)で行われている、原油の拡散を防ぐため、監視下で原油を炎上させるオペレーション(2010年5月7日撮影)。(c)AFP/US NAVY/Mass Communication Specialist 2nd Class Justin Stumberg


クリントン氏は、「これは地質学におけるモンスターだ」「とんでもない油井だ。あの地下には大量の原油が眠っているんだと思う」と語った。

クリントン氏は、最も重要なのは流出を止めることで、その後で原油が沿岸に流れ着くことを防ぎ、被害を最小限にとどめることだと語り、さらに「何が原因だったのか、ブリティッシュ・ペトロリアム(British Petroleum)や米政府の誰に責任があるのかを突き止めなければならない」と、BPの旧社名を使って語った。

現在掘削が進んでいる2本のリリーフウェルの効果について懸念があるかとの質問に対し、クリントン氏は「ある」と明言し、油井の爆破も「必要になってくるかもしれない」と語った。

「恐らく海軍なら流出を止めることは可能だろうが、あらゆる結果が考えられる。流出を止めることができても、メキシコ湾の生態系を壊すことになってしまうんではないか」

クリントン氏は、海軍は核兵器を使う必要はなく、単に「油井を爆破して、がれきや岩などで流出部分をふさいでしまうだけでいい」と述べた。

クリントン氏は、BPの専門家が失敗した場合、米政府ができることはほとんどないと懸念を示し、BPは「やるべきことをやる」ように努めなければいけないとする一方で、作業には時間的余裕も与えられるべきだと強調した。

流出を永続的に食い止めるリリーフウェルの設置は、早くても8月中旬以降だと見られている。(c)AFP

―クリントン元大統領、油井爆破の可能性に言及 米原油流出 国際ニュース : AFPBB News










メキシコ湾原油流出、事故史上最悪の流出量に
* 2010年07月03日 17:21 発信地:ニューオーリンズ/米国

【7月3日 AFP】メキシコ湾(Gulf of Mexico)の原油流出事故で現在までに流出した原油量は計190万~360万バレルに上り、ついに同種の事故で史上最悪となった。メキシコ湾では3日、台湾企業の巨大タンカーを使って原油をすくい取る作業が始まった。

米ルイジアナ(Louisiana)州から50キロの沖合で英エネルギー大手BPが操業していた石油掘削施設「ディープウォーター・ホライゾン(Deepwater Horizon)」が4月22日 に爆発・水没事故を起こして以来、メキシコ湾には日量3万5000~6万バレルの原油が流出し続けている。




原油流出防止システムによりこれまでに約55万7000バレルの原油が回収された。3隻目の回収作業船を投入することで回収量を日量2万5000バレル から5万3000バレルに引き上げようとしているが、メキシコ湾の悪天候により配備が遅れている。泥やセメント注入で原油流出を完全に食い止めるのは、早くても8月中旬と見込まれている。

■過去最悪の事故に 

1979年に同じくメキシコ湾で発生したIxtoc油田の原油流出事故は食い止めるまでに9か月かかり、原油約330万バレルが流出した。しかし、今回の流出事故は最悪の計算だとすでにその量も超えたことになる。

今回の事故を超える量の流出は、1991年の湾岸戦争(Gulf War)でイラク軍がクウェートの油田を破壊して放火し、故意に流出させた600万~800万バレルの流出のみとなっている。(c)AFP/Allen Johnson



1石油バレル = 158.987295 リットル ということなので、
メキシコ湾には毎日550万~950万リットルの原油が流出し続けていることになります。
これは、ちょっと、人類史上始まって以来の超大規模な環境破壊です。
超深度の石油掘削施設と大量破壊兵器の保有の違いが分からなくなってきました。


 このタイミングで言ってしまいますが、買い物行って、レジで「レジ袋要りません」って言ってる人、レジ袋は使って始めて環境破壊されてるわけではないんです。あなたがビニール袋を使おうと使うまいと、物事は何一つとして変化しないんです。
作ろうと、原材料を採取している時点で環境破壊なんです。 よろしくお願いします。
エコバッグを肩から提げてる人って、こういう大事故のときに限って無関心だったりするので恐ろしいです。





 イギリスのエネルギー関連企業BPのトニー・ヘイワード最高経営責任者(CEO)は、5月14日、英ガーディアン紙に対し、
「メキシコ湾は広大だ。海全体の水の量に比べれば、流出した石油と分散剤の量など微々たるものだ」
と語る。


―BPトップはPR史上最悪の失言男 | ビジネス | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト




2010年メキシコ湾原油流出事故 - Wikipedia

2010年メキシコ湾原油流出事故は、2010年4 月20日アメリカ合衆国ルイジアナ州メキシコ湾沖合80kmで操業していたBPの石油掘削施設(石油プラットフォーム)「ディープウォーター・ホライズン」が爆発し、海底1,522mへ伸びる深さ 5500mの掘削パイプが折れて海底油田から大量の原油がメキシコ湾全体へと流出した事故。
原油流出量はBP社発表によると1日15000キロリットルと推定される。1989年に 4万キロリットルが流出したアラスカ州のタンカー事故(エクソンバルディーズ号原油流出事故)を現時点(6月中旬)ではるかに超えている。 被害規模は既に数百億USドル以上と言われ、FEMAの内部情報によると、内陸部まで含めた最終的な被害総額は2~3兆ドルにも上るのではないかと言われている。




原油流出をコーヒーに例えたらこうなのか? という映像。







2010 年メキシコ湾原油流出事故 - Wikipedia

ディープウォーター・ホライズン

事故を起こした「ディープウォーター・ホライズン」(Deepwater Horizon)は自動船位保持装置(Dynamic Positioning System、DPS)を備えた半潜水式石油プラットフォームで、海に浮きながら自動で位置を調節して大水深の海底から石油を掘削することができる。
R&Bファルコン社の発注で1998年末から韓国蔚山現代重工業が建造し、R&Bファルコンがトランスオーシャンによって買収されたことにより、2001年2 月にトランスオーシャン社に引き渡された。以来、イギリスの石油会社BPとの契約の下で、メキシコ湾岸油田の様々な鉱区で石油掘削を行ってきた。
昨年10月に別のリグで掘削を始めたが、ハリケーンで損傷したため、今年1月交替した。申請工期は78日だが、内部で51日と定められた。その後工期は遅れ予算は超過した(1日100万㌦)。事故は80日目だった。


責任組織

  • 米政府からBPへの通告による責任組織は次の通り。








    • BP(ブリティッシュ・ペトロリアム)(英)オペレーター権益65%
    • アナダルコ(米)ノンオペレーター権益25%
    • 三井石油開発の米子会社、ノンオペレーター権益10%
    • トランスオーシャン(スイス)掘削装置と運用
    • ハリバートン(米)セメント作業、センタリング装置
  • 「(油田開発作業を実施・管理する)オペレーターと(権益だけを持つ)非オペレーター間の契約で事前に責任範囲を決め、最終的に負担割合が決まる。契約により過失があっても負担をする可能性もある」(新日本石油開発社長 古関信氏)



かつてのミシシッピ川の画像。


現在。









2010 年メキシコ湾原油流出事故 - Wikipedia

日本との関係

  • 三井物産が約7割出資する(政府が2割、その他の大企業が1割)三井石油開発の100%孫会社「MOEX Offshore 2007 LLC」が10%の採掘権を持っている。 5月10日の発表では「影響は不明、ノンオペレーター採掘権。保険は掛けてある」としている。 米経済誌ウォールストリートジャーナルは、三井物産の匿名発言として一部を負担する意向とした。
  • 6月18日時点で、三井石油開発に6件、同社の米国子会社に3件、事故が起きた油田鉱区の権益を持つ孫会社に73件 の訴訟が起こされた。米国三井物産にも5件提起されている(他の会社との共同被告も含まれる)。
  • 6月23日株主総会で、三井物産の飯島彰己社長は「いまお話しする状況にない」と述べた。
  • 6月29日、CMAデータビジョンによると、三井物産のCDSは120bpである(三菱地所は60bp、東京海上日 動は80bp)
  • 7月2日、BPが三井物産に約1億$の負担を請求

石油・天然ガス生産量国内2位の新日本石油開発は、メキシコ湾でアナダルコ開発の水深1,500m の油田権益を11%持つ。場合によっては資産売却し、ベトナム、マレーシア、英領北海を優先開発する。





原油流出、三井石油開発に負担要請 BP、事故処理費用の一部97億円

米南部ルイジアナ州沖のメキシコ湾での原油流出事故に関して、英石油大手BPが、権益の一部 を持つ三井物産の子会社三井石油開発に対して事故の処理費用の一部として約1億1160万ドル(約97億円)の負担を求めていることが3日分かった。米メディアが伝えた。

海底油田について、BPが65%、三井石油開発が10%を持つ。BPが米議会に対して提出した書類で、BPが三井石油開発に負担を要請したことが明らかになった。

石油流出事故で、回収費用に加えて、周辺海域での漁業や観光なども含めた被害に対してBPは巨額の補償を求められており、負担額は既に20億ドル以上に達している。BPの負担は最終的に数百億ドル規模に膨らむとの指摘もあり、権益を持つ三井石油開発の負担が増加する可能性もある。(共同)



処理費用の一部(!)
三井物産が持つ採掘権10%の内、政府が20%出資 

単純計算してしまうと、97億円の2割は19.4億円。





































『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』という映画があります。


劇中、主人公のベンジャミン・バトンが再会したデイジーと父親のボートに乗って出かけたのが、メキシコ湾のフロリダ・キーズでした。












そうか、あの海はもうないのか…。

2010年7月8日木曜日

『The Typewriter』












『The Waltzing Cat』などの曲で知られる作曲家ルロイ・アンダーソン(Leroy Anderson 1908.06.29-1975.05.18)




その中の一つに『The Typewriter』 という曲があります。

タイプライターの打鍵の音を楽器として使っている。「忙しい仕事の場面」のBGMによく使われる。忙しい様子を表している。
―ルロイ・アンダーソン - Wikipedia





それを実際にオーケストラでやってみようとしたみたいです。


























おまけ

ウディ・アレン監督が選ぶ自作ベスト6

 



  英タイムズ紙のロングインタビューでウディ・アレン監督が自作について語ったというニュースが。





ウッディ・アレン監督が選ぶ自作ベスト6

74歳のウッディ・アレン監督が、英タイムズ紙のロングインタビューに答えて、40本を超えた自作と自身の老いについて語った。

自作に満足しているかの問いに「ノー」と即答したアレン監督。自分には、ほとんどの監督が生涯得ることのできない「制作上の自由」があったにもかかわらず、それを生かすだけの才能がなかったと自身のキャリアを振り返っている。そして、「40作品中30本が傑作で、あとは8本の崇高な失敗作と、2本の汚点。そのぐらいの配分であってしかるべきだったが、そうはならなかった。どれも映画界の標準からすればそこそこ楽しめる作品だったかもしれないが、黒澤やベルイマン、フェリーニ、ブニュエル、トリュフォーといった人たちの映画を見たあとに私の映画を見るといい。(中略)ある程度の年齢になると、人は自分の凡庸さを認めざるをえないものだ」と淡々と話した。

そんななか、アレン監督が自身のフィルモグラフィのなかでほかよりも若干優れているとして挙げたのが以下の6作品。ただし、今後も映画作りを辞めるつもりはないとのことで、「映画を作っていなければ、家に引きこもってずっと自分の死について考えてしまうだろうからね」というのがその理由だそうだ。

▽「カメレオンマン」(83)
▽「カイロの紫のバラ」(85)
▽「夫たち、妻たち」(92)
▽「ブロードウェイと銃弾」(94)
▽「マッチポイント」(05)
▽「それでも恋するバルセロナ」(08)
(映画.com速報)





  『カメレオンマン』が入っていることに驚いた。
モキュメンタリーの手法をとった素晴らしい映画。ウディ・アレン作品としては知名度は低いかも知れませんが、創作にかかっているだろう手間と歳月、そして完成度はトップレベルではないかと。


そうか、やっぱり自分の中でも気に入ってるんだ。





  確かに、ウディ・アレン監督には「制作上の自由」がありました。ですが、だからといってベルイマンやフェリーニの作品と比べて、卑下することもないと思う。

どれだけ憧れが強かろうと、その作風は全く違うものですから。



  ウディ・アレン監督作品の良さはあくまでもウディ・アレンにしかなし得ないコメディ・ライティング(comedy writing)とその佇まいです。
画面の中に映っているだけで喜劇になってしまう。他の誰にも真似できない素晴らしい特徴です。






  たとえば、『世界中がアイ・ラヴ・ユー』 の中で、パリに住む父親役だからといってフランスパンを抱えて歩く姿だとか。






  たとえば、『スコルピオンの恋まじない』の中で、保険会社の敏腕調査員役で廊下を大股で闊歩する姿だとか。



あまりにも素晴らしい「コンスタンティノープル」のシーンだとか。







  たとえば、『さよなら、さよならハリウッド』の中でのレストランでの降って沸いて鎮まる口論シーンだとか。











素晴らしいコメディ・ライティングの才能と、それを最大限に生かすことのできる容姿と演技。

それ以外に何か必要なのでしょうか。

もし、人生に救いがあるとすれば、それは笑いが起きているときだけですから。