2010年4月30日金曜日

『ゾディアック』


 

 
『ゾディアック』 (『ZODIAC』)
(2006)

監督,デヴィッド・フィンチャー(David Fincher 1962.08.28- )

原作,ロバート・グレイスミス(Robert Graysmith 1942.09.17- )
『ゾディアック』(ヴィレッジブックス)

脚本,ジェームズ・ヴァンダービルト(James Vanderbilt 1976 - )

撮影,ハリス・サヴィデス(Harris Savides 1957.09.28- )

出演,ジェイク・ギレンホール(Jake Gyllenhaal 1980.12.19- )

ロバート・ダウニー・Jr(Robert Downey Jr. 1965.04.04- )

クロエ・セヴィニー(Chloë Sevigny 1974.11.18- )

マーク・ラファロ(Mark Ruffalo 1967.11.22- )

アンソニー・エドワーズ(Anthony Edwards 1962.07.19- )

ダーモット・マローニー(Dermot Mulroney 1963.10.31- )

ブライアン・コックス(Brian Cox 1946.06.01- )

ジョン・キャロル・リンチ(John Carroll Lynch 1963.08.01- )



ZODIAC - ゾディアック -










 MTVとコマーシャル映像界で活躍し、『エイリアン3』(1992)で劇場映画監督デビューを果たしたデヴィッド・フィンチャー監督の六作目にあたる『ゾディアック』。


 どのシーンを一枚の写真として切り取っても成立するのではないかと思われる映像(構図、配色)の美しさと、本筋であるストーリー展開とは別に寓意の込められた演出や描写がデヴィッド・フィンチャー監督作品の大きな特徴である。



 優れた配置術による構図、緻密に練られた配色、映像の美しさでいえばこの『ゾディアック』はトップクラスに挙げられるのではないだろうか。





 







  代表作の一つである『ファイト・クラブ』(1999)なんて見るたびに新しいメタファーを見つけることができる実に見事な映画だと思う。





 さあ、この『ゾディアック』。

まず、“ゾディアック”とは、1970年前後にわたって、アメリカで実際に起きた未解決の殺人事件の犯人が自称した呼び名である。

ゾディアック事件 - Wikipedia


  この手の映画は基となる実際の事件のことを踏まえたほうがより深く楽しめる。それはどういった意味なのかというと、本筋の物語、主要な人物、事件の時代背景、をより多く理解していたほうがデヴィッド・フィンチャー監督が込めた本筋とは違った場所で流れている寓意が―本筋の理解に追い回されることなく見ることができ―より多く汲み取れるからである。
 
 実際に起きた連続殺人事件を描く映画に込めた寓意とは本当に存在するのか、またするとすればそれはどういうものなのか。それに対する答えはもちろん本編にある。





 デヴィッド・フィンチャー監督自身はDVD内のインタビューでこう語っている。


“事件をいい加減に描くつもりはない

実際の殺人事件だから関心が集まる

不幸にもドラマチックな事件だが、テーマは大量殺人犯への賛歌じゃない

犯人を掘り下げる気はない

興味の対象は別にある

ある意味で取り残された関係者が、満足できないままどう生き抜いたかだ”




 
 ふとしたことをきっかけに事件に深く関わっていくこととなるパズルが好きな漫画家ロバート・グレイスミス(ジェイク・ギレンホール)。押しに押すタイプではないが、たとえそれが硬く大きな岩であったとしても確実に一歩でも前に進もうとするタイプの刑事デイブ・トースキー(マーク・ラファロ)。難はあるが優れた記事を書く記者、ポール・エイブリー(ロバート・ダウニー・Jr)。



 解けないパズルに夢中になり、執着する漫画家。事件解決を求める強い圧迫感に反した決定打の不足にいらだつ刑事。自己を過大評価し勇み足を進めていく記者。


 自分こそが事件を解決する者だと信じ家庭を省みずスクラップ記事をため込み、事件そのものにとり憑かれる漫画家。
 家族を選び解決しない事件を降りていく相棒、未解決のまま流れる年月に自身の角が疲弊し磨耗するのを受け入れざるを得ない刑事。
 解決しない事件と同じように世間から忘れ去られ、酒と薬に溺れて大手新聞社を追われたかつては有能だった記者。



 未解決の事件を優先しライフ・ワークとしてしまった(かつて漫画家だった)一人の男の執念は真相を覆う深い霧を抜け、犯人が出した最後の暗号を解く。それはメディアに取り上げられ、グレイスミスはテレビに自身の顔を映す。しかし彼の妻は家庭の安全が失われたと感じ、子どもたちを連れ彼から去って行く。


 誰にも解けないパズルを解いたグレイスミスは一人の容疑者に辿り着き、(事件の真相かもしれない)それをトースキー刑事に語る。
 未解決の事件に見切りをつけたかのように思えた刑事だったが、事件の詳細を誰よりも詳しく覚えていた。そして、すべては情況証拠に過ぎず(刑事である自分には)どうすることもできないと語る。グレイスミスは自分がつかんだゾディアックに関する事件のすべてを本に書くことを決意する。

 そして、本を書き上げる男には確認しなければいけないことが一つあった。それは自分が辿り着いた容疑者をこの目で見ることだった。
 もし、男が真犯人ならば、自身の暗号を解きテレビに映った自分を見たはずだ。そして自分の顔を見たとき男は何らかの反応を見せるに違いない。

 かつて漫画家だったグレイスミスは一軒の店に入り、一人の男の前に立つ。そして男の目をじっと見る。









 出演していた人物は皆が皆、徹底して抑えられた演技をしていた。ひょっとすればそれは演出されたものかもしれない。それはまるでホテルのドアの下にそっと差し入れるメッセージ・カードのような演技だった。そこに気づいて初めて読み取ることのできる演技。



 それらあらゆる事の過程から顛末までが全体を覆う暗色の中、不自然に存在するパート・カラーのような鮮やかな色の車や電話機と共に映される。