2013年11月16日土曜日

物語ることでしか語ることのできない何か



If you really want to hear about it, the first thing you'll probably want to know is where I was born, and what my lousy childhood was like, and how my parents were occupied and all before they had me, and all that David Copperfield kind of crap, but I don't feel like going into it, if you want to know the truth.


―The Catcher in the Rye   J. D. Salinger




 こうして話を始めるとなると、君はまず最初に、僕がどこで生まれたとか、どんなみっともない子ども時代を送ったかとか、僕が生まれる前に両親が何をしていたかとか、その手のデイヴィッド・カッパ―フィールド的なしょうもないあれこれを知りたがるかもしれない。



―『キャッチャー・イン・ザ・ライ』  J・D・サリンジャー  村上春樹,訳








This is a memoir これはメモワールである 

と語り始められるジョン・アーヴィングの短編小説『ピギー・スニードを救う話』。

アーヴィングはチャールズ・ディケンズ的な誰がどこで生まれてどのように死んだかということを長大にそして細部にわたって描くことで(一度でも読んだことのある方はご存知の通り)物語の復権を目指した。



その文末にはこうある。



"Johnny, dear," she said. "You surely could have saved yourself a lot of bother, if you'd only treated Mr. Sneed with a little human decency when he was alive." Failing that, I realize that a writer's business is setting fire to Piggy Sneed-and trying to save him-again and again; forever.


―Trying to Save Piggy Sneed  John Irving





「おやおや、ジョニー。だからスニードさんが生きてた時分に、もうちょっと人間らしい扱いをしてやってれば、そんな面倒くさいことをしなくてもよかったろうに」
 それができなかった私は、いまにして考える。作家の仕事は、ピギー・スニードに火をつけて、それから救おうとすることだ。何度も何度も。いつまでも。



― 『ピギー・スニードを救う話』    ジョン・アーヴィング  小川高義,訳





救いのない事実に対し、物語ることで救済を見出す。
物語が持つ力の真髄だと思います。


練りこんだプロット、飲み込みやすい起承転結、小気味のいいリズム、事実に基づいた感動話、 的なしょうもないあれこれを知りたいわけではない。
圧倒的なフィクションから語られる物語に接したい。





たとえばフョードル・ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』。

複雑で長大な総合小説の最高峰に位置する作品。

すらすらとは読み進まない内容を読みきった後には「そうか、いわゆる愛とは人間愛とは物語ることでしか語ることのできないものなんだ」という読後感が残る。


物語ることでしか語ることのできない何か、を我々は語っているのか。

物語ることでしか語ることのできない何かが描かれている小説、映画、絵画、舞台演劇に接しているのか。




映画『ライフ・オブ・パイ / トラと漂流した227日』もそうでした。

喩えてみて物語ることでしか語ることのできない事実。

海難事故に遭い、少年パイと母親、そして貨物船のコックと仏教徒の船員。


貨物船のコックは仏教徒の船員と母親を殺し、少年パイは貨物船のコックを殺す。

そして何もかもを食糧にしなければ生き延びることができない容赦のない現実に遭遇した少年パイは、オランウータン、ハイエナ、シマウマ、ベンガルトラを登場人物に仕立て、物語ることでしか語れない227日の出来事を語る。












想像を基にしたフィクションで綴られる物語を描くことが難しくなっている。圧倒的な事実があるのならそれを基にしたドラマのほうがより人々の心に届くのではないか、と。


文責という言葉があるとおり、描く物語にも常に責任は伴う。


極限まで飢えた人々に、すべてを飲み込む津波にあった人々に、最愛の人を亡くした人々に、抱えきれない現実に打ちのめされた人々に、そういう人々こそ“物語ることでしか語ることのできない何か”を持っている。そういった物語を描きたい。