2010年6月14日月曜日

Daft Punk


 
 
 
 


アニメーターの松本零士が制作したDaft Punkの長篇ミュージック・ビデオ『INTERSTELLA 5555』。



その中の一曲を使って遊んだビデオ
 
Daft Hands - Harder, Better, Faster, Stronger



 

 初めて見たとき、ピントのボケも視覚エフェクトなんだと思って感動したんですが、ただのボケだったみたいです。



Black Eyed Peasの『Boom Boom Pow』のPVみたいに音響エフェクトと視覚エフェクトをリンクさせればより一層楽しく(そんなのなくても十分楽しい内容なんですが)なったと思います。


2010年6月13日日曜日

ジャグリングの日


 

 
 
世界ジャグリング協会(WAJA)によって認定されたジャグリングの日である今日、6月13日。


ジャグリングといえば、「That Old Pair of Jeans」


「That Old Pair of Jeans」といえば「FATBOY SLIM」







 そういうわけで、大嘘から強引にこのvideoにつなげたわけです。



performanced by Chris Bliss



ラップ、ゴスペル、ジャグリングの見事な融合。








大道芸で身を立てている人(おっさん)は、どこか滑稽で、とてつもなくかっこいい。

『本当の戦争の話をしよう』


 
 
 

『本当の戦争の話をしよう』

著者,ティム・オブライエン(Tim O'Brien 1946.10.01- )

訳者,村上春樹

出版社,文藝春秋









 この本で初めてティム・オブライエンを知った。


 ティム・オブライエンは、ベトナム戦争で実際に戦地に赴き、「戦争」を経験した。帰国後、戦争をテーマにした小説を書き続けている(というよりも書く内容がどうしても戦争のことについてになってしまう)。



 ベトナム戦争、PTSD
こう知ってしまうと、すっと読むことが難しい。目の前に一つの大きく重そうな岩があって、それを動かさないことには先に進めそうにない。そういった感じがした。



 だが読み終えて、初めに得た印象は間違いだったと気づく。すばらしい小説だった。形式は短篇小説集だが、ひとつひとつの短篇は(きっちりとではないが)それなりに連なったものである。




 著者ティム・オブライエンについて

 アメリカの五大湖の一つスペリオル湖とカナダ国境に接するミネソタ州に生まれる。23歳から24歳にかけて歩兵としてベトナム戦争(1960-1975)に従軍する。
 帰国後、ハーバード大学大学院で政治学を学び、ワシントン・ポストでの勤務を経た1973年に処女作となる『僕が戦場で死んだら』を刊行、1979年には『カチアートを追跡して』で全米図書賞を受賞した。


ティム・オブライエン - Wikipediaを参照しました





 では、ティム・オブライエンは「戦争」を「書くこと」で自らを癒そうとしているのか。






 その答えとなる文章が本著の中にあった。


 私はものを書くことをセラピーであるとは思わなかったし、今でも思っていない。でもノーマン・バウカーの手紙を受け取ったとき私はこう思った。俺は文章を書いていたからこそあの記憶の渦の中を無事に通り抜けてくることができたんだな、と。もし文章を書いていなかったなら、私だってどうしていいかわからなくなっていたかもしれない。あるいはもっとひどいことになっていたかもしれない。でも物語を語ることによって、君は自分の経験を客観化できるのだ。君はその記憶を自分自身から分離することができるのだ。君はある真実をきっちりと固定し、それ以外のものを創作する。君はある場合には実際に起こった物事から書き始める。たとえば糞溜め野原の夜の出来事だ。そして君は実際には起こらなかったことを創作して、その話を書き進める。でもそれによって君は真実をより明確にし、わかりやすくすることができるのだ。
-『本当の戦争の話をしよう』内『覚え書』より抜粋







2010年6月12日土曜日

ボブの絵画教室


 
 

 すっかりその存在を忘れていましたが、当時(今から10年以上前)BS2で放映していた番組だったと記憶しています。


 絵を描くにしても、何かスポーツするにしても、料理するにしても、楽しみがあって初めて興味がわくものです。

 この番組のボブさんの話からそれがにじみ出ていて、さらに絵のうまさが  まあ見てください。




【ニコニコ動画】ボブ・ロス - 灰色の山並み









2010年6月6日日曜日

『道』

 
 

映画『道』(『LA STRADA』)
(1954)

監督,フェデリコ・フェリーニ(Federico Fellini 1920.01.20-1993.10.31)

出演,アンソニー・クイン(Anthony Quinn 1915.04.21-2001.06.03)

ジュリエッタ・マシーナ(Giulietta Masina 1920.02.22-1994.03.23)








 貧しい家庭の長女であるジェルソミーナ(ジュリエッタ・マシーナ)は一万リラと引き換えに大道芸人ザンパノ(アンソニー・クイン)の助手をすることとなる。『怪力男ザンパノ』としての芸で身を立てているザンパノは、粗暴で野卑。かいがいしく尽くすジェルソミーナをも冷たくあしらう。







  ウディ・アレンの映画『ギター弾きの恋』を先に見ていましたから、感動はそうでもないものの、これはまさしくフェデリコ・フェリーニの最高傑作です。










 ちなみに『ギター弾きの恋』は、



 ギターの腕前だけで生計を立てているエメット・レイ(ショーン・ペン)は、悪ふざけ半分のナンパで口のきけないハッティ(サマンサ・モートン)と出会い、同棲を始める。
 ハッティはエメットの弾くギターに本当の愛の存在を強く感じ、そこに強く惹かれた。だからこそ彼女はエメットにかいがいしく尽くす。当時のエメットはそれに気づいてはいなかったが、自分を無条件で愛してくれるハッティを大事にした。



 だが、時は流れ、エメットの芸術家的な傲慢な性格は拍車がかかり、エメットはハッティを捨て、上流階級出のブランチ(ユマ・サーマン)と結婚するが、そんな結婚はうまくいかず、すぐに破綻する。
 ある日、エメットは都合よくハッティの下に現れ、やり直そうとするが、既にハッティは結婚し、子を持っていることを知る。
  今となってはどうやっても得ることのできない―自分自身が過去に無碍にした―本当の愛に気づき、エメットは悲嘆に暮れる。





 悲嘆に暮れたエメット。ギターを持ち、弾いていると自然と当時の曲を弾いてしまっていることに気づきます。









映画『ギター弾きの恋』 (『SWEET AND LOWDOWN』)
(1999)

監督,脚本,出演,ウディ・アレン(Woody Allen 1935.12.01- )

出演,ショーン・ペン(Sean Penn 1960.08.17- )

サマンサ・モートン(Samantha Morton 1977.05.13- )

ユマ・サーマン(Uma Thurman 1970.04.29- )





2010年6月2日水曜日

『エレジー』





映画『エレジー』 (『ELEGY』)
(2008)

監督,イザベル・コイシェ(Isabel Coixet 1960.04.09- )

脚本,ニコラス・メイヤー(Nicholas Meyer 1945.12.24- )

原作,フィリップ・ロス(Philip Roth 1933.03.19- )

撮影,ジャン=クロード・ラリュー(Jean-Claude Larrieu - )

出演,ペネロペ・クルス(Penelope Cruz 1974.04.28- )

ベン・キングズレー(Ben Kingsley 1943.12.31- )

パトリシア・クラークソン(Patricia Clarkson 1959.12.29- )

デニス・ホッパー(Dennis Hopper 1936.05.17-2010.5.29)

ピーター・サースガード(Peter Sarsgaard 1971.03.07- )

デボラ・ハリー(Deborah Harry 1945.07.01- )








 『死ぬまでにしたい10のこと』のイザベル・コイシェ監督作品。



 素晴らしい映画でした。
何が素晴らしいのか。監督の見ている世界なのか、脚本なのか、原作なのか。


 脚本は、同じくフィリップ・ロス原作『ヒューマン・ステイン』の映画化『白いカラス』の脚本も担当したニコラス・メイヤー。




気になったので原作も読みました。


『ダイング・アニマル』

著者,フィリップ・ロス

訳者,上岡伸雄

出版社,集英社






「わが情念を焼きつくし給え、欲情に病む情念、死を背負う獣性(ダイング・アニマル)に金縛りになった情念は、身のほどをわきまえぬ」
―『イェイツ全詩集』 (鈴木弘訳)







 ペネロペ・クルスが見せる多彩な表情(表相)や、友人役のデニス・ホッパー(2010年5月29日前立腺癌による合併症のため死去。 合掌)の枯れたカラスのような老成っぷりが素晴らしかったんですが、何よりベン・キングズレーなしではこの映画は成り立たなかったでしょう。




 老いてなお、美であり、生であり、性に執着する男の物語。


 60を過ぎた老批評家ケペシュは劇中のモノローグで語る。
コンスエラ・カスティーリョを前にするとあらゆること―性に対する執着であり羞恥であり憐憫であり悔悟でありを無自覚に行なっているのではなく、さらに矛盾を正当化することなく、自覚し自己分析した上でとってしまう衝動的な言動だと。