2010年12月12日日曜日

ワイルダーならどうする?

先日、とある人からふとしたことで商品券のようなものを頂いた。

日頃のお礼だということだった。けど、こういうものはもらったはいいがお礼と使い道に困ってしまう。だからといって「要らないです」と返すのも相手の心を無下にするようでできない。

結局、以前から買いたいと思っていたけれども、何度も図書館で借りて隅から隅まで読んでいたから手元に置いておくほどのものでもないか、でも手元に置いてこその内容だったな、という本を買うことにしました。



それがこの本。







1997年から1998年にかけて映画監督ビリー・ワイルダーに、ライターでもあり映画監督でもあるキャメロン・クロウが行ったインタビューをまとめた本。



午前十一時の面会の約束にふれるとワイルダーは驚き、にわかに申しわけなさそうな態度になった。忘れていたと言い、階上の事務所にあがるよう促した。「一緒に来てくれないか。それにサインしよう」
私と階段をあがりながら、頭のなかで今週の予約を確認しているようだった。いや、いや、聞いてないぞ。キャメロン・クロウという男と会うなんて。ドアを開けて、私を招じ入れた。マルレーネ・ディートリッヒの写真が掲示板に鋲でとめてある。デイヴィッド・ホックニーによるワイルダー夫妻のコラージュ写真が壁にかかっている。アインシュタインのポートレイト。フレームに入った、クロサワ、フェリーにとならんだ写真。そしてドアの上方には噂に聞いた名高い文字。ソール・スタインバーグのデザインによる「ルビッチならどうする」。


ルビッチならどうする?』あの文字を長いあいだ壁にかけてきた。シナリオを書くとき、企画を練るとき、絶えずあれを見つめてきた。「ルビッチならどういう道を進むか? 彼ならどうやって無理なく見せるか?」
―本文から抜粋










そして、商品券とは関係なく買ったのがこの本。




プロダクト・デザインのパイオニア柳宗理が88歳を迎えて刊行する、初のエッセイ選集。



デザインのアノニマス性に関して記述している箇所が強く心に残る。















2010年12月5日日曜日

Ducks blown off their feet by the wind

 
 
 
 
 
 
















心の声「親ー!」

親「ずざざー ・・・ ずばばー」



2010年12月4日土曜日

ハードワーク

Mail no.1036に書きましたが、人口が過密でストレスフルな街に住む人の中には押し潰されそうになっている人もいる。


先日、自転車(クロスバイク)で街乗りしていると、対向してくるロードバイクに乗ったおじさんが近づいてきた。

自転車も車と同じで左側車線を走るという自転車乗りのルールがあります。そして僕はそのときそれを守らず右側車線を走っていた。

おじさんは僕を避けるでもなく、真正面から近づいてきて二台の自転車がぶつかる寸前に止まった。

そして、おじさんは汚い捨て台詞を吐いて、去っていった。

ルールを守っていない僕がよくないんだけど「おじさん、狭いのは東京の街ではなくあなたの心だよ」と僕は思った。





話は変わりますが、街には空き缶を拾い集めて生計を立てている人がいます。

地域によって相場は違うそうですが、だいたい1kgの空き缶が100円だということです。

空き缶一つの重さがだいたい20g。単純計算だと500個集めてやっと100円になるということです。一日5000円稼ごうとすると25000個の空き缶が必要になります。

これを調べたきっかけが、最近この空き缶を集めて生計を立てている人をよく見かけるのでそんなに儲かるのか? と思って調べてみました。

それができるならもっと他の仕事できそうなのに、そう思ってしまう。
でも、そういう人に限って昼間から缶チューハイを飲んでたりする。


あと、電車の網棚の捨て(忘れ)雑誌を集めて生計を立てている人もいます。

それは分かるんですが、スーツを着た帰宅途中のサラリーマンのおじさんが駅のゴミ箱のふたを開けて雑誌を探してたりしている光景もたまに見る。


過度な人口密度とデータ上でしかない競争社会が生んだ人間関係というのはとことんなところにまで近づきつつあるようです。



そういえば、新宿を友人と歩いていたとき、ビルから眼鏡をかけた地味な若い青年が出てきて「さあて、今日はこのお兄さんに声かけて終わりにしようかな」と僕にだけかろうじて聞こえる大きさの声で話しかけてきたことがある。

僕はそういうのはあれなので、聞こえてないふりはもちろん、気づいているのに気づいてないふりをしてその場を去った。(つまり何のリアクションもせずにただ歩いたということです)
あとあと考えてみたら、怪しいDVDを買わせる人だったようです。

道端、勉強中なので手相を見せてくださいと言って声をかけて、途中からなぜかツーマンセル(二人一組)になって高いツボを買わせる人もいる。

この人たちの驚くべきところは見た目に"それらしきところ"が一切ないところです。

どこにでもいそうな普通の人"がまったく普通ではないことをして生計を立てている。


これに比べると渋谷の駅前に立っている(どこからどう見てもキャッチするだろう姿の)キャッチの人たちがかわいく見える。

初対面だろう若い女の子のアゴを「うりー」と言いながら指で撫でて声をかけている渋谷駅前のキャッチの光景を見ると、太陽のこもれ日の中で揺れる草原を見ているかのようなのどかな気持ちになります。



そしてこれが今日の昼、近所の道で見かけた光景。






夕方になっても状況は変わってませんでした。





嫌気がさして走り去ったのでしょうか。

しんどい仕事だもんね。





12月だというのに日中の気温が20度を超えている。
こういうのって顔を持たない地球の表情なのかもしれない。


今地球はどういう表情をしているのでしょうか。

ACなことを思っちまいました。