なので、近くの川沿いの道を7.5km走りました。
以前住んでいたところの近くには新中川という川があって、その川沿いの道を虎ならバターになるくらいグルグルと同じところを回っていました。
空が抜けるように広がり、季節によって違う水鳥の姿が見える素晴らしいジョギングコースでした。
今は歌にもなっている神田川。
普段は水量が極端に少ないのに、雨が降ると見るのが怖いほど本気の濁流と化します。
空は、広いとは言えず、水鳥はマガモの親子がいたりいなかったり。
日常的に走ることのない人には理解されないことですが、走るとき、寒さ暑さはあまり関係ありません。
どんなに寒くても2kmも走れば汗が出るほど身体は温まります。逆に、暑いときは流れる汗の心地よさを全身で感じるだけです。
村上春樹さんも言っておられますが、走るのは“シューズと道路さえあれば、いつだってどこだって簡単にできる”と。
まさにそのとおりで、思い立って、それを行動に移せばいつだってどこだって走ることができます。
そして楽しい。
素晴らしいことではないでしょうか。
その後ろのほうのページにスカッシュをしていて肉離れをしたエピソードがあります。
そして、元巨人軍監督(ふと思いましたがなぜ巨人というチームにだけ軍がつくのでしょうか?ヤクルト軍、ソフトバンクホークス軍とは言いませんよね。)長島茂雄氏は肉離れのことを「ミート・グッドバイ」と呼んだというエピソードにつながる。
その後の記述。
ほんとかなあ、いくらなんでもそこまで・・・・・・とは思うんだけど、ひょっとしたら本当かもしれない。たとえ本当ではないとしても、まあいいじゃないですか。僕らはみんな、何か生きるよすがになるような、明るい前向きの神話を必要としているのだから。
ジョーゼフ・キャンベルです。
思わず笑ってしまったけども、そうか、そうかもしれないな、と思わせる記述があるのが村上春樹さんのエッセイの特徴です。
古代ギリシャ人にとってホメーロスの叙事詩が重要であるのと同様に、僕にとって『シドニー!』は重要な意味合いを持つ中身がないようで余りある優れたエッセイのお手本のような著作です。
時代や国を超えて語り継がれる神話は人類の元型になっているのかもしれない。だからこそ、物語は人の心に浸透し、感情を揺さぶり、時にはその人格さえも変えてしまう。
たとえば原発事故、あれほどのことがあっても私達の心のどこかに「この危機を解決してくれる英雄がひょっとしたら現れるのかもしれない」と思う部分があるとすれば、それは神話に出てくる英雄像が元になっている。
そういった楽観的な考えは心を救ってくれるかもしれないが、地球に起こっている現実は救えない。
大気と海はおびただしく汚染され、そこに生きるすべての生物の体内には毒性の物質がたまり、それは食物連鎖で循環していく。
でも、まあ、アメリカ経済が深い沼の中心に沈み、欧米やアジアの諸各国を引きずり込んでいる世界経済。そこには避けることのできない大きな歪みがあり、軋轢があり、先行き不透明な強い不安感がある。
そんな現在にこそ『何か生きるよすがになるような、明るい前向きの神話が必要』なのかも。
と、まあそんなことを考えたりもしながら(何も考えなかったりもしながら)の今日のジョギングでした。
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