2010年8月20日金曜日

啓蒙かまぼこ新聞







著作『せんべろ探偵が行く』 で、千円でべろべろになるまで飲める店を紹介した中島らもさん。



2004年7月16日未明、神戸某所の飲食店の階段から転落して全身と頭部を強打。脳挫傷による外傷性脳内血腫のため神戸市内の病院に入院。
その後、意識が戻る事は無く、事前の本人の希望に基づき、人工呼吸器を停止。同月26日午前8時16分に死去。享年52歳。

中島らも - Wikipedia







(若さだけで生きていけると思っていた)ある日、酒を飲んで、翌朝目が覚めたら自宅だったことがあります。
店を出て、家にたどり着くまでの記憶が一切なく、よく帰り着けたなと「帰巣本能」でも働いたかと感心していたのですが、全身に強い痛みが。
見てみると体や顔に青アザを通りこえた黄色いアザがあった。(完全に細胞が死んでいる色だった)

どこでどうなったのかも記憶にない。



このことを思い出すとき必ず中島らもさんのことが頭を横切る。
もちろん直接は知らないし、著作や活動に詳しいというわけでもないけれど、このエピソード(酩酊状態で階段を転げ落ち、意識不明になり、そのまま、という)だけは強烈な印象を保ち続けています。


映画『リービング・ラスベガス』もそうですが、すぐにでもアルコールの依存から脱け出さなければ(ある程度の実感を伴う経験をした後、故人と同じようなことしてちゃ、後に生まれてきた意味がないでしょ)と強く思うほど「のめり込み度」が深すぎる。




そんな(どんな?)中島らもさんの著作『啓蒙かまぼこ新聞』の解説に村上春樹さんの名前が。




『中島らもとニュー・ウェストの抬頭』という題名で書かれた文章。日付は一九八六年九月とあります。ということは村上春樹さんが37歳の時に書いたということです。

文中にもありますが、長期の海外旅行前の忙しい最中に書いた、とあります。
1986年10月に村上春樹さんは日本を離れ、(結果三年間)ギリシャやイタリアなどで暮らし、『ノルウェイの森』、『ダンス・ダンス・ダンス』を執筆されていますから本当に直前のことだったようです。


いったい、どういう経緯で解説を書くようになったのかは分かりませんが、文中から察すると、「中島らもさんの書く文章に好意を持っている」、「村上春樹さんと中島らもさんの出身地が関西(阪神間型)ということが関係している」、「食べ慣れ親しんだ『かねてつのカマボコ』」がその理由として挙げられますが、本当のところはやはり分かりません。


ともかくも、
村上春樹さんが若いときに書かれた文章には、今の村上春樹さんからは出てこない特徴がいろいろとあって面白い。 ヘミングウェイの文章のことを「餃子食って寝っ転がってるみたいな文章」(『ウォーク・ドント・ラン』 詳細の記憶は曖昧です)だと表現したりだとか。

この『中島らもとニュー・ウェストの抬頭』には村上春樹さんの奥さんが(そして、その奥さんの妹さんも)登場します。

村上春樹さんの奥さんが登場するエピソードに外れなしだと僕は思っています。
ボヤキとケナシ役の奥さん、とステイ・クールを気取る旦那がやりとりする夫婦漫才みたいなんですよね。






そんな(一度も会ったことがない)中島らもさんの文章の魅力を村上春樹さんはこう書いています。

僕が中島らもの文章を好むのは、そういう「実在感の消し方」がわりに好きだからである。たぶんこの人には本質的なてれがあって、それでごく自然にこういう文章とか文脈で物事を処理しようという方向に流れていくのだろうと思う。僕は実際に中島らもに会ったことがないので、正確には何とも言えないのだけれど、たぶんそういう人じゃないかと思う。てれて、てれて、放っておくとそのままどんどん物事の泥沼的側面にはまりこんで抜けだせなくなるというタイプである。だから物事の本質を意識的に稀釈していくことで自己を救済しようと努めているのではないかという気がする。







『啓蒙かまぼこ新聞』

著者,中島らも

出版社,ビレッジプレス