2011年12月24日土曜日

神田川 10000m

12月24日 

いつものジョギングコースを10500m走る。

タイムはだいたい50分でした。

ということは1kmを5分。 そんな早いペースで走ってたのかな。 ひょっとして1周(1500m)間違ってカウントしてしまってたのかもしれません。




12月24日


もちろん、前提として、僕の目が曇っていて、さらに歪んでいるからなのだろうけども、街を歩く男女二人の姿を見ると思わず笑ってしまう。


クリスマスというボールを手にした投手が、大げさなモーションで振りかぶって、そおっとストライクを置きにいっているように見える。


笑ってしまっていて「いや待てよ」と考える。

1年365日、すべての日において街中で歩く男女二人の姿を見ることができるはずだ。

なぜ、この日だけどこか可笑しげな光景に見えるのだろう。


答えは着飾り感だと思います。

肩に力が入っちゃって、背伸びもして、この日に挑んでいる、という様子が見て取れるからだろうと。



(実年齢はともかくとして精神的に)若い人に多く見られるようです。

自然体でいいのにね、と思える日は彼ら彼女らに来るのだろうか。

それとも、それらも含めて特別な日として楽しんでいるのだろうか。






僕には特別な日を特別視することを嫌う友人がいます。

彼いわく、誕生日だとかクリスマスだとか、決まった日、決まったタイミングで何かを祝うのはそれ以外の日をおろそかにしている、のだと。

平和と安定を好み、波風を嫌う女性にとっては面倒極まりないことかもしれませんが、すべての日が特別なんだよという彼の主張は「なるほど、そうか」と思える部分がないわけではない。


その友人のもうひとつの特徴として、彼が誰かのエピソードを話すとき、それらすべてがコテコテの関西弁になる、というのがある。

関東出身の後輩のエピソードであろうと、チャイニーズ系の女の子のエピソードであろうと、彼が再現するとコテコテの関西弁を喋っている体になる。


「いや、実際はそんな風には喋ってないよね。モノマネしてくれとまでは言わないけれど、せめて少し寄せる努力があってもいいんじゃない」と思うが、彼が育った大阪の土壌というのは彼自身の中に深く強く根付いているので、そこを否定すると彼を否定してしまうことになるのかなと思って言わないでいる。

そのほうが良いとは思うけれども、笑いを交えて言ってしまう。






という思いが交錯している街中。


本屋に立ち寄るとそこにはジョン・アーヴィングの新著がありました。















「oh my (god)」

冗談でもなんでもなく思わず声に出てしまいました。


ジョン・アーヴィングの新著。

出すんだ。

また読めるんだ。







生きてみるもんです。

2011年12月18日日曜日

神田川 7500m

夏の走りこみが足りなかったのか、最近なまくら身体になっているような気がします。


なので、近くの川沿いの道を7.5km走りました。


以前住んでいたところの近くには新中川という川があって、その川沿いの道を虎ならバターになるくらいグルグルと同じところを回っていました。

空が抜けるように広がり、季節によって違う水鳥の姿が見える素晴らしいジョギングコースでした。





今は歌にもなっている神田川。

普段は水量が極端に少ないのに、雨が降ると見るのが怖いほど本気の濁流と化します。

空は、広いとは言えず、水鳥はマガモの親子がいたりいなかったり。









日常的に走ることのない人には理解されないことですが、走るとき、寒さ暑さはあまり関係ありません。
どんなに寒くても2kmも走れば汗が出るほど身体は温まります。逆に、暑いときは流れる汗の心地よさを全身で感じるだけです。




村上春樹さんも言っておられますが、走るのは“シューズと道路さえあれば、いつだってどこだって簡単にできる”と。








まさにそのとおりで、思い立って、それを行動に移せばいつだってどこだって走ることができます。

そして楽しい。

素晴らしいことではないでしょうか。




その後ろのほうのページにスカッシュをしていて肉離れをしたエピソードがあります。

そして、元巨人軍監督(ふと思いましたがなぜ巨人というチームにだけ軍がつくのでしょうか?ヤクルト軍、ソフトバンクホークス軍とは言いませんよね。)長島茂雄氏は肉離れのことを「ミート・グッドバイ」と呼んだというエピソードにつながる。

その後の記述。


ほんとかなあ、いくらなんでもそこまで・・・・・・とは思うんだけど、ひょっとしたら本当かもしれない。たとえ本当ではないとしても、まあいいじゃないですか。僕らはみんな、何か生きるよすがになるような、明るい前向きの神話を必要としているのだから。



ジョーゼフ・キャンベルです。







思わず笑ってしまったけども、そうか、そうかもしれないな、と思わせる記述があるのが村上春樹さんのエッセイの特徴です。

古代ギリシャ人にとってホメーロスの叙事詩が重要であるのと同様に、僕にとって『シドニー!』は重要な意味合いを持つ中身がないようで余りある優れたエッセイのお手本のような著作です。










時代や国を超えて語り継がれる神話は人類の元型になっているのかもしれない。だからこそ、物語は人の心に浸透し、感情を揺さぶり、時にはその人格さえも変えてしまう。


たとえば原発事故、あれほどのことがあっても私達の心のどこかに「この危機を解決してくれる英雄がひょっとしたら現れるのかもしれない」と思う部分があるとすれば、それは神話に出てくる英雄像が元になっている。

そういった楽観的な考えは心を救ってくれるかもしれないが、地球に起こっている現実は救えない。


大気と海はおびただしく汚染され、そこに生きるすべての生物の体内には毒性の物質がたまり、それは食物連鎖で循環していく。



でも、まあ、アメリカ経済が深い沼の中心に沈み、欧米やアジアの諸各国を引きずり込んでいる世界経済。そこには避けることのできない大きな歪みがあり、軋轢があり、先行き不透明な強い不安感がある。

そんな現在にこそ『何か生きるよすがになるような、明るい前向きの神話が必要』なのかも。







と、まあそんなことを考えたりもしながら(何も考えなかったりもしながら)の今日のジョギングでした。

2011年11月17日木曜日

映画 『ヒア アフター』 を観たあとに

ジョージ・ロネガン

アメリカ、サンフランシスコに住む一人の男性。


彼は子どものとき、病気にかかり感染症を起こし高熱を患う。

それによって脳と脊髄が炎症を起こし、脳脊髄炎になった。

首の後ろを切開する手術は8時間を超え、一時的に臨死を経験する。


医師の蘇生によって命は取りとめ、病も克服し、回復に至った。

だがそれ以降、原因不明の偏頭痛が起こるようになった。
そしてこれまで見たこともないような悪夢を見るようになる。



もし、すべての始まり、兆しと呼べるものがあるとすればこの時点だったのかもしれない。


ある日、友達の隣に座っていると、見覚えのない一人の女性の姿が見えてきた。
幻覚にしてはあまりにもくっきりと見える女性のことを友人に話すと、友人には女性は見えていなかった。

その女性の特徴を友人に話すと、それは友人の母親にそっくりだった。
だが、友人の母親は前の週に亡くなっていた。


日が経つにつれ死者のヴィジョンを見る機会は増え、病院に連れて行かれたが医師は『受動型統合失調症(passive schizophrenia)』と診断。


多量の薬を与えられ、それを飲むとヴィジョンは収まったが、正気なのかどうかさえ分からない状態になった。


事あるごとに見る死者のヴィジョンに耐えるか、薬によって人生を失うか、少年は決断を迫られ、選んだ。




『死者の世界と接触でき、死者と対話できる』


近親者の死で悲しみに暮れる人々にとってそれは大事なものと引きかえにしてでもすがりたい能力だった。



兄ビリー・ロネガン(恐らくは歳の近い兄弟、ひょっとしたら二卵性双生児なのかもしれない。ジョージは自分のことをベイビーブラザーと言っていた)は違う目でそれを見ていた。



弟の能力を使えば大金を得ることができる。そう考えた兄は仲介者となり、ウェブサイトを立ち上げ、霊能商売を始める。



霊視はジョージ・ロネガンに何を与えたのだろうか。


多くの生者と対面しても、彼らが見ているのは自分ではなく死後の近親者の姿だった。

そして、自分が求められ見ているのも死者の世界にいる人々ばかりだった。


ジョージ・ロネガンは、死者が生きている間に伝えられなかったことを自分の言葉を通して彼らに伝えた。

それは、後悔と懺悔の念であったり、どれほど愛してたかということや感謝の気持ちであったり、また、何らかの警告だったりした。



多くのカウンセラーにとって対面するすべての人々が(ケーススタディという側面では)クライエントであるように、ジョージ・ロネガンも接触するすべての人々を(自分の意思に沿わない場合でも)霊視した。


まともな人間関係が築けない。
少年期から現在に通じてジョージ・ロネガンに密接する悩みだった。



自分に与えられた能力は(兄が言うような)gift(才能)などではなく、curse(呪い)だと感じるようになっていった。

そうしてあらゆる霊視をやめ、人との接触から遠ざかり、建築現場で働き、(まあなんとか)生活できるだけの収入を得るようになった。







マリー・ルレ

フランスのテレビ局のキャスターを務める女性ジャーナリスト。




彼女は休暇を利用して、同じテレビ局でプロデューサーを務める恋人ディディエとタイのビーチ・リゾートに来ていた。

最終日の朝、八時頃だった。彼女は旅の土産物を探すため一人で地元市場を歩いていた。

そこで彼女はスマトラ島沖地震による津波に飲み込まれてしまう。



突如として現れ押し寄せた濁流は彼女を死の中心まで引きずり込もうとし、彼女はそれに抗った。

だが、抵抗は空しく、彼女は激しい津波の流れに飲まれてしまう。


水の底に向かう彼女の意識が遠のいた時、周囲は動きを遅め、スローモーションのようになった。

死がもっとも彼女に近づいたとき、彼女はこれまでに見たことのない光景を見る。


明るく広大な場所にいくつもの人影がある。
見たことのない人影と、見覚えのある人影。それは同じくして津波に飲まれた人々だった。
その人影は何かをささやいているが、ささやきが重なりあってうまく聞き取ることができない。

見覚えのある人影がクリアに見えかけ、ささやきがうまく聞こえそうになったとき、その明るく広大な場所は彼女を突き放すように去って行く。


奇跡的に生還した彼女は生と死の境界線を二度またぐということを経験した。


その経験はマリー・ルレに何をもたらしたのか。

彼女は日常に戻り、テレビ局に出社し、控え室でメイクを終え、自分の目の前にある鏡をじっと見つめた。臨死以前と以後の違いを鏡に映る自分の姿に見つけ出そうとしていた。




臨死後、始めてキャスターの椅子に座る。

六台のカメラが彼女を捉えている。別室にあるサブ・コントロール・ルームにはプロデューサーであり恋人であるディディエが控えていて、その指示がイヤホンを通じて聞こえている。

オンエアが始まり、ゲストに迎えた大手アパレル会社のCEOに対し、東南アジアでの児童労働とその雇用条件の実態について鋭く切り込み、攻めるシナリオができていた、はずだった。

番組の本番中、追求を言い逃れるCEOを前にして、彼女の脳裏に浮かんだのは臨死のときに見たあの光景だった。




自分が見たあの光景はいったい何だったのか。
そのことばかりを考えるようになっていった。


恋人のディディエは番組のプロデューサーとして仕事に身の入らない彼女を見ていた。

そして一時的な休暇を取るよう彼女に提案する。


彼女は休暇を利用して以前から考えていた執筆活動に専念しようと決める。

言い換えればそれは、何かをしていないと常にあの光景が頭に浮かぶからだった。


だが、執筆していようが、何をしていようがあの光景は常に彼女の頭に浮かんだ。


そして彼女は自分が見た光景のこと、死後の世界、臨死についてを題材とした本を書くことを決意する。






双子の兄弟、マーカスとジェイソン。



イギリスのロンドンの母子家庭に育つが、母親のジャッキーは重度のアルコールと薬物中毒者である。



そんな実態を知る児童福祉局の役人は度々来訪しているが、マーカスとジェイソンは協力して薬とアルコールでよれよれのジャッキーが親権を喪失しないよう取り繕う。

理由はいたってシンプル。双子の兄弟は母親と一緒にいたいからだ。

だがある日、母親に頼まれた薬(ナルトレキソン塩酸塩の処方箋。母親は薬物中毒から抜け出そうとしていた)を薬局に取りに行ったジェイソンは地元の悪ガキに襲われ、追いかけられる。

全速力で逃げ、道に飛び出したジェイソンの前にベンツ社製の大型のバンが現れ、ジェイソンは撥ねられる。

ジェイソンの身体は宙を飛び、路上駐車していた車のフロントガラスに叩きつけられる。



右心室を失った心臓が機能しなくなるのと同様に、マーカスはジェイソンを失い、事の流れに対処しきれず、更生施設に行く母親とも離され、里子として他人の家で養われることになる。












「死をまたぐ」経験をした人に共通して言えることは、それ以降、常に生と死の境界線を意識せざるを得なくなることだろう。


当たり前の生があると同様に、当たり前の死を常に有している自分を認識し続ける。

この感覚は経験していない人とは共有できない。

話していて、触れていて、はっきりとした違和感に気がつく。違和感を感じた相手とは何をしても腑に落ちていかない。話す言葉も触れる体温でさえも仮そめのものに思える。まるで投影されたホログラムと接しているような感覚。








ジョージ・ロネガンとその兄ビリー・ロネガンがいい例だ。

ジョージは偏り限られた対人関係しか築くことのできないことに悩みを抱き、兄は弟の本質を見ることもなく世俗に満ちた金儲けに走る。


そして、ジョージ・ロネガンは悩みである対人関係を克服しようと料理教室に通う。



そこで一人の女性メラニーと出会い、週に一度の料理教室を通じて個人的な(霊媒を除いた)関係を築いて行く。

だが、呪いは彼に重く圧し掛かる。

誰かと触れることで見たくなくてもその背景が見えてしまう。死者の世界と接触して見えるのは知らない誰かの亡くなった近親者の姿だった。その姿はジョージ・ロネガンに感情や言葉を唐突にぶつける。

だからこそ、彼は人を避け、触れることから極端に遠ざかってきた――単なる握手でさえも彼にとっては致命的な瞬間だった。


ある日、ジョージはメラニーを部屋に招き入れて食事を作ることになったが、交わした会話で以前は霊能力者として活動していたことを打ち明ける。

好奇心から自分を見て欲しいとメラニーは頼み、ジョージは渋々了承してしまう。



メラニーに触れたジョージが見たのは背の高い女性と、黒い髪の男性、そして男性に連れられている少女の姿だった。



女性は母親、心臓発作で亡くなっていた。男性は父親、去年亡くなったばかりだった。だが、ジョージは言わないほうが良いと判断したのか少女のことは何も言わなかった。代わりに父親の言葉を代弁した。


“すまなかった” 父親はその言葉を繰り返していた。

井戸から汲み上がる水を待つ砂漠の民のような顔をしてメラニーはジョージを見ていた。

だが、死者が生きている家族に対してする懺悔は良くない流れだった。

遠い過去に封じ込めた出来事がよみがえり、埋もれていた傷口が開き、その人は再び深く傷つくことになる。ジョージは経験からこのあと起きるだろう事の展開を察知していた。

“ずいぶん昔に酷いことをした” “いつの日か許して欲しい” 父親はそう言っていた。


メラニーの感情は大雨の後の合いまみれた濁流のように彼女の内側からあふれ、そして涙として外に流れた。


霊視を終え、身の置き場を失ったメラニーは立ち去ってしまい、再びジョージの前に現れることはなかった。



ジョージはチャールズ・ディケンズの朗読テープを聴く独りきりの生活に戻った。

朗読テープの声はこう言っていた。


“The old, unhappy feeling that had once pervaded my life came back like an unwelcome visitor, and deeper than ever. It addressed me like a strain of sorrowful music a hopeless consciousness of all that I had lost all that I had ever loved.  And all that remained was a ruined blank and waste lying around me, unbroken to the dark horizon.”


かつて 僕に取りついていたあの不幸感が招かれざる客のように心の奥深くによみがえった

僕の中で悲しみの旋律が響き渡る 絶望を感じた失ったものすべてに愛したものすべてに

あとに残された空虚さと荒廃だけが僕のまわりに広がり闇の地平線まで続いた




「リトル・ドリッド」の一節だった。









ここで不思議に思ったのがジョージの部屋の構造でした。

まず玄関。壁には彼がもっとも敬愛する小説家チャールズ・ディケンズの肖像画が飾られています。







そしてキッチン。彼はいつもここにあるテーブルで食事をする。メラニーを招いて料理を作っていたのもここでした。








冷蔵庫には兄とその子供が写っている写真が貼られている。






そしてキッチンの隣にあるのがリビング・ルーム。彼はここで兄に頼まれた人やメラニーを霊視した。自然光が入らない時間帯は部屋はいつも暗く、スタンドのライトしか光源がない。何か意味ありげな絵画が多く飾られているのが印象的です。








このリビング・ルームにもうひとつのテーブルがあることに気づきます。
しかもそれはキッチンにあるテーブルとほぼ同型であり、しかも並列して置かれている。
だが、ジョージがリビング・ルームにあるテーブルに座っているシーンは一度も出てこない。
にも関わらず、テーブルの上には調味料やワインのボトルが置かれている。






光源がないと前述しましたが、この部屋にはそもそも室内灯のスイッチがないことにも気づきます。
カバーだけがあります。ということは意図的に暗くしていると解釈できます。




明るいキッチンにあるテーブルで食事をとる。
そして暗いリビング・ルームで霊視し死者と接触する。

明と暗、生と死。二つの部屋は対照的に存在しています。だが、リビング・ルームにあるテーブルは誰のためのものでしょうか。陰膳のような意味合いを持っているのか、はたまた違う意味合いがあるのか。







勤める会社の希望退職者リストに載ったことをきっかけにジョージ・ロネガンは今まで生活していたサンフランシスコを離れ、チャールズ・ディケンズ・ミュージアムを訪れるためにロンドンに向かう。
そこで常日頃聴いていたデレク・ジャコビによるディケンズの朗読会がロンドン・ブック・フェアで開催されることを知る。




死後の世界での体験を本にまとめたマリー・ルレは出版社の意向でロンドン・ブック・フェアで朗読会をすることになる。






家族を失い、里親の保護下にあるマーカスは、アレクサンドラ・パレスに連れて行かれる。
そこには以前の里子で今は一人立ちしているリッキーが警備員として勤めていた。里親は無口で心を開かないマーカスをリッキーに会わせれば何かが変わると思ったからだった。
会場の中ではロンドン・ブック・フェアが行われていた。




ジョージ・ロネガンとマリー・ルレ、そしてマーカスの人生はそこで交差する。











ジョージ・ロネガンはマリー・ルレが宿泊するメイフェアー・ホテルを訪れ、メッセージを残す。

内容は、著書の感想、自分の身に起きたこと、これまで体験してきたこと、そして朗読会で見たヴィジョンについて書かれていた。





マリー・ルレはそのメッセージを読み、ジョージ・ロネガンと会う。











待ち合わせした場所にマリー・ルレが現れ、ジョージ・ロネガン(不意な接触による霊視を拒む彼は手袋をしていた)の姿を探す。

そんな彼女の姿を見たジョージは不思議なヴィジョンを見る。

立ち上がり、近づいた二人は親密にキスをした。そしてジョージ・ロネガンはマリー・ルレの手を強く握る。



今まで困惑し、悩み抜いたものごとがクリアになり、すべてがうまく行きそうな予感がジョージ・ロネガンを包んでいた。

実際の彼は彼女の名を呼び、手袋を取って彼女に手を差し出した。










ここでまた疑問が浮かぶ。

触れてもいないマリー・ルレとのヴィジョンを見たのはなぜだったのか。


ひょっとしたら、兄にも誰にも言ってはいないが、ジョージ・ロネガンは生者と自分とのヴィジョンも見えていたのではないだろうか。


考えてみれば、メラニーと通った料理教室で、相手に目隠しをして食べさせた食材を当てさせるというクイズ形式の一幕があった。

イタリア産の高級ワイン(バルバレスコ)を飲みながら、感情昂ぶるオペラ(プッチーニ作曲のオペラ『誰も寝てはならむ』)を聴き、スプーンですくった食材をメラニーの口元に運ぶ。







映像的には恋人がキスを求めるといった官能的な印象に満ちている。

だが、ジョージ・ロネガンにはメラニーとうまくいくヴィジョンは見えていなかった、と推測もできる。


それがマリー・ルレとだとうまくいく。
生と死、その境界線を越えたもの同士でこそ見えたヴィジョンなのかもしれません。


















監督,製作,音楽,クリント・イーストウッド(Clint Eastwood 1930.05.31- )

製作総指揮,スティーヴン・スピルバーグ(Steven Spielberg 1947.12.18- )

脚本,製作総指揮,ピーター・モーガン(Peter Morgan 1963.04.10- )

撮影,トム・スターン(Tom Stern 1946.12.16- )

衣装デザイン,デボラ・ホッパー(Deborah Hopper - )


出演,マット・デイモン(Matt Damon 1970.10.08- ) ...George Lonegan

セシル・ドゥ・フランス(Cecile De France 1975.07.17- ) ...Marie Lelay

フランキー・マクラレン(Frankie McLaren - ) ...Marcus / Jason

ジョージ・マクラレン(George McLaren - ) ...Marcus / Jason

ジェイ・モーア(Jay Mohr 1970.08.23- ) ...Billy Lonegan

ブライス・ダラス・ハワード(Bryce Dallas Howard 1981.03.02- ) ...Melanie

ティエリー・ヌーヴィック(Thierry Neuvic 1970.08.03- ) ...Didier

デレク・ジャコビ(Derek Jacobi 1938.10.22- ) ...Himself








映画『ヒア アフター』オフィシャルサイト





























2011年8月20日土曜日

キューバ・リブレとかマイタイとか

 

 


つがいのダチョウを自宅で飼うためには の追記です。


ちなみに「つがいのダチョウを自宅で飼うためには」
とは、雑誌「アンアン」にて連載が再開された村上春樹さんのエッセイ『村上ラヂオ』の中にある「パーティーが苦手」から。


パーティーが大の苦手であるという内容に始まり、「これなら暗いじめじめした洞穴の奥で巨大カブトムシと素手で格闘していた方がまだましだと思う」とまであります。


その後に、村上春樹さんが考える理想的なパーティーの描写が続く。


人数が十人から十五人。物静かな声で語り合い、誰も名刺の交換なんかせず、仕事の話もせず、部屋の向こうでは弦楽四重奏団がモーツァルトを端正に演奏し、人なつっこいシャム猫がソファで気持ちよさそうに眠り、おいしいピノノワールの瓶が開けられ、バルコニーからは夜の海が見渡せ、その上に琥珀色の半月が浮かび、そよ風はどこまでもかぐわしく、シルクフォンのドレスを着た知的な美しい中年の女性が、僕にダチョウの飼い方について親切に丁寧に教えてくれる。

「つがいのダチョウを自宅で飼うためにはね、村上さん、少なくとも五百平米の敷地が必要とされます。塀は二メートルの高さがなくてはなりません。ダチョウは長命な動物で、八十歳をこえていきることもあり……」

といった風に。


つがいのダチョウの飼い方を教えてくれようとするシルクフォンのドレスを着た知的な中年の女性。これはもちろん村上さんの創作したキャラクターだと思います。でも、どこか現実味(まったくないわけではないだろうという雰囲気)を帯びていてそれでいてミステリアスな存在。


そんなパーティーがあるなら僕だって参加したい。
おいしいピノノワールだって飲みたい。



毎年行われるバーベキューがとりやめになり、何の予定もない4日間を埋めるべく知人に「静かで落ち着けるところを知りませんか?」と聞いたところ、新潟県にある貝掛温泉は無音で人も少ないと。


もちろん、4日もあるんだから、いっそのことハワイとか、それこそカリブ海とかに出かけて、ビーチボーイズの曲なんか聴いちゃって、キューバ・リブレとかマイタイとかトロピカルなカクテルなんか頼んじゃったりしてもよかったんです。








実際に行ったとしましょう。カリブ海だとかに。

輝く太陽の下、ビーチチェアーでくつろいで、フィッツジェラルドの短篇集なんかを読みながらトロピカルなカクテルを飲む。

そして、夢のようなサンセットを見る。






人によって旅に求めるものは違います。


このときの僕が旅に求めていたものは、完全に近い静寂と、自然に囲まれた心地よい空間、そして旅先で起こる予定調和を超えたハプニング。

旅先では日常のルーティンにはない「もしもあの時こうしていれば」といった出来事が高い可能性で起こる。すべてが一期一会でその瞬間瞬間の判断によってその後は変化していく。





東京都から貝掛温泉まで、ナビで調べると190kmある。

確かに魅力的な温泉地ですが、190km。

時速60kmで走り続けたとしても3時間超かかる。

金曜日の仕事を終え(そう金曜日の夜に出発しようとしていました)、身体の疲れはエマージェンシーランプが点灯するくらいでした。


どうせ新潟県に行くのなら、前々から行きたかった新潟県村上市にも行きたい。
海もあるし、山もあるし、川もあるし、うまいと評判の地酒〆張鶴もある。


村上市までナビで調べると、370km。

370km。



いいや。考えても始まらない。とにかく向かおう、と車を動かしたのが金曜日の23時ころ。

高速道路の運転は、早く着くかもしれませんが、とにかく退屈なので一般道路で行くことに。










道中、バズ・ラーマン監督作品、ニコール・キッドマンとヒュー・ジャックマンが出演している映画『オーストラリア』を流しながら。



浮いて見えるコミカルな演出と、冗長と言い換えることもできるスペクタクルな感じが長い運転を中和させてくれました。








そして、(ナビとともに少し迷子になりながらも)着きました。


貝掛温泉。 奥湯沢。





昼(朝?)に入る露天風呂は素晴らしいものでした。

この貝掛温泉は、かの武田信玄公が隠し湯として利用していたとされ、眼病にとても効能がある湯であるという。


真上に昇ろうとする太陽に照らされながら熱い湯につかる。

じつは、広い露天風呂の湯は温度的にとてもヌルかったんですが、少し奥行ったところに小さな湯だまりがあり、遠慮勝ちな看板に「熱い」の文字がかかれてありました。
その湯に入ってみると「ほんとだ!」と声に出すほど熱い。ですが、その熱さが運転で疲れた身をほぐしてくれました。


熱くあってこその温泉。
周りに喧騒はなく、風が木々を揺らす音さえも静かに山にとけ込んでいく。





音のある静寂と心地よい空間をあとに村上市に向かうことにしました。

どうしても陽のあるうちに着きたかったので村上市までは高速道路を使って行ったんですが、やはり退屈です。景色が変わらない。ただただ惰性で運転している。

そんな運転をしているときにかけていたのが『マーヴィン・ゲイ・アンソロジー』





高速道路を運転するときは80年代のベタな音楽が気分に合います。

ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースとか





38スペシャルとか







改めて知ったんですが、高速道路のほうがガソリンを消費するんですね。見る見るうちにメーターが減っていったので慌てて給油しました。

もしあんなところでガス欠にでもなっていたら・・・。



奥湯沢から出発し、渋滞もなく、およそ3時間ほどで村上市に着くことができました。

市内に入ってから海岸沿いの道路に向かうことに。

海沿いの道を運転して心躍るのは、それまで山あいばかりの景色だったところに真っ青で広大な海が一気に視界に飛び込んでくるときではないでしょうか。

そういった海岸的な瞬間にどれだけ出会うかで感性の豊かさが大きく左右されていくのかもしれません。








海ってやっぱりいいですよ。

そして、新潟県村上市の海の透明度に感動しました。
地球温暖化の影響があるのか、藻が多いものの海水そのものはご覧のとおりです。








もうすでにお気づきの方もおられるかも知れませんが、この奥湯沢経由、村上市への旅。まったくの単独行動でした。

一人でカラオケに行ったり、一人で焼肉に行ったり、普通は誰かと一緒に行くものでしょう、という固定観念がなくなりつつある昨今に行われた一人ニイガタ。



数年前、一人で富山県の海で泳いでいたとき、地元のおじさんに「一人で来たのか、溺れないように」と危ぶまれたことがあります。

なので今回は不審者には見えないよう(釣竿というアイテムを持っているだけで長時間防波堤にいても不審に思われないんです。知ってましたか?) 心がけました。

そんな心がけをよそに、地元の人だろう人から気さくに話しかけられることが多々あり、「いいところだな村上市」と印象バロメーターは上がりっぱなしでした。




日光浴とともに読もうと、持って行った本があったのですが、それがこの本。




『未亡人の一年』
ジョン・アーヴィング著、です。

単に読みかけだったのか、なぜこの本を持った行ったんでしょう?

村上市と未亡人、何の関連性もありません。


一人の人間が生まれてから死ぬまでの物語を圧倒的であり病的なまでに細かいディティールを織り交ぜて描く、現代文学の中でも稀有なストーリーテラーがジョン・アーヴィングです。


映画『ドア・イン・ザ・フロア』の原作本である小説です。





物語は四歳のルース・コールが物音で目を覚まし、母親のマリアン・コールの寝室に行くところから始まる。そしてそこでルースは母親と、父親の助手として働いていた十六歳のエディ・オヘアが寝ているところを目撃する。


四歳のルースは幼すぎて、エディや彼のペニスをはっきりと覚えていなかった。だが彼のほうはずっと覚えていた。三十六年後、彼が五十二でルースが四十になったとき、この不運な若者は、ルース・コールに恋することになる。しかしそのときでさえ、彼はかつてルースの母親と寝たことを後悔はしなかった。いや、これはエディの問題だった。ルースの話にもどろう。


という描写につながる。




本から目を離し、海を見ると







じつに見事な夕日がそこにはありました。

いったいなぜイカ墨で挿絵を描く絵本作家が出てくる小説を読んでいたのだろう。

目の前で刻一刻と変化していく夕日を眺めることに。


日が完全に落ちてしまうとそこはシャットダウンされたかのように夜になります。



村上市内を運転していて気づいたことはパトカーを一台も見かけなかったことです。

ただの一台も。それだけ治安が良いのでしょう。
だからあんなに多くの人が気さくに話しかけてくれたのか、と思いました。





そのあと、沖合いのテトラポットの向こう側で泳ぐイシダイの群れを(本当に海が透明でした)見たり、焼けすぎた肌がマグロの血合いの部分のような色になったり、近年まれに見る無愛想な釣具屋の女亭主に出会ったり、といった「デイヴィッド・カッパフィールド的なしょうもないあれこれ」(キャッチャー・イン・ザ・ライ)があったりもしたんですが、それは省略して。




帰路はすべて一般道路を使って帰ることにしました。


370km。 結果7時間ほどかかることに。
色んな音楽を聴きながら運転していたのですが、370kmという長い距離の中、いちばん心に響いたのはこの一曲でした。






ルシンダ・ウィリアムス(Lucinda Williams)というシンガーソングライター。

カントリーやブルーグラス、ブルース、ロックを混ぜこぜにした印象です。


TIME誌は彼女のことを「America's best songwriter」と評したという。





この曲、聴いていると、地平線に続く長い道のりが見えてきませんか?

ささくれていていても、酒に溺れていても、ぼろぼろになっていても、全米のライヴハウス(とも呼べないような小屋も含めて)を年中かけて回る光景が目に浮かぶ。

行く先々ではさまざまなことが巻き起こり、それらすべてを飲み込み続けた結果に出てくるような歌声が「本当に」長い時間運転している自分に重なる。







途中、あまりの空腹に耐えかねてどこかで食事をすることに。

何を食べようかと思っていた頭に浮かんだのは、旅先でしか出会わないであろう「食事処」でした。
それこそ小屋のような店構えで、看板にはジャンル無視の「ラーメン カツ丼」とあるような。





ありました。奇跡のようにイメージどおりの店が。

その店で(また嘘のようなメニュー)ラーメンとミニカツ丼を食べる。



そしてそこにはトラックの運転手がいたり、少々のことでは折れたり崩壊しないスタミナに満ちた家族がいる。





ルシンダ・ウィリアムスの世界に迷い込んだような。