「アフリカの象は夜になると、そう、深夜の一時か二時頃になると山の中の洞窟に入るんです」
奇妙な出来事だった。
自分から喋りかけるという印象を持たない彼が唐突に話をし始めた。
「象の群れは一頭残らず全部です。そしてその洞窟の中で象は、自分の牙をつかって、洞窟の中の壁をけずり、それを食べるんです。群れの象は皆そろって壁の土を食べるんです」
「そんな話はじめて聞いたよ」
僕は答えた。
「象の夜食は壁の土なんです。知っていましたか?このことを」
話をしていない時も彼の口は動いていた。
何も言わないほうがいいと思い、僕は黙って話を聞いていた。
「あと、オットセイはある時期になると、子供だけがやせていくんです」
僕は彼の手を見た。
彼の手はとても強く握られていた。手のひらに爪がくい込み少し震えていた。
「その話もはじめて聞いたよ」
最初の自分の声が聞こえなかったことを考えて大きめの声で言った。さっき黙っていた分も含めて答えたつもりだった。
とても難しかった。ただの返事の枠を超えていた。
「なぜかというと、イルカのえさになる魚は普段は海岸沿いにいて、たくさん獲れるんですが、その時期には遠く沖合いに出ないと獲れなくなるんです。だから、沖合いに出れないアザラシの子供はそういった理由でその時期とてもやせています」
どうやら彼の中でオットセイはイルカになり、そしてアザラシになってしまったらしい。
出世魚というのは聞いたことあるが、この場合は何と言えばいいのだろう。
僕は黙って、少し首を動かした。それが何かの返事に見えるように。
「ただ、それがどの時期だったかは忘れました」
彼の眼は遠く沖合いに出ているかのようだった。
それはそうだろう。ふとしたきっかけで、オットセイはイルカになってしまい、そして元に戻ろうとしたオットセイがアザラシになってしまうくらいだから。それがどの時期だったかなんてことはこの際覚えていなくていい。
僕はそう思った。
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