「アフリカの象は夜になると、そう、深夜の一時か二時頃になると山の中の洞窟に入るんです」
奇妙な出来事だった。
自分から喋りかけるという印象を持たない彼が唐突に話をし始めた。
「象の群れは一頭残らず全部です。そしてその洞窟の中で象は、自分の牙をつかって、洞窟の中の壁をけずり、それを食べるんです。群れの象は皆そろって壁の土を食べるんです」
「そんな話はじめて聞いたよ」
僕は答えた。
「象の夜食は壁の土なんです。知っていましたか?このことを」
話をしていない時も彼の口は動いていた。
何も言わないほうがいいと思い、僕は黙って話を聞いていた。
「あと、オットセイはある時期になると、子供だけがやせていくんです」
僕は彼の手を見た。
彼の手はとても強く握られていた。手のひらに爪がくい込み少し震えていた。
「その話もはじめて聞いたよ」
最初の自分の声が聞こえなかったことを考えて大きめの声で言った。さっき黙っていた分も含めて答えたつもりだった。
とても難しかった。ただの返事の枠を超えていた。
「なぜかというと、イルカのえさになる魚は普段は海岸沿いにいて、たくさん獲れるんですが、その時期には遠く沖合いに出ないと獲れなくなるんです。だから、沖合いに出れないアザラシの子供はそういった理由でその時期とてもやせています」
どうやら彼の中でオットセイはイルカになり、そしてアザラシになってしまったらしい。
出世魚というのは聞いたことあるが、この場合は何と言えばいいのだろう。
僕は黙って、少し首を動かした。それが何かの返事に見えるように。
「ただ、それがどの時期だったかは忘れました」
彼の眼は遠く沖合いに出ているかのようだった。
それはそうだろう。ふとしたきっかけで、オットセイはイルカになってしまい、そして元に戻ろうとしたオットセイがアザラシになってしまうくらいだから。それがどの時期だったかなんてことはこの際覚えていなくていい。
僕はそう思った。
2010年3月31日水曜日
『ハリーズ・バー ―世界でいちばん愛されている伝説的なバーの物語』
『ハリーズ・バー ―世界でいちばん愛されている伝説的なバーの物語』
著者,アリーゴ・チプリアーニ
訳者,安西水丸
出版社,にじゅうに
過去に読んだ面白い本はたくさんあるが、その中でも特筆に値するべきもの。
表紙右下は、アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Hemingway 1899-1961)の写真。
ヘミングウェイと父が頭に大きなソンブレロをかぶって写った、面白い写真がある。写真の中で父は笑みを浮かべているが、灰色のあごひげを生やしたヘミングウェイは、ずらりと並んだ空のグラスを前にして、夢現つのようだ。父とヘミングウェイの二人で、このグラスを空けてしまったのだろう。父が2日酔いから回復するまで、三日かかったのを覚えている。
―本文p74より抜粋
(少し長いかもしれませんが)あとがきを抜粋。
ハリーズ・バーのことは、常識程度には知っていたが、こんな本があることは知らなかった。岩本氏の話を聞きながら、ぼくは、まあ、やってみるかといった気分になっていた。本の著者は、ハリーズ・バーの創業者、ジュゼッペ・チプリアーニ氏の御子息、アリーゴ・チプリアーニ氏だった。
忙しい日がつづき、岩本氏の置いていった本もそのままにしていたのだが、ある日、意を決して読んでみて驚いた。面白いことは言うにおよばず、素晴らしい内容のものだった。人と人との出逢いの大切さ、優しさ、生きることの美意識、さらにそこには、ヨーロッパの歴史までもが織り込んでいた。
この本は飲食店をはじめようとする人、またすでに飲食店を経営されている人ばかりではなく、多くの人に読んでもらいたい本だとおもった。オーバーではなく、この本を読んだ人と読まない人とでは、その人間の幅が大きく変わるのではないか。ぼくは本気でそんなことをおもった。もしかしたらチプリアーニ親子のしたことは、ごく当たり前のことでもあるかもしれない。しかし人間にとって、その当たり前なことがいちばん難しい。
この本を読む前と読んだ後とでは、自分の中のある部分が、または本質そのものが変化してしまったのではないかという強烈な体験が、ごくまれにですが確かにあります。
これは映画にも言えることであるし、もちろん映画や本だけに限らず人やあらゆる物にでも言えることだと思う。
個性を形成している段階の途中で、自己の本質そのものを揺るがすような何かに出会うことは「偶然」という言葉では説明がつかない何かがあるような気がする。
この本はまさにそういった本。
著者,アリーゴ・チプリアーニ
訳者,安西水丸
出版社,にじゅうに
過去に読んだ面白い本はたくさんあるが、その中でも特筆に値するべきもの。
表紙右下は、アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Hemingway 1899-1961)の写真。
ヘミングウェイと父が頭に大きなソンブレロをかぶって写った、面白い写真がある。写真の中で父は笑みを浮かべているが、灰色のあごひげを生やしたヘミングウェイは、ずらりと並んだ空のグラスを前にして、夢現つのようだ。父とヘミングウェイの二人で、このグラスを空けてしまったのだろう。父が2日酔いから回復するまで、三日かかったのを覚えている。
―本文p74より抜粋
(少し長いかもしれませんが)あとがきを抜粋。
ハリーズ・バーのことは、常識程度には知っていたが、こんな本があることは知らなかった。岩本氏の話を聞きながら、ぼくは、まあ、やってみるかといった気分になっていた。本の著者は、ハリーズ・バーの創業者、ジュゼッペ・チプリアーニ氏の御子息、アリーゴ・チプリアーニ氏だった。
忙しい日がつづき、岩本氏の置いていった本もそのままにしていたのだが、ある日、意を決して読んでみて驚いた。面白いことは言うにおよばず、素晴らしい内容のものだった。人と人との出逢いの大切さ、優しさ、生きることの美意識、さらにそこには、ヨーロッパの歴史までもが織り込んでいた。
この本は飲食店をはじめようとする人、またすでに飲食店を経営されている人ばかりではなく、多くの人に読んでもらいたい本だとおもった。オーバーではなく、この本を読んだ人と読まない人とでは、その人間の幅が大きく変わるのではないか。ぼくは本気でそんなことをおもった。もしかしたらチプリアーニ親子のしたことは、ごく当たり前のことでもあるかもしれない。しかし人間にとって、その当たり前なことがいちばん難しい。
この本を読む前と読んだ後とでは、自分の中のある部分が、または本質そのものが変化してしまったのではないかという強烈な体験が、ごくまれにですが確かにあります。
これは映画にも言えることであるし、もちろん映画や本だけに限らず人やあらゆる物にでも言えることだと思う。
個性を形成している段階の途中で、自己の本質そのものを揺るがすような何かに出会うことは「偶然」という言葉では説明がつかない何かがあるような気がする。
この本はまさにそういった本。
カテゴリ
本 (海外 エッセイ 自伝)
2010年3月30日火曜日
あいさつ
ジョギングをするとき、僕はいつも家近くの川沿いの道まで歩いていきます。それは今日も同じでした。
都内を流れるその川沿いの道にはたくさんの桜の木が植えられていて、暖かい季節になると散歩する人々でにぎわう遊歩道になっています。今年の春は少し寒いので、桜の開花はまだですが、ときどき訪れる暖かい昼の陽射しは春の訪れを感じさせ、ここ数日の寒さを忘れさせてくれます。
結局のところ、健康を維持するには運動するしかないのだろう、と多くの人が気づいたのか。またエイジングに太刀打ちできるのは運動の末に得られる健康体なのだと気づいたのか。理由はともあれ、老若と男女に関わらず、歩いたり、走ったり、スポーツタイプの自転車に乗ったりしている人をたくさん見かけるようになりました。
今日もたくさんの人が歩いたり和んだりしている川沿いの道に着きました。軽めの準備運動とストレッチをして走ります。本当なら、準備運動とストレッチは入念にしたほうが身体にいい。故障も減るし、走者としての寿命も長くなる。だけどいつも省略してしまう。そのぶん、ジョギングの1周目を慣らし運転のようなものとして準備運動代わりにして済ましてしまいます。
そうして少し速めのペースで6km。およそ30分で走りましたから、1kmを5分のペースで走ったことになります。
川沿いを走る。橋わたる。向こう側の川沿いを走る。橋わたる。スタート地点に戻る。腕を振り、足を前に出す。身体を動かし、新しい空気を取り入れる。体の中の空気が入れ替わるところを想像し、全身を流れる血液が若返っていくところを想像する。筋肉が動き、熱を帯び、エネルギーが燃焼しているとこを想像する。そして熱を帯びた筋肉を冷やすために体から水分が出ていき、それが蒸発するところを想像する。そうやって身体を動かし汗を流すことを心地よく感じることができるのを幸せだと思う。
まだ陽があるうちに走り始めたのですが、しだいに陽は暮れ、暗くなっていきます。
と、背後から「すいません」という声がする。
走るのやめ、振り返ると一人のおじいさんが桜の植え込みにしゃがみこんでいました。おじいさんは痩せていて薄着でした。僕が近づくと「すいません、立てなくなって」とおじいさんは言いました。
おそらく、散歩にでかけ、歩いているうちに少し疲れ、植え込みに座ったのはいいが、足腰が言うことをきかなくなってしまって立てなくなったところに僕が通りかかった。
ということなんだろう、と想像しました。身体を冷やしたのかな。
僕は手を貸し、おじいさんは立ち上がる。
そして「どうもありがとう」とおじいさんは言い、僕は「気をつけてください」と言いました。そしておじいさんは僕が走るのとは逆方向に歩いていきました。
この話のポイントは、僕の善行の告白なんかではなく。僕の走るときの格好です。
肌寒く感じる季節に走るとき、僕は上下ともに黒のジョギングウェアで、頭には黒のニット帽を目が隠れるまで目深にかぶります。もっと寒いときは黒の手袋をして走るので、全身のうち黒でないものはシューズと少し見える顔の下半分くらいです。
自分でそういう格好をしていてなんですが、普段通りかかって声をかけやすい姿ではありません。むしろ、高い塀と鉄条網で囲まれた建物に警報が鳴り響き、サーチライトがぐるぐる辺りを照らし出しているところにいても不自然ではない格好です。
要は不審者寄りということです。あのおじいさん、そんな僕によく声をかけたな、と。それほど困ってたんだろうなと思いました。
後姿のおじいさんと別れ、再び走り始めた僕は知人に動物嫌いと決めつけられたときのことを思い出した。
その女の子は次の休みの日に彼氏と上野動物園に行くんですと言った。そうなんだ、と僕は返事した。「でも、またなんで動物園に」と僕は聞いた。
「動物が好きだからです」とその子は答えた。そして、僕みたいな人はどうせ動物なんか嫌いだから動物園なんかには興味がないだろう、とその子は言った。あまりにも失礼をかえりみない気持ちに満ち溢れた発言に思わず笑ってしまった。
「いやいや、そこの町娘や待ちなさい」と僕は言った。
「上野にある動物園に行きたいか行きたくないかは別として、動物を好きか嫌いかでいうと針は好きのゾーンに振れているよ」と。
現に、いつもジョギングしている道に最近かわいい猫の親子が現われるんだよ、と。
「で、その猫の親子を蹴飛ばしてるんですよね」と町娘は言う。
なんて偏った見方で見られたものだろう。
それとも、そんな見られ方をされても仕方がない由縁みたいなものを普段の僕は出しているのだろうか。
先日、重そうなスーツケースを抱えてる人が地下鉄の駅の階段を降りてたから持ってあげたりしたことを僕は思い出し、その町娘に言った。
「それはその子がかわいかったからでしょう」と町娘は返す。
スーツケースが重そうに見えたのは後姿だ。そこから前に回りこんで顔を見て、かわいいかどうかを判断してスーツケースを持ってあげたのではない。
僕はそのことを言うかわりに町娘から遠ざかり、ここまでの言われ方をする原因が自分のどこにあるのかを考えた。
ときに人は真実とは別の、自分が信じたい人物像を捏造しそれを誰かにあてはめ、そのことに気づいてさえいないときがある。今自分の目の前にいる町娘がそうなんだろう。
僕が自分を納得させるために出した答えがこれだった。そして、気づいてすらいない人に虚像と実像の違いを説いたところでその時点のその人の心には届かないことを知っていた。
町娘め。まだまだ町娘だな、とわけの分からないことを思ってみたりした。
そういえば、家の近くの王将でビールを頼んだとき、年齢を確認できる身分照明を見せてくれと言われたことがあります。「35歳なんだけど」というと、「一応念のため」と言われた。隣にいた友人は事の次第を可笑しがって見ていた。
35歳が19歳に見えるときがあるのか。35or19だ。はっきりと違う。簡単な話じゃないか。それくらいの見分けもつかないんだこの子は、と思った。
家の近くのスーパーで缶ビールを買ったときも、年齢を確認できる身分証明書を見せてくれと言われたことがある。それも二度。
おそらくこれは、僕が何歳に見えるのかなんていうことではないのではないかと僕は思った。その店の店員は、店長か上司の人から年齢確認のマニュアルを徹底されすぎたのだろう。条件反射的な身分証見せてくれなのだと。そう思わないと納得できなかったのでそう思うことにした。
もし、そうじゃなければ、僕は19歳にも見える35歳だということだ。ひょっとしたらそうなのかもしれない。そして、警報が鳴り響き、サーチライトがぐるぐる辺りを照らし出している中を全身黒ずくめで走り回って、あげく道端に現われる猫の親子を蹴飛ばしているのだと。
そんなやついるのか。
長々とどうでもいいことを書きましたが、今日からブログ始めます。
よろしくお願いします。
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