先日、改めて映画『グラン・トリノ』を見ていたら、何度も笑える場面があって感動してしまいました。
初めて見たときは、あの結末があまりにもドラマティックで、そこに納得がいかず、「これだからクリント・イーストウッドは」と思って、くしゃくしゃに丸めて映画のゴミ箱の中に放り込んでしまいました。
イーストウッドの映画って"あまりにもドラマティック"なものばかりですよね。
見ていてまずそこが鼻につくんです。偉そうに書いてますが、"あまりにもドラマティック"ですよね。
『ミリオンダラー・ベイビー』といい、『チェンジリング』といい、硫黄島といい、星条旗といい、過去の土埃と拳銃ものといい、なぜかイーストウッド作品とは(それこそ)ウマが合わない。
ですが、『ミスティック・リバー』のショーン・ペンの演技はどこにも比類しない素晴らしいものです。
*** 注 ***
映画『ミスティック・リバー』を未見の方はまず本編を見てください。本当に素晴らしいシーンですから。
二十代前半、朝鮮戦争に兵士として戦地に赴いた過去を持つウォルト・コワルスキー(年齢は70歳くらいだろうか)。
ポーランド系アメリカ人の彼は、ミシガン州の工業都市デトロイトの郊外にある白人居住区に住み、自動車メーカー"フォード"に50年間勤め、結婚し、子供を二人育て上げた。
その彼の妻の葬式シーンで映画は始まる。
ウォルト・コワルスキーは、無愛想で堅物、そして、とにかく口が悪い。
JapやChink、spookは当たり前、zipperhead、gook、なんていう人種差別的発言も平気でする。
妻に先立たれたウォルト(と若い神父が言うと「ミスター・コワルスキーと言いなおせ」と睨む)は、老いた愛犬のデイジーの世話や、庭の整備と自宅の修繕をして、玄関ポーチのベンチに座り、磨き上げた1972年製のフォードの"グラン・トリノ"を眺めながら煙草に火をつけて、冷えたビールを飲み、残された余生をそれなりに平和に過ごすはずだった。
だが、隣家にアジア系モン族の一家が引っ越してきたことをきっかけにウォルトの生活は変化していく。
最初に、感動したと書いたが、感動したのはあの取って付けたような"あまりにもドラマティック"なエンディングにではない。
(皆はっきりと口に出さないまでも)人種差別が当たり前のデトロイトの郊外で、戦争を背負ったまま生きている堅物なじじいがそれらをジョークにしてしまっていることだ。
面白いシーンはいくつもある。
亡き妻が熱心に通っていた教会の神父がウォルトのもとにやってきて、「私が死んだら罪を抱えて苦しんでいる夫のことを頼むと、生前の奥さんは言っていた」と言う。「そして、どうか夫に"告解"をさせてやって欲しい」
ウォルトは神父を害虫のように払いのける。だが神父は諦めることなく再度ウォルトの家を訪問する。
そして、そこでウォルトにこう言われる。
Well, I think you're an over-educated 27-year-old virgin who likes to hold hands of ladies who are superstitious and promises them eternity.
通っている床屋の店主と悪態を交し合うシーンも素晴らしい。
店主マーティン(以下M) "There. you finally look like a human being again. You shouldn't wait so long between haircuts, you cheap son of a bitch."
ウォルト(以下W) "Yeah. Well, I'm surprised you're still around. I was always hoping you'd die and they'd get somebody who knew what they were doing. Instead you just keep hanging around like the doo-wop dago you are."
M "That'll be 10 bucks, Walt."
W "Ten bucks ? Jesus Christ, Martin. What are you, half Jew or something ? You keep raising the prices."
M "It's been 10 bucks for the last five years, you hard-nosed, Polack son of a bitch."
W "Yeah, well, keep the change."
M "See you in three weeks, prick."
W "Not if I see you first, dipshit."
そして、隣家のモン族の娘スーが黒人の三人組に絡まれているのを助けるシーン。
そのスーに誘われて隣家で行われているパーティーに(ビールを飲みために)同席するウォルト。
そこでウォルトは、異教徒の占い師という胡散臭い男に、妻にも(もちろん神父にも)打ち明けることのできなかった核心をつくことを言われる。
自分の周りを見ると、モン族の人たちが集まり、食事をして、語らい、くつろいでいる。
ウォルトがそこでつぶやいた一言こそ、この映画の核心でした。
"God, I've got more in common with these gooks than I do my own spoilt rotten family."
僕がこの映画で最も感動したのはこのシーンです。
そこで思いました。この『グラン・トリノ』。素晴らしく優れた教材映像なんではないかと。
もし、それを説明できる教師がいれば。
まず、アメリカ建国の歴史と現在までの推移、デトロイトにおける人種間コミュニティの違い、朝鮮戦争におけるモン族の存在、アメリカ内での隣人感覚的なポーランド系(ユダヤ系、イタリア系)アメリカ人の捉われ方。
その中心にあるものは、日本の歴史や関係性の齟齬にも通じるものがある。
『グラン・トリノ』 (『GRAN TORINO』)
(2008)
監督,製作,出演,クリント・イーストウッド(Clint Eastwood 1930.05.31- )
脚本,ニック・シェンク(Nick Schenk - )
撮影,トム・スターン(Tom Stern 1946.12.16- )
衣装デザイン,デボラ・ホッパー(Deborah Hopper - )
音楽,カイル・イーストウッド(Kyle Eastwood 1968.05.19- )
出演,ビー・ヴァン(Bee Vang 1991.11.04- )
アーニー・ハー(Ahney Her 1992 - )
クリストファー・カーリー(Christopher Carley 1978.05.31- )
ジョン・キャロル・リンチ(John Carroll Lynch 1963.08.01- )
スコット・リーヴス(Scott Reeves 1986.03.21- )
映画『グラン・トリノ』オフィシャルサイト
0 件のコメント:
コメントを投稿