2012年12月18日火曜日

新中川トライアスロン(おおよそ)

 何も予定にない状態からふと思いつき、出発したのがおおよそ13時。そして帰ってこれたのがおおよそ19時でした。

まず、新宿コズミックセンター内にある室内プールにてSWIM1.5km。 タイムはおおよそ25分でした。






そこから大久保通りを通って神楽坂に。そして飯田橋、九段下。

バイクはORBEA AQUA SORAです。



 九段下から靖国通りを通って、神保町、秋葉原、両国へ。

隅田川にかかる両国橋を越えれば靖国通りは京葉道路という呼び名に変わります。

名前は変わっても道はシンプル、一直線。激しい高低差も特になく、走りやすい道が続く。

錦糸町駅前のにぎわいを通り過ぎ、亀戸を越えると荒川にかかる新小松川大橋が見えます。






 この荒川は空気の通り道にもなっていて、川の手前と奥では気温が2~3度違うのではないかと思うほど空気が入れ替わっているのが体感できます。


そして、いよいよ到着しました。新中川。

ここまでの距離おおよそ20km。 タイムは、不明。信号待ちがありますから。





 都内のジョギングコースで有名なところはいくつかありますが、この新中川も相当に気持ちよく走れるところです。

まず、人がいない。この日も祝日であったにもかかわらず歩いている人、走っている人すべて含めてもちらほらとしか姿を見かけない。

次に走るところが土手になっていて、民家の屋根が目の高さほどにしかこないという点。

つまり、視界は高く、空がパノラマのように広がっている。







 そんな新中川沿いを10.5km。タイムはおおよそ60分。


そうか。このきついランを経験するために人はトライアスロンをするのかもしれない、と思うほどきつい。きついけれど充実したラン。


途中、補給したのは水分だけだったせいか(そりゃそうだ、レースではないからエイドステーションもボランティアの方々ももちろんいない)、残り2kmになると身体は冷え、足が思うように動かない。

燃焼するカロリーがないからなのでしょう。


以前読んだジョギング系の雑誌の中にマラソン選手だった高橋尚子さんが空腹時に走ることにこだわっていると言っていた。


ジョギング中、ブレーカーが落ちるようなハンガーノックを経験したことがあるので「まさか」と思っていたけれど、最近は僕も空腹時に走ることが多い。




走り終えた場所から川向うを見ると、大丈夫なのか電磁波は、と思う鉄塔が見えます。






その鉄塔の右奥にはスカイツリーも見えます。


暗くなると点灯するスカイツリーの灯台のように回るライトは映画『地球が静止する日』に出てくるあのロボみたいで不気味です。






ここからおおよそ20km。同じ道を通って帰るのですが、ものすごく大福が食べたくなる。




もうエネルギーを補給しなければ身体がうまく動かないところまできていました。



無事にたどり着いたとき時刻はおおよそ19時でした。

近くの公園で遊んでいた子供たちが帰らなきゃ怒られると言い合っていた。








2012年10月29日月曜日

ミスター・ボージャングル

 オンタイムで見ることができなかった『プロフェッショナル 仕事の流儀 高倉健スペシャル』を再放送で見ました。



「これから何十年も生きてるわけじゃないんだから、本音の話をちょっとそろそろしておかないと」



 異例密着取材よってこれまでに語られることのなかった等身大に近い高倉健映し出される

 当時炭鉱栄えていた福岡県中間市生まれ俳優のへと進んだ経緯から現在(81歳)に至るまで紹介される。



  印象に残ったのは、「体は唯一の資本」だということ。

これは俳優としてという意味ではなく、一人の人間として、動くことを生業としている存在としてという意味としてでも。



「笑うとか、泣くとか、怒るとか、入れ墨いれて人を斬るとか、芝居っていろんなのがあるんだろうけど、こういう人生もあってみなさんどう思いますかっていう」

「こういう生き方も悪くないんじゃないですかということをちょっとでも見せたいとか。その人のやっぱり人生体験というか、それが俳優さんの価値なんでしょうね」

「何にもないのはそれはない。人生終わる人もいっぱいいるわけだよね。名前だけは有名になったとかさ、金だけはいっぱい持ったとかね、権力はいっぱい握ったとか。でも身を捨ててでも悔いがないという人間に出会ったかどうかという」


「僕はそう思ってやってますけどね」

  言葉が刺さる。



やってるというのは映画『あなたへ』での自分の役に対する姿勢のこと。



 北陸の刑務所で長年勤めていた倉島英二のもとに亡き妻洋子が書いた絵手紙が届く。

絵手紙はもう一枚あり、洋子の故郷である長崎県平戸市の局留め郵便だったため倉島英二は長崎県平戸市を訪れる。

妻洋子が生まれ育った平戸市を巡り、町の人に出会い、海を見る。

倉島英二はそこである事件に巻き込まれ、自ら共犯者となることを覚悟する。

長年刑務所で勤めた一人の人間が旅先で出会った他人に肩入れし、罪を見過ごし共犯者となる。



 役柄を通じ、感情の動きと行動に至るまでを納得がいくまで追っていく。






 明かされることのなかった高倉健の日常だが、取材を通じていくつかのことが分かる。

朝はナッツがたくさん入ったシリアルにヨーグルトをかけたもの。

朝しっかりと食べて、夜までほとんど何も口にしない。

体重を70kg以下に維持するためでもある。


都内にいる時は決まった理髪店に行く。

そこで髪を切ってもらうこともあるし、ただ訪れ店主と談話し、コーヒーを飲むときもある。

理髪店内には専用の個室があり、私物やFAXまでもが置かれている。




 日常生活において何より大切にするのは、時に熱して動きやすく、また冷えて固まりやすい心、感情、気持ちと呼ばれる不安定に揺れ動くものをより揺れ動きやすい状態に保っておくこと。


言い換えれば、常に自分をセンシティヴな立場に置くこと。

そしてそのセンシティヴィティを保つための一つの手段として高倉健は音楽を用いる。


震災以降、朝は必ず山下達郎の『希望という名の光』を聴く。







 そして、映画『あなたへ』の撮影最後の朝、高倉健はスタッフに声をかけコーヒーを飲むように勧める。

その時にかかる曲が『ミスター・ボージャングル』。


色んなミュージシャンがカバーしたが、このとき流れていたのはニーナ・シモンが歌う『ミスター・ボージャングル』でした。





 ラスト・シーンの撮影を待つ間、コーヒーを飲みながら何度も繰り返し『ミスター・ボージャングル』を聴く。


He jumped so high, jumped so high


 そうニーナ・シモンが歌い、涙こらえるようなギターの音色が聞こえる。

そのとき高倉健は眉間にしわを寄せる。

歌に込められた思いを刻みつけたときの痛みを思い出しているようにも見える。

そしてコーヒーをまた一口飲む。








カントリー・シンガーのジェリー・ジェフ・ウォーカーが作詞作曲した『ミスター・ボージャングル』。

若かりしウォーカーがニューオーリンズの酒場で羽目を外し、牢屋に入れられたときに出会った一人の男性のことを歌っている。





俺はボージャングルって人を知ってるんだ。

彼はすりきれた靴で踊って見せてくれたんだ。

白髪頭で、くたびれたシャツを着て、だぶだぶのパンツと古いダンスシューズを履いて。

彼はとても高く飛んでくれた。とても高く。

そして軽やかに着地した。



牢屋の中で落ち込んでいた俺に彼は人生を語ってくれたんだ。人生を。

そして笑って、足を打ち鳴らしステップを見せてくれた。



彼はミンストレル・ショーだったり、郡の余興だったりで南部中を回っていた。

15年間、彼と彼の愛犬がどんなふうに旅めぐりをしてきたのか、涙を浮かべて語ってくれた。

その愛犬も年老いて死んでしまった。

20年前のことなのに彼は今もまだ悲しんでいた。


彼は言った。

「今も酒と小銭のため機会があるたびに安酒場で踊るんだよ。
でも、飲みすぎるから大抵は郡の牢屋に入っちまってるんだ」

彼は頭を振った。

俺には誰かが彼に頼んでるのが聞こえたんだ。


ミスター・ボージャングル、ミスター・ボージャングル、ミスター・ボージャングル

踊ってよ






Mr. Bojangles / Jerry Jeff Walker




I knew a man Bojangles and he danced for you, in worn out shoes.
With silver hair a ragged shirt and baggy pants,
The old soft shoe.
He jumped so high, jumped so high,
Then he lightly touched down.



 I met him in a cell in New Orleans I was down and out.
He looked at me to be the eyes of age as he spoke right out.
He talked of life, talked of life, laughed slapped his leg a step.



Mister Bojangles, Mister Bojangles, 
Mister Bojangles, dance.


He said his name, Bojangles,
then he danced a lick, across the cell.
He grabbed his pants a better stance oh he jumped up high,
He clicked his heels, he let go a laugh, let go a laugh,
Shook back his clothes all around.


He danced for those at minstrel shows and county fairs throughout the South.
He spoke with tears of fifteen years how his dog him, he traveled about.
His dog up and died, he up and died,
After twenty years he still grieves,



Mister Bojangles, Mister Bojangles, 
Mister Bojangles, dance.


He said, "I dance now at every chance in honky tonks for drinks and tips.
But most the time I stand behind these county bars cause I drinks a bit."
He shook his head and as he shook his head,
I heard someone ask him please,


Mister Bojangles, Mister Bojangles, 
Mister Bojangles, dance.